デザインのデザイン

デザインのデザイン
原 研哉 (著)
以前、仕事の中でメッセージをうまく支えるためのデザインを学びたくて”ノンデザイナーズ・デザインブック Second Edition”を手にした(当時のエントリー)。これと、写真が好きなことが手伝ってデザインというものについて興味を強くし、この本を手にしていた(my mixiの方からの推薦もあった)。
でも読み始めるのに半年を要しているので、もしかしたら興味のレベルもそこまでだったのかもしれない。
が、ようやく読み始めることができた。
読み終わると自分の内側には、新しい世界が目の前に開けたことによる清涼感のようなものが宿っていた。
本のはじめの言葉が印象的でそれに惹かれた勢いでそのまま読み終えた。

何かを分かるということは、何かについて定義できたり記述できたりすることではない。むしろ知っていたはずのものを未知なるものとして、そのリアリティにおののいてみることが、何かをもう少し深く認識することに繋がる。たとえば、ここにコップがあるとしよう。あなたはこのコップについて分かっているかもしれない。しかしひとたび「コップをデザインしてください」と言われたらどうだろう。デザインすべき対象としてコップがあなたに示されたとたん、どんなコップにしようかと、あなたはコップについて少し分からなくなる。さらにコップから皿まで、微妙に深さの異なるガラスの容れ物が何十もあなたの目の前に一列に並べられる。グラデーションをなすその容器の中で、どこからがコップでどこからが皿であるか、その境界線を示すように言われたらどうだろうか。
(中略)
コップについて分からなくなったあなたは、以前よりコップに対する認識が後退したわけではない。むしろその逆である。何も意識しないでそれをただコップと呼んでいたときよりも、いっそう注意深くそれについて考えるようになった。よりリアルにコップを感じ取ることができるようになった。

リ・デザイン、長野オリンピック、無印良品、松屋銀座リニューアル等、数々のプロジェクトに込められた意図。そのプロジェクトの中での著者をはじめとしたデザイナーそれぞれの意図とそれを体現するデザイン。デザインという視点での市場・人の感性教育への示唆。そして”あったかもしれない”もうひとつの万博のストーリー。
それぞれの中に、日常では気づききれていなかった素晴らしい意図の存在、デザインという分野の奥深さが感じられるエピソードや著者の思考がちりばめられている。
デザインを通じたコミュニケーション。もっと深く知りたいと感じた。
印象に残った言葉は枚挙に暇がないがそれを自分の解釈・言葉にはまだうまく置き換えられない。こういった自分にとって新しい分野で受ける感覚と言葉を、これから先結びつけていきたいと思う。

新奇なものをつくり出すだけが創造性ではない。見慣れたものを未知なるものとして再発見できる感性も同じく創造性である。

(賃金格差を利用したグローバリゼーションに関する文脈の中で)本来は問題となるべき経済格差をむしろ前提条件とみなしてそこに利益を生む構造を持ち込もうとする。おそらく未来においては糾弾されるであろう不平等な時代・社会の中に僕らは今生きている。

問題はいかにマーケティングを精密に行うかということではない。その企業がフランチャイズとしている市場の欲望の水準をいかに高水準に保つかということを同時に認識し、ここに戦略を持たないと、グローバルにみてその企業の商品が優位に展開することはない。
(中略)
マーケティングを行う上で市場は「畑」である。個の畑が宝物だと僕は思う。畑の土壌を調べ、生育しやすい品種を改良して植えるのではなく、素晴らしい収穫物を得られる畑になるように「土壌」を肥やしていくことがマーケティングのもうひとつの方法であろう。「欲望のエデュケーション」とはそういうことである。

日本人は常に自身を世界の辺境に置き、永久に洗練されない田舎者としての自己を心のどこかに自覚しているようなところがある。
(中略)
自己を世界の中心と考えず、謙虚なポジションに据えようとする意識はそのままでいいのではないか。むしろ辺境に置くことで可能になるつつしみをともなった世界観。グローバルとはむしろそういう視点から捉えるべきではないだろうか。

未来のヴィジョンに関与する立場にある人は「にぎわい」を計画するという発想をそろそろやめた方がいい。「町おこし」などという言葉がかつて言い交わされたことがあるがそういうことで「おこされた」町は無残である。町はおこされておきるものではない。その魅力はひとえにそのたたずまいである。おこすのではなく、むしろ静けさと成熟に本気で向き合い、それが成就した後にも「情報発信」などしないで、それを森の奥や湯気の向こうにひっそりと置いておけばいい。優れたものは必ず発見される。

