久しぶりにゆっくりした一日

今日は久しぶりにゆっくりした一日だった(^^)(夜はちょっとやることがあるのだが)午前中にはようやく髪を切りに行ってきた。いつもお世話になっている美容師の方が店舗を移動したということで、道に迷いながらも何とか到着。振り返ってみると前に髪を切ってから3ヶ月が過ぎていた。夏も過ぎた。いつもどおりばっさり切ってすっきりするか、徐々に伸ばしてゆるめにパーマでもかけてみようか。色々と考えながら結局パーマはかけずいつもよりは長めに残してもらう…ちゅーとはんぱ(^^;)
色々な話をしつつ、結局のところたどり着くのは最近の話(すみません(^^;)言いふらして気を紛らわそうとかっていうことは考えていないつもりです。)。そしてむしろ美容師さんの話。辛い経験って誰しもしているものなのだなぁ、と感じながらお互いに自分の話しをしながら妙にわかりあう。こういうときに頭に浮かんでくるのは”7つの習慣”。あの本と出会っていて本当によかったと思う。これからも頭の中で反芻するなり、時に読み返すなりして自分のものにしていきたい。
で、昼過ぎに終わってそのまま家に帰ってしまうのも何か物足りない気がしたので表参道から渋谷へかけてぼーっと散歩(写真はそのときのもの)。
僕は歩くことが好きだ。30分くらいでつけるのなら、歩く元気があって、急ぎの用事でないときは大体歩く。道がわからなくともなんとなくで歩いても何とかなるものだ。色々と頭の中に考えをめぐらせながらでも楽しい。そして気になるshop等あればそこによって見るのもまた楽しい。今日は、えっと…とおりの名前を忘れてしまったけど祭りをやっていた。何祭りかはわからない。活気にあふれていて、見ていて面白かった。
帰ってからはごろごろしながら本を読み、そのまま結果として昼寝(^^;)おきてから部屋の片づけを始める(今も継続中)。僕は片付けをあまりしない。さすがに生ごみとかそういうのは片付けるけど普段は自分が生活するスペースが確保できればいいと考えていた。(以前、生活を整えると言いつつも落ち着くところへ落ち着いてしまっていたのです。)
ちょっと変わってみよう。いざ片付けてみるとやはり広い部屋でありすっきりした部屋というのは気持ちがいい(まだ途中だけども)。
最後にまた美容師さんとの会話であり最近感じることに戻る。
僕は最近面白いことに気が付いた。それは、”みんな色んな経験を経て、その上に成り立っている”ということ。当たり前のこと。ただ僕はこれまでそこ(個々人の今を成り立たせている歴史でありストーリー)というものに興味を持っていなかった。自分のIssueを支える要素に対する影響の有無を考えて、有るものにのみ興味を持っていたのかもしれない(ちょっと大げさに解釈しすぎの可能性あり)。本当の意味で”人を理解する”ということをしてこなかったのだろうなと思う(失礼すぎますね。本当に。)。
そして、色々と話を聞いてみる、質問を投げかけてみるといろんなことを話してくれる。教えてくれる。宝箱を開けるような面白さがある(^^)(←これも失礼ですね…)そして僕に対しても、自分の考えの上で質問を投げかけてくれる。自分に無い考え方を教えてもらえる。
人間というものは、これまでの僕が思っていた以上に面白いものなのだと思う(^^)そう考えると僕の周りには様々な、キラキラ輝く人がたくさんいる。(よくよく考えてみると本当にたくさんいる。)
幸せである(^^)
机に向かう勉強のプライオリティは下げる頃なのだろうな、と感じる。一人で机に向かうなり部屋でごろごろするなりして本を読むことよりも、友達でありと遊んだり勉強したりする時間を優先するようにシフトしていこうかな(^^)
僕が時折感じる”コミュニケーション力不足”。勿論力は不足しているのだが、もっと足りないのは相手であり自分でありの心とそのやり取りを楽しむ気持ちだったのではないだろうか。心に対して頭だけで返すコミュニケーションへの違和感ではなかったのだろうか。

