夏休み

今日から遅ればせながら夏休みをとった(夏休みなのか?)。ProjectのStatusからしても、今のうちにとっておかないとおそらく以降休むタイミングは無くなっていくのでギリギリセーフ。朝は早めに起きて外で本でも読もうかと思いPCと本とSTR Day6のケースを持って早々に家を出た(現在ドトール)。PCを開いてメールチェック。ざっと処理を済ませてBlogを書いている。
未熟なもので、こうして仕事から一歩離れてみると、普段頭を悩ませていた問題もさらっとハンドリングできてしまったりする。プレッシャーをリラックスして楽しむ力がまだ不足していると感じる(^^;)パフォーマンスを考えたらProject Roomにこもりっぱなしよりもたまには外で一人で頭を回したほうがいいのだろう。
今日はぶらぶらして所用を済ませ、明日STRの勉強会後実家に帰る。レポートもあるしそんなにゆっくりはできないのだけど、たまには頭の中空っぽにして遊んでこようと思う(^^)
さて、ゆっくりと本でも読もうかな。

肩の力が抜けたとき

肩の力が抜けたとき、ふと目の前が開けるような、ふわりと今までできないような気がしていたことができるような、そんな感覚になる。そしてそういうときは結果としてできている。ディスカッションのリードにしても、タスクの割り振り&指示にしても、他チームとの調整にしてもClientとの交渉にしても。

僕が持っているレンズは物事を難しく映すのだろうか。そして、そのレンズを、外そう外そうととして結果として別のレンズをつけてしまうのではなく、外そうという気もなく、結果としてふと外れたときに(=肩の力が抜けたとき)ありのままの現実を受け入れることができ、その現実に対してありのままの自分で対応できるようになるのだろうか。

上に書いたような、僕が今まで難しい・タフだ、と思っていたことは実は簡単なことだったのではないだろうか。いろいろな本から頭で吸収した文字とイメージを辿って現実に反映させようとするのではなく、それらを吸収してきた等身大の自分で現実を受け止め、現実に答える。何も背伸びをすることはない。そして自分が背伸びをしているのではないかと感じる必要もない。ただ自分でいればいいんじゃないだろうか。そして、そのただの自分を高めることこそが成長なのではないだろうか。

何が言いたいのか。

肩の力が抜けたときに等身大の自分が出てくるということ。そしてその自分は背伸びをしている自分よりも往々にして心は静かにあたたかく、そして広く、頭は冷静で何事にも動じないのだということ。その状態の自分が結果として高まっていることが成長であるということ。

で、その自分は肩の力を抜こうとして、その為に他のところに力をいれる結果では得られないということ。(結果としてそれでは肩の力は抜けないということ)

具体性に欠けるけど、こんなことを考えた。こんな自分で将来を描き、方向を定めて進むことが大切なのだと思う。なぜなら、一番頭に書いた”結果としてできている”と自分が感じる理由が、背伸びをすることを結果としてやめたことによって、”できている”のレベルが下がっているのだろうから。

本当にレベルは下がっている?どんなレンズで物事を捉えている?

こういうことを考えている限りはわからないだろうし、つけている何かしらのレンズはとれないだろう。

改めて人の優しさを知る

改めて人の優しさというものを知った。
今、チームを組織してプロジェクトに臨んでいる。メンバーも少々増え、チームとして形になってきている。ただ、正直プロジェクトのステータスは厳しく、予断を許さない日々が続いている。
そんな中でチームのマスタースケジュールを作成し、進捗を管理し、リスク・課題・ToDoを管理し、他のチームにディペンドする問題について歩調をあわせながら日々Taskも片付けていく。
メンバーへは断片的な指示しか出せない期間が続いていた。できるだけ頭を使ってもらいたいし、プロジェクトを楽しんで欲しい。プロジェクトを成功させることが大前提とは言え成長の材料として最大限活用して欲しい。そう思いながらもついつい一人で考え、時に悩み、部分的にタスクを任せる、もしくは目的と期限、そのために使って良いリソースやアドバイスを与えたまま進捗を見てあげられずに結果として丸投げになってしまう、といったことを繰り返していた。
そんな中で、今日は新メンバーが参画してきたため、全体を整理する意味も含めて、現在のプロジェクトのステータスとチームの全体進捗、抱えている課題・リスクを共有する時間を設けた。
詳しくは省略。
一通り共有し、中には一部メンバーで検討したことでより良いアクションプランが練られたものもあった。最後に、”他に各自のタスクの中で検討しておきたいことや、今後懸念されるリスクとか持ってるものがあったら共有しよう。”という話をした。
メンバーの一人が口を開いた。
「直接は関係ないのだけど、もっと自分達を使って欲しい。sagadさんには全体を見てもらって、作業は自分達に投げて欲しい。全体の方向性さえコントロールしてもらえれば自分達ももっと役に立てるはずだから。」
勿論考えていた。少々申し訳ないと思いながら僕は全体を見るためにもともとお客様だったり他のチームとの調整をして、タスクの方向性(Issueの特定と目次レベルの検討)を決定した上でメンバーへ仕事を振るように心がけながら、小さいタスクは自分で片付けるようにしていた(現実は既述の通りですが(^^;))。それを、もっとリーダーというかマネージャのロールへシフトしていいんですよ。僕達はこんなもんじゃない、まだまだやれるんですよ。とメンバーに教えてもらえたのだ。
嬉しさと情けなさの入り混じった感覚だ。
僕は厳しいマネージャが好きだった。中途半端な妥協や甘えを少しでも見せるようなマネージャは受け付けず文句(?)を言ってきた。ただ、文句(?)は言ってもそのロールを取って代わるほどのパワーは無かった。で、自分がマネージャの立場に立ったとき、メンバーに自分はどう映っているのか?自分の理想のマネージャとして映るように自分は振舞えていたのか?
わかってる。答えはNoだ。
中途半端な妥協こそ無くとも、確固たる信念やリーダーシップは行使してこなかった(持っているの??)
優先順位を思い出せ。
1. プロジェクトの成功
2. メンバーの成長の最大化
3. 自分の成長の最大化
だろ(^^)妥協や甘えなんて考えてる場合じゃないだろ!!ましてやメンバーの成長とか関係ないだろっ!!(ウェイトを占めるのは圧倒的に1)だってさ、自分が一番伸びるのって、あくまでお客様のObjectiveを見失わずに、がんがん進んでいくマネージャとプロジェクトを一緒にやったときじゃない!そういう時は彼(マネージャ)が自分の成長を考えてくれてるかくれてないかなんか関係なく、自分が勝手についていきたくて、必死で頑張って、結果として勝手に伸びていたじゃんっ!!
まどろっこしいことで悩んでないで、頭の芯/心の芯はシンプルに目的を捉えてでっかくはばたけよっ!!!!
と言いながら僕は改めて人の優しさを知った。
これで僕がしっかりと全体を見て、ベクトルを保った上でメンバーを引っ張り、各タスクはメンバーへ割り振って安心して作業に集中してもらう。で、僕はより全体最適を思考する。
小さいチームとは言え、相手(お客様)をハンドリングし、持てるリソース(メンバー)を適切に配分することが僕の仕事だ。
この好循環がwin-winの関係ってやつなのだろう。
同い年のメンバー、僕は彼から人格を教わった(^^)本当にありがたいことである。
頭の中に色々と、時に矛盾する考えも浮かんでくるけど、じっくり向き合って全てを統べて行きたいと思う。日々たくさんの刺激がある。ネガティブなものもポジティブなものも。どんな刺激を受けても人は反応を選択する権利と力を持っている。
”焦る””悩む”という反応をする前にスペースを置く。そこで適切な反応を選択する。焦ることが最善であるとき、悩むときが最善であるときは少ない(^^)

