ブルー

4/18, 19と続けて大学時代の友達と飲みに行った。
昔話、仕事の話、世間話…色々とでるのだけど最近多いのが恋愛の話と結婚の話。ふと思ったのだけど大学のときにはこんなに結婚の話したことなかった考えたことなかった。歳を取った。
で、話を聴いていると、俗に言う”マリッジブルー”というのものってやはりあるみたいで色々と話を聴く。
自分の中で考えたのは、”マリッジブルー”ってあって当たり前。そしておそらくは必要なものだろうということ。
これから一緒に生きていくために、
お互いの価値観を知る。
親から離れて二人の家庭というものを持つ。
家庭を背負うというプレッシャーを克服する。
結婚による優先順位の変化に順応する。
自分だけの将来像ではなく家庭の将来を描き、それを実現するということへコミットし、それによる自身のロールの変化、優先すべきものの変化というものを理解し順応する。
その順応(自分の中で安定した状態に辿り着く)過程で生じる葛藤による気持ちの浮き沈みの沈みの方、それがマリッジブルーだ。
ということで、マリッジブルーを効果的に超えるために必要なのは、お互いの価値観を理解して許容範囲外にあるものの対応を話し合い、背負うべき物は重くなるものではなく分かち合い軽くなるものであるということをお互いで確認し…なんて単純なもんでもないだろう。
少なくとも自分の周りにいる友達は結婚はお互い初めて。頭で分かっても早々気持ちと体はついてくるものではない。
お互いの価値観を知る、なんていってみてもそれは普段の生活の中で知るもので、簡単にできるものではない(だから付き合ってきた時間であり共に過ごした時間の量っていうのが結婚を考える上での判断軸の1つとしてあるんだろう)。
しかも価値観なんて深いところで理解していないと表面上は相手によって変わる。多分二人のバランスをお互い何らかの形で取ろうとする(キレイ好きでもなかったはずなのにパートナーが自分よりキレイ好きじゃない、となってみたら結構キレイ好きになってきた等)。
で、どうしたらいいと思う?
って聴かれると明確には答えられないのだけど、まあお互いがお互いを見失わない/手離さないようにする、っていうところに結局落ち着いてしまう。
ブルーになってるのはお互いポイントは違ったとしてもあるわけで、なんでそうなるかというとそれはお互いがお互いと結婚するって言うことを真剣に考え始めてるから、で初めてで良くわからないから。
二人してブルーになって、悩んで喧嘩して、っていう体験、それを乗越えて結婚するっていう体験が長い将来できっと二人の結びつきを強くするんじゃないかな、なんて思う。

ドレミにて

4日(火)はたまたま東京に出張に来ていた大学からの親友と人形町のドレミへ飲みに向かった。知らなかったのだけど有名な鉄板焼きのお店らしい。おいしかった(^^)
文字で書くと微妙だけど、ざっくりかくと、マヨネーズが遠くから細い滝のように飛んでくる。玉ねぎでドームがつくられてその中に油かお湯かを注ぐことで火山に見立てるような”見せる”焼き方を披露してくれる。そして味はおいしい。お好み焼きはふわっふわ。
で、話題に上ってきたのは2つ。
1つは仕事、1つは結婚。
今年前半に、今の会社を辞めて次のキャリアへ進む。そして結婚する。当然ながらその2つに話題は集中した。
最近仲の良い友達が何人か結婚に至っているが、その過程はやはり一筋縄では行かないようだ。そして、その一筋縄ではいかない過程を二人で乗越えていくその過程にて、二人でそれから先末永くともに生きていく、物理的な準備であり精神的な準備がなされていくように思える。また、お互いが自身の親から、本当の意味で自立するタイミングも、結婚というタイミングなのかな、という気もする。
特にお互い実家住まいで、俗に言う半同棲等、お互いの日常生活に関しては触れてこなかったという二人であればなお更その準備にかかる負荷は大きく、その負荷から得られるものも大きいだろうと思う。生活のサイクル、その中での優先順位のつけ方、種々の振る舞い等、付き合うという経験だけでは見ることができないものが見えてくるのだから。その結果として、自分の価値観だけじゃない、彼・彼女だけの価値観じゃない、二人の価値観というものをつくりあげていくんだろう。
で、この結婚というタイミングで親から本当の意味で自立しているような気がする。なんでそんな気がするのか考えてみた。端的に言うと”帰る家が変わる”からだろう。自分たち二人で、親にはできない自分たちの家庭というものを築いていくからだろう。そして、この結婚というものを機に、自分個人として背負うものが、自分自身の人生以外にも発生するからだろう。
なんだかんだいいつつも、彼らの幸せを心から祈っているし、それを実現する上で自分にできることがあれば、で、それを自分がやるべきならば、ちゃんとやってあげたいと思う。
結婚する友達みんなに、”なんで結婚することを決めたの?”と聞くと、大体はっきりした答えは返ってこない。勿論自分のうちに秘めておきたい、って人もいたのかもしれない。ただ、よくよく考えてみると、その質問に対して、”うん、理由は3つあるよ。1つは…”と明確に答えられてもおそらく自分は納得しないんじゃないかと思う。
結婚する理由を知りたい、と思いつつも、それが言葉で100%説明できてしまうことを望んではいない、というところだろうか。言葉で言い表せないものであって欲しい、もしくは言葉でキレイにまとめてしまうことがもったいなく思えるような自分たちとして特別なものであって欲しい、みたいな。
まあ、自分がするときになったら結果として身を持ってわかるのだろう。