友達と飲みに行く

昨日の夜は仕事を済ませた後、友達と3人で飲みに行った。ここのところ仕事帰りにどこかへ飲みにいくというのはそんなに無かったので久しぶりで楽しみにしていた。これまでそんなにたくさん飲みに行ったわけではないがその友達と飲みに行くと大体パターンが決まっている。
①飲みっぱなし
②話しっぱなし
時間を忘れて本当にこうなるのだ。3人とも酒が好きで特にビールが好き。で、自分の仕事に責任と誇りと喜びを持ち、将来を熱く語る。
なんとびっくり。
8時半頃に店に入ってはじめ、次に時計を見たときは12時半前。ずーっと仕事にまつわる話をし続け(自身のMissionであり、尊敬できる人物像であり、自分たちの会社の戦略や、今携わっているプロジェクト等の話)飲み続けた。後で確認したところ、3人で生22杯を飲んでいた(^^;)
大体最後のほうは酔ってあんまり頭が機能しない状態で話すことになり、後々”あー、あの話は酔う前にしたかったなー”ということになる。それが次に飲むきっかけをつくるのだろう(^^;)(やっぱり飲みたいのです。)モチベーションを自分で高いレベルでコントロールし、熱い意志をもって生きている人と触れ合うことは本当に楽しいことであり、それができることは嬉しいことである。
明日はSTR Day5。楽しく嬉しい半日が待っている(^^)

人を見る目 ではなくて気持ち

一時的にか、はたまたこれからもなのか。人を見る目が変わったというか、人を見る軸が増えたというか、そのような感じがする。どんな軸かというのは最近の日記の流れのとおりで、少しビジネスを離れたところでの人の気持ちであり、感情でありについてである。
以前もどこかに書いた気がするのだが(Upせずに消したかもしれない)、時折僕は、自分にとってクリシン(論理的に頭で物事を解釈すること)は心の弱さを隠す手段になっていると感じることがあった。(明快に、漏れと重複がないように事実を並べて自分の主張を支える。)で、この力は自分の弱さを隠すと同時に、職業上、基礎の基礎として必要な力であった。だから僕はよりうまくこれができるように(心を混ぜるのではなく頭のレベルで)磨いてきたつもりだ。
で、今回のプロジェクトでチームのリーダーのロールを任されることができ、またこれまでのプロジェクトでうすうす気づいていて、”頭だけでは個人の作業のアウトプットにしか効率的に効いてこない”ということで、マインドに関する吸収を積極的に行った。それは、リーダーシップであり、モチベーションであり、コーチングであり、交渉術であり、またEQや7つの習慣にも触れた。正直全てが自分にとって非常に有益な内容であった。そりゃそうだ。だってこれまで自分が意識してこなかった、育ててこなかった分野だったのだから。僕にとってこれらは芽を育てるための水や土や、栄養ではななく、”芽”であり”苗”であり、とにかくそのものだったのだと思う。
ただ、それについても僕はどちらかというと頭で理解していた。そして頭で動いていた(おとといくらいに日記に書いた、本を頭の中で辿ってそれに従うこと)。どういう場合にどういう動き方をするのか、Senseすることも頭で考え、頭で悩んでいた。その結果が心に降りてきて、時に心を暗くするときもあった。
で、上記のような流れの中で、”なんか左脳ばっかり使ってるな”と感じてきていた。大学のときも(というか昔から)色々と自分で考えたりすることは好きだったが、IssueもFrameworkも考えたことはなかった(卒論でちょっと考えたかな。でも穴あり(^^;))。ただ、そこには常に(少なくとも自分の中での)納得感と、オリジナル感と、そしてそれらに支えられたコミットメント(というほど小難しいことは考えてない)のようなものがあった。考えることは好きだったが、それ以上に物事から色々と感じ取る自分であり、その感じ取る内容が好きだったのだ。クリシン的に考えるよりは自分の感性に従って思いのままに頭を従えることが好きだった。おそらく右脳を使っていたのだと思う。あくまで個人的な感覚だが、悩みや考えを整理するという作業では左脳を中心に使い、未来を考える、想像を膨らませるという作業では右脳を中心に使っているような気がする。
で、今。僕は自分に対して言えることがある。それは、
「本読んで自分の心を磨いたって、それだけじゃ光らない。現実を見るんだ。自分が対峙している相手の心を受け止めるんだ、頭を働かせるよりも先に受け容れるんだ。まず頭に走りこむ、それはやめたほうがいい。受け容れた上で、頭を働かせるより先に自分の心を開くんだよ。で、その心が頭を従えるんだよ。」
ということ。
相手の気持ちを受け止めず、受け容れずに頭を働かせるというコミュニケーションが(ビジネスでなくプライベートで、いや。ビジネスでもだろう。)どれだけあいてを傷つけるものなのか、乾燥した、やわらかさや遊びを失った、冷たいものなのか、ここまでで書いてきたように頭を偏重していた(今もしているのかもしれないな)僕は全く気づかなかった。気づくことができなかったんじゃなく気づかなかった。気づこうとなんてしなかったから。
相手が心のやり取りを求めたいたときに、それを頭で解釈し、頭つくった考えで返していたのだったとしたら、僕はどれほど相手を傷つけてきたのだろうか。そして相手はどれだけ辛い思いをしてきたのだろうか。どんな気持ちで時間を過ごしてきたのだろうか。
今になって考え、自分の成長に結び付けようとしている自分はどれほど利己的で、愚かしい人間なのだろうか。
…人を見る目からどんどん離れていく(^^;)(タイトル変更)
ここにきて自分が何を書きたかったのかもちょっとわからなくなってきてしまった感じだ。いや。自分が何を書きたかったのかは、頭でわからなくとも心ではわかっているはずだ。
ここまで書いてきたこと。おそらくそれが僕が書きたかったことだ。
そしてここで今の自分に言えることは、
「本読んで自分の心を磨いたって、それだけじゃ光らない。現実を見るんだ。自分が対峙している相手の心を受け止めるんだ、頭を働かせるよりも先に受け容れるんだ。まず頭に走りこむ、それはやめたほうがいい。受け容れた上で、頭を働かせるより先に自分の心を開くんだよ。で、その心が頭を従えるんだよ。」
ということ。そして、
「今はその相手とは自分なんだよ。」
ということ(相手はいないからね…イテテテテ)。
勿論自分だけを見ろということじゃない。過去であり今であり、そしてこれからを見る上で、まず自分と向かい合おうと。そしてそれからでしょうと。過去を振り返るにしても今、これからを見るのは。自分と向かい合う過程で自分が変われば(自分に見える)現実も変わってくるのだろうけど。
ちょっと浸りすぎなんじゃない(^^;)??お前甘えてんじゃねーよ!!どさくさにまぎれて都合よすぎ!!なんて気が大いにするのだけど、こういうときこそ自分に対して言えることを素直に受け止められる気もまたするのです。
ここまでこないと受け止められない弱さも認めて、自分の中の矛盾も認めて、まずは自分に言われたことに従ってみようと思うのです。

