これがパートナーなんだな

先日もブログに書いた圧倒的に切れるパートナーとのプロジェクト。何か懐かしいと思ったらこうしてパートナーとのどっぷり一緒にプロジェクトに入ったのが数年前にあり、そのときの感覚と重なっているからだ。
とても楽しくて、とても苦い。
楽しいのは話が何かと早くて、また最終的には自分では辿り着けないところまで自分を引っ張りあげてくれる(必死にのぼるのだが)ところであり、苦いのはその過程で自分を至らないところがまざまざと自覚されること。彼がいてなお自分の価値をだしていくために必要な努力とプレッシャーが並大抵でないということ。
彼は思考が極めてシンプルで迷いがなく、ロジカルなのだけどロジックに依存することなく、土地勘がないところでも雰囲気ではなく極めて具体的に仮説を様々な角度からつくりあげていく。相手の話を論理的に聞くことができ、合点が行けば素直に起動修正し、その途端に相手の考えが及ばないところまで自分の考えて補完してより良いものにしたてあげてしまう。
怒るときは素直に怒るが、それでいても自分が悪いと思ったり相手が自分を納得させる理由をもっていると(ここは素直にではないかもしれないが)怒りを引っ込める。
融通無碍という言葉を僕は好きなのだが、それを体現しているようにも感じられて人間としてもとても興味深い(人間観察が好きなので)。
ここはひとつ素直に吸収して自分をすくすく育てたいと思える。

志に惹かれる

自分は製品にしてもサービスにしてもを選ぶとき、どんな内容であるか、スペックであるかより相手の志に惹かれて選ぶ傾向がある。先日もそんな、アツい意志をもった方と接する機会があったのだが本当に嬉しくなる。ワクワクする。
コミュニケーションのインターフェイスが構造的でなくとも、自分中心でたまに配慮がかけるように感じられる対応も、根底にある一貫したシンプルなビジョンとそこに向けた溢れんばかりのエネルギーとたゆまぬ努力をみていたらチャーミングなポイントとして映る。
コンサルティングをしているとお客さまの中に、第三者立場とはいえ深く入る。会社の中には、地位に関係なく、組織に関係なく、その会社らしい価値観であったり考え方であったりのクセが必ずある。大きな組織のなかで例えば1つのプロダクトを生み出すまでには現場の至る所で日々物語がつむがれている。それでも一生懸命お客さまのことをことを考えるに連れて、その物語や自分たちの価値化は色を潜め、彼等が何を望んでいるのかを探ること、それを満たすために努力することが前面にでてくる。そしてその満たしたスペックだったりサービスの内容を説明することが市場とのコミュニケーションの中身になる。
もっと真っ直ぐに、内側にひめている自分たちの意志を伝えてよいのではないか。求めている機能ははあるとしても、お客様はその機能をアピールされることでその会社に惹かれるのだろうか。
ふとそんなことを思いながら自分のコンサルティングスタイルをふりかえる。

ワクワクさせるヒト

諸事情あって急遽新たなプロジェクトへ参画。とっても切れるパートナーとのプロジェクト。とても楽しみにしているし早くも楽しい。楽しく鮮やかに自分の思考の浅さに気づかされる(それで楽しいで終わっていたらいけないのだが)。本当にヒトを鍛えるのはこういう経験ではなく、どうしようもないような状況を独力で切り抜けるような経験、修羅場経験だと信じてる。
しかしそういう経験を求める(いざそうなると大変なのだけど)一方で、こうした圧倒的に優秀なヒトと仕事を共にできるというのがとっても嬉しくもある。
極めて頭が切れて、フラットで、自分の感情に素直で、自分の好きな仕事を一生懸命やる。
そんなパートナーから学べることは無数にある。
楽しみだ。

限りある自制心

今日のライフハッカーのエントリーの1つに、自制心は尽きるものであるという話があった(http://www.lifehacker.jp/2010/06/100604whychangingisdifficult.html)。ある実験で、食べたいものをを我慢したグループは、それをしなかったグループに比べて難解なパズルを諦めるのが早かったと。先に自制心を使っていたので、難解なパズルに粘るという自制が利かなかったのだと。
自制心が有限なのだとしたら、普段仕事とで自分を抑えてしまっているひとは、プライベーで自分を抑えれば抑えてしまっておけばもはや仕事で自分を抑える力がなくなっているということになるのではないだろうか。
仕事で自分を抑えてしまっているが故にプライベートでで自分を抑えられずにルーズな時間の使い方をしてしまうというケースは少なくないようにも感じるし。chicken – eggかもしれないがちょっと仕事で自分を出して、自制心を残しておいてプライベートでつかって仕事で自制しなくするというサイクルにもっていくか、少なくなった自制心を絞り出してでもプライベートで抑えてもはや仕事でで自分を抑える力をなくすというサイクルにもっていくか。
我慢に限界があるって考えたら自明の話か。

何を待っているのか。

迷っている時間はない、行動を起こさなくてはならない。そう思っているときに、迷っている時間はなくて行動を起こさなくてはならないのですと上を説得するために材料を集める。時間がないという切迫感が焦りを生む。焦るほどに論理を飛躍させて主張してしまいそうになる。説得される側はその焦りが見える程に相手のメッセージにバイアスがかかっていると先入観をいだき意思決定のハードルを上げる。細かくじっくりみようとする。結果として意思決定は先送りされる。それゆえに更に焦る・・・。
今意思決定する価値とリスク。
今意思決定しない価値とリスク。
”動く”という意思決定だけを考えれば必要なのは上記の比較とその結果をみるのではないか。
一歩踏み出す前に、行き先と千歩の道筋と必要な体力やら食料やら一緒に歩く仲間やらが全て見通されていなくてはならないのか。でなければ最初の一歩さえ踏み出せないのか。
なんだろう。
企業に限らず個人にも同じ事が言えるのだが。