何のために

今日は午前中にProjectの資料を作成して、午後からは日曜日にあるセミナーのセッティング準備。久しぶりの肉体労働だった。台車を使って各所から送られてくきている資料や備品を事務局へ集める。当日の参加者へ配布する種々のものをまとめるパッケージを作成する。
学生の頃以来かもしれない。機械的に物を袋に詰めていく作業。荷物を運ぶ作業。久しぶりだったのでProjectのことをぼーっと考えつつ、メモにとどめながら作業をしていた…腰が痛い(長時間中腰労働)(^^;)
その後は久しぶりに大学時代からの友達と新橋へ飲みに向かった。
どれくらいぶりか忘れてしまったけど、まあ大学からずっと繋がってる友達なので、久しぶりとは言え関係が疎になった感じは全く無い。おそらくこういう関係になると一生無いのだろう、と思える。いつあっても”相変わらず”の関係。
IT系大企業へ勤めているその友達はとても優秀。口数は少なく物静かだけど物事を考えるときは本質にこだわり論理的に考える。それでいて論理の限界もちゃんと心得ている。後、物事に前提(思い込み)をつくらずに話をできる。話していてとても心地よいし気付きも多い。
仕事についての話をした。
色々と話をしたのだけど、自分の中で結論付けると以下のようになる。
何はともあれやるからには楽しくやろう。で、どんな変化がきても自分の責任として背負える生き方をしよう。今は過去の自分の意思決定と行動によってつくられていることを自覚しよう。
当たり前のことだけど、結局こうやって考えて日々生きていればいいんじゃないかな、と思うのだ。
色々な選択肢がある。やってることが目的なのか手段なのか分からなくなる。現状に不満を抱かないことに危機感を覚える。そんなときもある。
人生色々なことがある。早いうちから目的を定義するのは良いとして、それを達成するために考えられるロジック構造どおりに人生が進むなんてありえないし、そんな人生では面白くない。ネガティブにもポジティブにも予想し得ない変化がやってくる。自分でコントロールできる変化なんて人生のうちのおそらくごく一部だ。
だからといって、世の中の変化、身近な小さい変化に対して感性を麻痺させて機械的に日々生きていくなんて人生は面白くない。周りの変化に流されて受身で人生を過ごしていくのも面白くない(いや、あえてそれを楽しむ期間っていうのは人生のうちあってもいいかな(^^))。
そう。自分としての意志の無い、無気力な人生は面白くない。
せっかくの人生。一回だけなんだし、”自分として生きたっ!”っていう何かを残せる人生を歩こーぜ!(^^)

