新TOEICと携帯と

今日はTOEICを受けに高田馬場へ。
2006/5から新型TOEICになったということでどのような違いがあるのか把握した上で臨もうと思っていたのだけどそれもかなわず。しかし結果としては、新旧の違いはそれほど自分にImpactを与えはしなかったと言える。
旧型のTOEICの形式も忘れていたので(^^;)
気づいたのは3つ。

  • リスニングセクション4あたりで、以前は1つのTopicに対して2-3の問いが設定されていたのが各Topicについて3問に統一されていたこと。
  • リーディングセクションの間違い探しがなくなり、適語選択が文章中の文に対しても存在したこと。
  • リーディングセクションの最後の長文に長いもの(旧型の1.5-2倍程度)が混ざっていたこと。

どれくらい英語力があるとすべての意味を理解して最後まで解く事が出来るのだろうか。感じたのは、(特に最後の長文については)英語力というよりも情報処理能力の勝負。問いに答えるのに、どれだけ不要な部分を理解する作業を減らすか。
英語を使ったCommunicationであり、海外での日常生活を目的とすると若干はずしているのだけど、日本語で同じような質問をされていたら全部理解して答えようとはしないだろうというのも事実。英語に対しても変に理解しようとせず、要点を理解する力を磨くという意味で面白い。
(リーディングの最初の適語選択も同様。意味でなく構造から入る。)
仕事でもプライベートでも意識して日々触れてきてはいたのだけど、その結果をメジャーする手段の1つのTOEIC、TOEFLは受けてこなかった。ふと思い出すと2年ぶり位のTOEICではないだろうか。
一ヵ月後のScoreが楽しみだ(^^)次につなげていきたい。
そしてTOEFLも新型TOEFLへ移行中。次はSpeakingも加わる。楽しく英語を磨いていきたい。
そして帰りに新宿へ寄り道。携帯を変えてみる。
重い携帯、折りたたみ携帯に飽きてきたので、重くなく折りたたみでない携帯を探す。最近NOKIAの携帯が気になったりしていたのだけど、結局はこれに落ち着く。
デジカメ、300万画素なんていらないのだけど(^^;)

遅まきながら

遅まきながら英語の勉強を始めている。
これまでは、何となくリスニング(電車の中や隙間時間に英語を聞く)、Managementからの英語でのLetterを読む等、耳を英語に慣れさせながら最小限必要な英語は理解できるようにする、という程度だったのだけどそろそろ基礎からしっかり固めていこうと。
一時、いきなりUSとのTeleconを通して英語の必要性を痛感し、そのときに”目的”、”必要性”に迫られたときの学習の効果の高さというものを身を持って感じたのだけど、普段必要が無く、他にもっと必要なものがある、となってくるとついついそっちへ傾いてしまう(日本語)。長期的に見れば英語は必ず必要になるのだけど。
で、その”長期的”というものに具体的に時間軸をはめてみると、そろそろやり始めたいタイミングに来ていることを自覚する。ということで千里の道も一歩から。Nativeの様に英語を使えるようになりたい(かっこいいし!(必要だし))という様々な思惑に駆られてスタート。
ちなみに脳の発達、言葉を発するときに使用する筋肉の成長から、その言語のNativeと同様に話ができるためには12歳頃までには話すための筋肉の使い方を体が覚えていることが必要。
…じゃあNativeっぽく話せるようになりたい(かっこいいし!(必要だし))
まず第一歩目。単語を覚える。(ちなみにつかってるテキストはこちらです。)
TOEFL自体はそろそろ新TOEFLに移行する時期だと思うので、それに対する戦略っていうのは練り直す必要があるのだけど、ボキャブラリっていうのはテスト内容・方法がどう変わっても必要なことに変わりはない。
口も頭も、普段と違うところを使うような感覚があり気持ち良い。
そして、一週間程度続けていて感じるのは。”慣れる”ことの大切さ。
慣れる、もしくは慣れた気がする、というだけで英語の理解力はぐっと上がる。厳密には英語を理解する対象として受け容れられるCapacityが大きくなる。
勉強を続け始めるのと同時に、今自分が携わっている仕事の中でも英語の文献に目を通す必要が増えてきていて、それを読んでいて感じた。勿論、その仕事が楽しいし、自分として価値を出していきたいと強く望めるものなので、その目的意識が英語に対する耐久力を強めているのかもしれないけど。
と、だらだらと書いてしまったけど、英語。楽しみながら身につけていきます。
GoalはNativeっぽく使えるようになること、です(^^)