GMS納涼会の写真を見た

確かこの週末に開催されていたGMSの納涼会。mixiの中で写真がUPされていたので、見てみた。懐かしい方、顔は知らないがmixi上では知っている方、多くの面々が思い思いの格好をして参加されていた。見ているだけで当日、その場のテンションが思い浮かぶ(^^)僕も行きたかった(^^;)大学時代の仲間もそうだが、こうして社会人になってから仕事を離れて自主的な自己研鑽の場で出会う仲間というのも本当にすばらしいものだと思う。
能く遊び、能く学ぶ。
もっと人生の幅を広げて生きたい。

恋愛か~

今日は少し早めに帰宅。
今日中にやるタスクはざっと片付けて、19時過ぎにはプロジェクトルームを出た。

突然早く帰れることになった(帰ることにした)から、そこから友達を適当に誘ってご飯でも、と思いながらコンタクトを取るも誰もつかまらず…(^^;)こういうときは少し寂しい。にしても普段のみに行くような友達がそもそも少ない気がする…。

家に帰ってぼーっとご飯を食べながら久しぶりにTVを見た。

で、ゆっくりと本でも読もうかと思っていると友達から電話がかかってきた。

中身をざっくりとまとめると、恋愛の話(相談というより結果)。僕自身はそういう話は特に無いのだけど、人のそういう話を聞くのは面白いし好きだ(^^)(って本人の気持ちを考えたら、面白いというのは適切な表現ではなくなるときもあるのだけど)

そして、ふと大学時代のサークルの卒業文集(懐)のランキングを思い出した。ちょっと引っ張ってきて抜粋。母数が少ないからまぁ誰でもどっかにのっかってくるのだけど。

・クールな人 : 二位

・繊細な人 : 一位(洞察力No.1)

・キレル人 : 二位(怒る方じゃないですよ)

・オトナな人 : 一位

・あったかい人 : 二位

・弱った時ふと頼りたくなる人 : 一位(だんとつです)

・男として初めより株が上がったかなあと思う人 : 三位

・抱かれたくないヒト : 二位

・しゃれになってないヒト : 三位

・ビンタしたいヒト : 二位

えっとと、この10コの要素からSo what?を抽出するとと…So what…??
どんな人間だと思われていたのだろうか…。今更ながらに気になる。

で、結局文集を一通り読む。

すごくあたたかい気持ちになる。まだまだこれからだろ!!!って気持ちになる。すごく切なくなる。集まってバカをやりたくなる。

色んな気持ちが出てくる。

そんなみんなも気がつけば2●歳。

集まったときは変わらないけど、普段はそれぞれ思い思いの人生を歩んでいるのだと思う。

僕はいいものをもってる(^^)☆改めて感じた。大切にしていきたい。