最高の週末

この週末は実家の方面から友達が遊びに来た。初めて家に遊びに来てくれたので部屋を掃除して出迎え。
着いたのは土曜日の午前5時頃(^^;)金曜夜、仕事を終えてから車で東京まで来たのだ。その夜は布団を敷いて、友達がお土産に持ってきてくれたヴィンテージ・ワインで乾杯。写真は違うけどこれがまた美味しかった(^^)そしてあっという間に眠りに着く。
土曜日は昼前に起きて家の近くにある喫茶店”駱駝”へ。検索してもぱっとしたページが見つからないためリンクは割愛。これまででおそらく一番美味しいコーヒーを飲みながらマスターと色々と会話。面白く、また奥の深い時間を過ごした(コーヒーは美味しい上に安い)。
その後、友達と合流のために表参道へ向かう。そしてDragon Fly Cafeにてランチを済ませてぶらぶら。美容院を終えた友達と合流してなんとなーくコム・デ・ギャルソンへ。
おすぎかピーコに出くわす。
初めて本物を見たが、端的に書くと、小さい、おなかが出てる、すっぴんだと肌が荒れてる。…そしてどっちなのか(おそらくおすぎ)わからない。
その後、同じく表参道のキル・フェボンにてタルトを食べる。京都の三条にもあり、一度か二度言ったことがあったが東京では初めて。おいしいタルトを食べながら込んでいる中馬鹿話にはなを咲かせる(^^;)
その後散歩がてら渋谷へ移動l、色んな店を適当に見ながら。そして夜ご飯は銀座の”やまと”へ。豚料理を堪能(^^)特に、薬膳不老長寿鍋は本当に美味しい。他のメニューとは別に、結局6人で5人前を完食。ほんっと美味しい(^^)
そして、ひょんなことから、中学の友達がマスターをしている白金のバーへ移動。散々飲み食いしてきた(^^;)…申し訳ない(→友達)。そして写真はそのときに創ってもらったフローズンカクテル。美味しい。
散々のんでしゃべって、楽しい時間を過ごした。そしてひょんなことから将来についての議論へ。といってもマスター(中学の友達)と自分。お酒のせいだろうか、友達の話を聞いていて以下のように感じてついついきついことを言ってしまった。
・敬語で話す(なんで昔からの友達なのに商売口調なんだよ!)
・お金の話ばかり(お金の前にビジョンだろ!)
・具体的な話が無い(お客さんの投資も何も、その前にビジョンだろ!)
・友達と比較してものを言う(何のために比較してんだよ!)
きついといいっても言ったのは要するに一言。
”で、結局何のために何がしたいの?”
手段の話は散々するし上記の通りだけど、目的って何よ?という1つだけ詰めた。
それが無い、ひとりよがりのHowに終始した話って聞いてて腹が立つので(よってたからかもしれないし、もしかしたら自分に対する苛立ちもまざっていたかもしれないけども)
友達マスターも酔っていたからか、ちゃんとした議論にはならず。多少の後悔もあるが言ってよかったと思っている。ビジョンが無いと、Why?とWhat?っていうのが明確じゃないと自分的には×だと思ってるので。
にしてもお世話になった。美味しいお酒と手料理を堪能してきた(^^)
って帰ったのが日曜の朝の4時半。一人始発で帰して全員就寝。
昼に起きて浅草観光へ。といっても浅草寺を見ただけ。以前Blogで紹介した亀十のどら焼きと井泉のとんかつを食べて帰る。
そして友達二人はまた車で去っていった。
久しぶりにずーっと笑っていた土日だった。(あ、違う。バーでむかっとして議論(口論??)していたのだった(^^;))
大切なものを取り戻せたような気がするし、バーのマスターの友達から学べたことも大きい。本当に有意義な週末であった。

生きるために生きる

ばたばたとしている間に連休も終わり次の週末。
前の連休で実家に帰り、友達の家へ遊びに行ってきた。そこには7ヶ月の赤ちゃんがいる。これまでに何回か遊びに行って見ているのだが、見るたびに大きくなっている。髪も伸び、顔つきもだんだんと赤ちゃんから子供になり、出す声も大きくなり、はいはいしたり物に手を付いて立ったり。
見るたびに成長している。
意図的に何かする、という段階まではおそらく来ていなくて(でも人見知りするようにはなってきてるので、人の顔だったりは認識できてるのだろうし、その人たちに見られている自分というものも意識でき始めているのだろうけど)、ひたすら生きている。
生きるために生きていて、それに一生懸命だ。
そんな彼のパワーに感心してぼーっと見ていたら、テーブルから手を外してしまって転がってきて僕のひざに頭を”ゴンッ”。
…大泣きしてしまった(^^;)
それでもすぐに笑い出してまた歩き回り、僕に登ろうとしたり、テーブルに手をついて立ってテーブルの上のものを振り回して投げたり…
ずーっと動き回っている。
彼自身の生きる力も、周りに与える影響力も、赤ちゃんというのはすごい力を持っている。今の様々な体験から彼は学習し、自分の中に世の中をつくっていく。
素晴らしい世界を持てるように育ってほしいと思う(^^)