感謝して補助輪を外す

詳しくはかけないので例えて書く。
初めて自転車に乗るとき、補助輪をつけていた。補助輪とは、後輪の左右に伸びる小さい車輪で、左右から後輪を支えることでバランスをとるのが難しい自転車のバランスを担保する道具である。とても安全だ。補助輪をつけて自転車に乗ってるうちはよほどのことが無いとバランスを崩して転ぶことは無い。補助輪が守ってくれる。
ただ、慣れてくるとどうだろうか。滑らかにカーブを曲がろうとしたときやその他諸々の場面で、補助輪という存在は必要性を失ってくる。
そんな補助輪を外すことを決断した。自分ひとりでの決断ではない。周りからのアドバイスであり、その中での決定である。周りとの会話の中では、補助輪が補助輪として機能していない、それならつけている必要は無いだろう。むしろ無いほうが走りやすいのではないか等々色々な話が出た。
たとえが下手だな。うまくかけない。
端的に書く。
補助輪をリリースした。
費用対効果が低かったからだ。
でもその決断は僕が自発的にしたものではない。
リーダーは誰なんだ?
リーダーとは自分のチームがチームのミッションを果たすために(自分を含む)リソースをタスクに配分して走っていく存在だ。
リーダーは誰なんだ?
視点を変える。
補助を外すと初めは大体ころぶ。
でも補助輪が無いほうが自由に運転できる。
転ぶリスクを抱える分プレッシャーも高まる。責任感も高まる。
で、リーダーは誰なんだ?
時に補助輪を邪魔に思ったこともある。それでも自分を守ってくれている存在、頑張ってうまく走っていこうと思い続けてきた。それでも間違えていた。優しさと依存を混同していた。
僕は感謝して補助輪を外す。
そして成功へ向かって走る。これまでより強いモチベーションとレスポンシビリティを持って。
転ぶならスピードを出す前に転べ。
走り出す前に方向を間違えるな。
あくまで頭は冷静に。

自分の中に大きなYESを持つ

自分の中に大きなYES、胸を張ってYES!!と言えるものを持つ。
とても大切なことだと思う。
with condition / without condition、おそらくそれは問われない。どんな条件があってもでもいいから、それも含めて明確に、胸を張ってYES!!と言えるものを持つことはとても大切だと思う。
そのYES!!が、明確にNO!!と言える力になる。
大きなYES!!を言えない人はおそらく大きなNO!!は言えない。何か説得力に欠ける、後ろめたいNOは言うことができたとしても。
詳しくは書けないけど、しばらく”優しさ”って何だ?ということを考えていた。その過程で、自分がIssueを外しているということも考えた。
いや、考えていたというのは正しくないかもしれない。頭ではわかっていると思うから(優しさもIssueも)。頭の中では理想的な優しさが描けているから。その、自分の考える理想的な優しさが行使できない理由。僕はそれを、今の自分が、胸を張ってYES!!と言えるものを持っていないところから来ていると考えた。
じゃあ持とうよ(^^)
で、優しく明確にNO!!と言おう。Issueに応えずにまごまごしてるなんてらしくない。
相手への優しさと甘えを混同しない方が良い(^^)ましてや混同している中で生じるジレンマを愚痴に変換して一時的にすっきりしようなんてかっこ悪い(たまーにやっちゃったりしてますけど。反省(^^;))
…意味不明かな(^^;)