「核反対」とか「戦争反対」とかいうような何かを反対するメッセージをつくることに僕は興味がない。デザインは何かを計画していく局面で機能するものであるからだ。

リーダーシップの旅

リーダーシップの旅 見えないものを見る
野田 智義 (著), 金井 壽宏 (著)
素晴らしい本だ。

働く理由

働く理由 99の名言に学ぶシゴト論。
戸田 智弘 (著)
この本は面白いと友達のコンサルタントが教えてくれたのをきっかけに手にした一冊。著者が様々なジャンルの著名人の言葉に解釈を加えてまとめている。文字が少なくて表現も平易なので読みやすい。1時間程度で読める。
働く理由というのは個々人それぞれが持っているものであり、その内容を答える本ではない。ただ、それぞれがどのような理由付けで動いているのか、何をするべきか迷った時にどのようにして道を見つけたのか/切り開いたのか、というようなところに触れられている。
自分も過去に何度か働く理由・意義というものについて考え、方向転換をする新たなコミュニティに入る等行動を変えてきた。最近もまた考えることがある。
人の生き方・言葉というのもとても素晴らしいものであり刺激的だが、自分の生き方・言葉もしっかりと見て・耳を傾けて前に進んでいきたいと思う。

「好き」の対象をただ見ているだけでは駄目だ。その対象についてじっと考えているだけでは駄目だ。いずれも「好き」の対象は自分と離れたところにある。「好き」の対象に近づき、それをしっかりとつかみ、そして組んずほぐれつの格闘を試みる。こうしたことを長い間続けていくうちに芽生えてくるもの、それが「本当に好き」の正体ではなかろうか。

生きるとは選択することだ。選択しないことは、実は自分の人生を生きていないということ。

「偶然の出来事」を「プランド・ハプンスタンス」に変えるには、好奇心、持続性、柔軟性、楽観性、冒険心の5つが必要である。

「ここではないどこかで、いつか始まるであろう物語」を夢見るのではなく、「今、ここで、一刻一秒、生身の自分がいきている物語」に目を向けよう。

幸福になる秘訣は、快楽を得ようとひたすら努力することではなく、努力そのもののうちに快楽を見出すことである。

幸福は求めない方がいい。求めない眼に、求めない心に、求めない体に、求めない日々に、人間の幸福はあるようだ。

「才能は自分の中になく、社会の中にある」
「才能は自分の中になく、他者の中にある」

仕事の効率が悪い方が、そこで働く人間達は豊かな人間関係を持つことが出来る

バフェットの教訓

バフェットの教訓―史上最強の投資家 逆風の時でもお金を増やす125の知恵
メアリー・バフェット (著), デビッド・クラーク (著), 峯村 利哉 (翻訳)
株式投資等に中途半端に手を出すことはしていないが、一度彼の考えや言葉に触れてみたくて手にした一冊。言われてみれば当たり前だけどその通り行動することは難しい、日常の中で気がつけば忘れている、そんなシンプルな部分をシンプルに突いている。
静かな語り口・当たり前をシンプルな言葉で突く力・迷いのない、かといって傲慢とも感じられない力強い言葉、内容こそ違うがドラッガーの著作と似た雰囲気を醸していると感じた。
いくつか印象に残った言葉を抜粋する。中でも最も印象に残っているのは、人は一生のうちひとつの心とひとつの体しか持つことができないというくだりだ。その前段には自動車の例が挙げられている。
もしも一生の間乗れる自動車が今手元にある一台だけだとしたら、あなたはその自動車を今と同様に扱うだろうか(もっと大切に扱うのではないだろうか)。
といったニュアンスだ。自動車は現実問題一生に一台しか乗れないということはないが、自分の心と体はいずれも一生に1つだけしか持つことはできない。
そんな大切な資産を、自分は大切にできているだろうか。
価値を上げる継続的な努力をしているだろうか。
そしてその価値を最大限発揮させることができているだろうか。

習慣という名の鎖は、抜け出せないほど重くなるまでは、軽すぎて存在を感じることができない

誰かを雇おうとするときには、誠実さ、知力、実行力という3つの資質に注目すると良い。中でも1番重要なのは、誠実さである。

挑戦しがいのある仕事は、人生をおもしろくし、自尊心と創造性をはぐくみ、世界一流の人々を引きつける。逆に、挑戦しがいのない仕事は、人生を退屈にし、自尊心の芽生えを阻み、モチベーションの低い人々を引きつける。

分散とは無知に対するリスク回避だ。

小事に規律正しく臨めない者は、往々にして、大事にも規律正しく臨めない。

考えてほしいのは、あなたが一生にひとつの心とひとつの体しか持てないということだ。常に心身を鍛錬すべし。決して心身の手入れを怠るなかれ。

質問は私たちに思考を迫り、答えは私たちに行動すべきか否かを教えてくれる。

ミスを犯さない人には意思決定などできない