I need to … / I want to …

今日は仕事を早めに切り上げ、GLC(Global Leaders Club)主催のセミナーへ行ってきた。内容はリンク先の通り。メンタルタフネスを鍛える、ということについて。あまり意識せずにセミナーを予約し、参加したのだが、自分にとってはとても大切な気づきを得ることができた。
内容は聞いてみると、7つの習慣の中で言われている”Response + Ability”における具体的な対処の仕方であった。
”Response + Ability”について
外部環境から受ける影響と自分が内部/外部で生じさせる感情であり、外部へのResponseというものに直接的な関係は無い。Responseは自分で選ぶことができる、選ぶ能力(Ability)を誰しもが持っている(だからどのような外部環境下に自身がおかれていても、主体的に行動できるのだ)ということ。
で、その中で強くメッセージされていたのが以下。
1. プレッシャーは自分でつくっている。
2. ”~しなくてはならない。”ではなく”~したい。”へシフトする。
3. WillingnessとCapabilityは分けて考える。
1は既に書いたとおり。外部環境から何らかの影響を受けた、そのResponseとして自分でプレッシャーを受けるという選択をしているのだということ。そしてそのときの選択肢はプレッシャーを受けるというものだけではないということ。
2は絶対要求と相対要求について。
絶対要求(~しなくてはならない)というのはプレッシャーを自分に強く与える思考であり、また現実から見て論理的に正しくない思考である。絶対こうではなくてはならない、と思っても事実がそうあることはまず無い。事実に対して論理的に矛盾した思考であり、その矛盾に対して”不安”であり”怒り”であり”落ち込み”であり”罪悪感”というものを感じてもそれは現実逃避、攻撃、燃え尽き、自己へのネガティブなレッテルを貼るという無益な行動に繋がる。
また、絶対要求は甘えである。絶対要求は論理的な思考で無い上、ただの無いものねだりに過ぎない。
相対要求(~したい)という考え方は論理的に正しい。事実そうあることは絶対でないことを受容れた上で、そうありたいと強く願うことであるから。
勿論相対要求を抱いて、言葉として”~しなくてはならない”と発することもあればその逆もあるが、自身の内面に絶対要求を抱くことはプレッシャーを強く自分に与えてしまう可能性が高い。
逃避に繋がる不安は準備に繋がる心配へ、攻撃に繋がる怒りは攻撃せずに対処/解消できる不愉快へ、燃え尽き/とじこもりに繋がる落ち込みは発散/コミュニケーションに繋がる悲しみへ変換することが大切。罪悪感は、そもそも100%完璧な人間なんていうのは存在しないのだから、それに苦しめられて自ら自らに×のレッテルを貼ることは論理的に矛盾しているということで回避(?)。
3は2から派生したメッセージ。”~したい”ということと”~できる”ということは別。
例えば相手の行動がどうしても理解できない、受容れられないというようなシチュエーションを考えたときに、”我慢したい/したくない”と考えることと、実際に”我慢できる/できない”というものは別ということ。
3は理解できるが、でどうするんだ?というのはちょっと分かっていない。ただ、大切なのは(特に外部環境に対して)絶対要求は避けた方がいい、ということ。それは既に書いたとおりで自分に対しての燃え尽きや無力感へ繋がる。
そして上記に加えて大切なのは、相対要求(強い願望)を抱くということは絶対要求に対して、意志が弱いということはないということ。強い願望を抱くということと願望にとどめて現実を諦めるということは違うということ。他責にはしないこと。青い鳥はどれだけ探しても見つからないということ。プレッシャーを受けるという選択肢を選んでしまう可能性を著しく高めるような環境にいたとしても、そもそもプレッシャーというもの自体が自分にとってネガティブな影響を与えるのかポジティブな影響を与えるのでさえ自分で選択できるということ。
きわめて論理的で単純。面白く、大切な気づきであった。
セミナーにて偶然、経営戦略を共に学んだHさんに会った。久しぶりにお会いしたのだけど相変わらず物腰柔らかく穏やか。癒された(^^)
そして、大学院で勉強してることやその後のこと、短い時間ではあったけど色々とお話しすることができた。やはり共に学習する仲間の存在というのは貴重であり、本当にありがたいものであると思った。
自身もより傾きを上げて成長しなくてはならないしたい(^^)
ちなみに、イチローは絶対要求志向がつよく、松井は相対要求志向が強いらしい。また、日本人というのは絶対要求を貫く性向を美化する傾向があるらしい。