昨日の話。ここ最近一緒にプロジェクトをしているパートナーに思いきり叱られた。感情と表現力豊かなそのパートナーはその勢いあって色々なことを言うのだけど、根っこの部分は自分の内面に照らしても正しく感じられて、でもそれはきっと言われなければ気付くことができていないところで、とても嬉しい叱りだった。
最近は、あるものさしをもって自分のコンサルティングスタイルを見直す機会を得ていた。なので良し悪しが見えてきていたつもりだった。でも、良し(ものさしに照らしても問題ない)と思っていた、当たり前だよそんなことはと思っていたところが実際にできていなかった。場合に応じては勿論当たり前にしていることであっても、そうする場合を読む力、もしくは場面関係なく自然と立ち振る舞える力がなかったのだ。ほんの瞬間の不適切な行動が全てを壊してしまうこともあるというのに。
こんなことに気付くたびに大差ないと思っていたものさしに対して自分が小さい存在であることに気付く。
気付かせてくれたパートナーに感謝して、瞬間を積み上げていきたいと思う。
タグ: Work
Mentoring
慌しい日々が続く中メンターがUSより一時帰国。30分程度時間をもらって近況を話す。メンタリングという話だったのだけど自分の中に特別アジェンダをつくっていたわけでもなく近況から今後どうしようかという話までする。丁度今日、ようやく一息つけたところだったのでゆっくり話はできた。けど頭の中は整理し切れておらず(むしろいちばんちらかった状態だったかも)、ナラティブに話した。
不思議なもので何気ない一言一言が自分の、気がつかないうちに狭くなりつつあった枠を広げてくれるように感じられてとてもよかった。これは性格の問題なのかもしれない。心のどこかでこうしたいああしたいと思いながら、そう思ってることも忘れて日々走り回っていたことが、メンターから”こうしたほうがいいよ”と一言言われるだけで、”あ、そうしよう”と思ってできはじめたりする。往々にして自分が”できない”と思っていることは”やっていない”だけで手をつけてみればできたりする。そのきっかけを与えてくれる。
時折、自分が成長してないんじゃないか、カーブが緩やかになってるんじゃないかって思うときもあるのだけど、それに焦らず、自分らしくという気持ちにも甘えずやっていきたいと思う。
本当に辛いのは
睡眠時間が確保できないことでも、1時間前のことも思い出せない嵐のような状況に身をおくことでも、プレッシャーにさらされながらギリギリのスケジュールでひたすら走り続けることでもない。
やっぱり自分で自分の存在価値があると感じられないことなんだと思う。その場において。
なのでそれが感じられれば、上記は苦にはならない(精神的に)。
たまに心配をかけてくれる人もいて、その優しさがとっても嬉しい。ただやっぱりそれが存在価値を出すのに必要なやり方ならば何にも苦にならない。むしろやるべきことなのだし。勿論常うまいやり方は考えるのだけども。
ギリギリの状態こそが面白い
自分のcapacityを明らかに超えてる気がする。だけどやり遂げたい、少なくとも気持ちの上ではなんとかできる気がする。そんな状態が面白い。なんとかできそうというのを気持ちのままで終わらせては意味がないのだけど。自分の形にも通じるものがあると思うのだけど、自分の能力の一部を切り取って、その部分だけでやれる仕事だけをやるというのはあまりに退屈だし自分がつまらない人間になってしまいそうで怖い。
自分の全てを出してもできるかどうかわからない、そんな状況におかれて初めて学べるものがある、自然とできるようになることがある。そんな気がしている。
例えば、本で読むリーダーシップよりも、ケーススタディで学ぶリーダーシップよりも、自分以外に走れる人間がいなくなったときに、自分で走りきれる自信はないけどやるしかないと決意して立ち上がる。チームを支えて/引っ張ってなんとかする。そうして体で学ぶリーダーシップの方が比べようがない程に得られるものが大きいと思う。
はみだしてこそ面白い
以前にも似たタイトルでエントリーしていた気がしていた。だけど検索してもでてこないのできっと書こうと思って書かなかったのだろう(それか検索のキーワードか精度かが悪いか)。
一緒に仕事をしていて楽しい人、見ていて魅力的な人っていうのは往々にしてはみ出している。組織上期待されるものは満たしていて(たまに抜けていたりするけど笑って許せる程度)、それ以上に何かをやっている。期待の枠組みにはまることなく、自分がやりたいことをやっている。その人の周りはいつも何かイベントが起こっていて、いつもワクワクしながらそれを乗り越えている。平時という感覚があまりない。常に自分で新しい何かを見つけてチャレンジしつづけているから。
期待されていることだけ満たしている人は、優秀な人が多いのだけど、面白みがない。良く躾けられているなあという印象だ。平時は何も気にならないが、有事の際に線の細さを露呈する。
期待を無視して / 満たすことなく自由にやってるひとは、自由なんだけど他人とかみ合わないことが多い。その組織に存在する義務を果たさずして好き勝手やっているのだから信頼を得られるわけでもない、影響力をもつわけでもない。期待値の範囲は小さくなり、それと引き換えに柵は高くなり、その結果自由が利かなくなる。持っていたかもしれない面白さも失われる。ただ、有事の際には思わぬ力を発揮することもあるのかもしれない。が、往々にして何か力を持っていたとしても組織で有事に立ち向かう際にはこういう人間の声は誰の心にも届かない(それが良いのか悪いのかはわからない)。
期待を理解し、それを満たすこと。
期待の形にはまらずに自分らしく、自分のやりたいことを追いかけ続ける / やり続けること。
期待の枠組みを突然ずらされることもある。柵を高くされて身動きの取れない状態に陥ることもある。一人でやっている仕事ではないし、相手がいるのだしその数だけそれぞれの形がある、思惑がある。常に自分の思い通りにやれることは少ない(自分がそういう状況にあるわけではありません)。それでもどちらも忘れずにやっていきたい。
仕事の目的を達成するための自分ではなく、自分の目的を達成するための仕事なのだから(こう書いてしまうと自己中に聞こえてしまうのだけど)。