一歩一歩

ここのところ忙しかったのだけどこの週末で落ち着くことができた。一週間の中でその日が何曜日なのかよくわからないような生活をしてきたのだけど、仕事の一部は早々に結果を得ることができた。嬉しい。次からのやる気にかえていきたい。
仕事の方は順調に求められる貢献のレベルがあがっていて、自分が望む成長の機会を得られる環境が整っていてプレッシャーと成長への興奮を感じられる。
僕は会社にはいって最初の研修が終わったあたりからGMSへ通い始めて、その後ITコンサルへ、そしてその後もGMSへ通いつつ戦略コンサルへと所属を変えつつ、常に外部のコミュニティに属しつつCareerを歩んできた。その結果からなのかもともと自分の性格からなのかはわからないが、基本的に1つの組織や集団の価値観にどっぷりつかることを避ける。何か怖さを感じるし、染まって同じ方向へ向くことに疑う気持ちを持たなくなってしまうことがつまらないからだ。
社会人になり、コンサルタントになりたい!と考え始めたときの、ある種世間知らずなだけにピュアに理想を描いていたときの興奮と、そして今いる環境/ポジションにくるときに考えていたより具体性を増した自分の理想を忘れずに、これからも走っていきたい。
長所も短所もあるのだけど、全部受け入れて理想に向かって生きたいと思う。

Brush Up

今日はEngagementの最終報告。プレゼンの資料を確認し、頭の中を整理する。全体の流れをイメージしながらディスカッションするポイントを洗い出し、そこに必要な知識をまとめていく。
過去読んできた本や調査した資料を振り返ってみると、Engagement workに限らず自分がこれまでInputしてきた知識の価値に気付く。そしてそれを活用しきれていなかった部分があるのではと考えたりしてみる。正解が無い中で仮説検証とディスカッションを繰り返しながら、確からしい、従って行動することにCommitできるこたえをつくりあげていく。どれだけのことをしてもこれが自分として最大の価値なのかと考えるとわからない部分もある。
自分の中でさび付いているかもしれない、隅っこでほこりをかぶっているかもしれない知識をBrush Upして明日に、そしてこれからにつなげていきたい。1つ1つのEngagementの中で自分ができる最大の貢献をすること、自分たちが出せる最大の価値をだしていくこと、その積み重ねが自分の成長になり、自分の自信になっていくのだと思う。

揺れては止まり、止まっては揺れ

金曜日の夜はこのたび次のステップへ移られる人と食事。以前からお世話になっていた人なのだけど、どんなときも飄々としていて、どんなプレッシャーの下でも結果を出してきたかなりデキる人。
話していると今の自分の視野が狭くなっていたということに気がつく。自分としてこたえていきたいIssue、こたえることを期待されているIssue、そして今の自分でこたえられるIssue。意識することなく目の前のEngagementだけに目が行っていたかなと。何度か自分でも思ってきたしBlogの中でも書いていたと思うけど、Top DwonとBottom UpのCareer。
今一度、自分がいる意義っていうものを考えていきたいと思う。(って前も書いたような(^^;))
あとはそれに限らず、日々楽しく精一杯やっていこう。Topに据える目的というかゴールを意識して、そしてそれが絶対ではないということも意識しながら日々自分の周りにちりばめられている機会を精一杯活かしていく。Top downとBottom upをうまくまぜるとしたらこんなところかなと思う。

資料

単に目的に対して構造化されたメッセージだけが淡々と書かれている資料は、キレイだけど魂がこもってない。耳障りが良いけど印象に残らない。わかりやすく感じるのだけど、聞き手の気持ちをひっぱったりちょこっとひっかいてみたりする刺激もない。
最近いろいろな人の話を聞いていて感じるのだけど、主張が明確で一貫していて、コンテンツがキレイにそれを支えているというのは基本の中の基本に過ぎない。話がうまい/下手っていうのはわからないが、ロジックの構造を感じさせない、圧倒的な迫力と、柔軟で枠にはまらない表現力がある。聞きたい気持ちをかきたてられ、自分の頭で自由に相手のメッセージを解釈し、それをもとに質問をする。自然とディスカッションへ発展する。それぞれがそれぞれの学びと納得を得ることができる。
最近意識するようにしてはいるけど、Engagementの中でプレゼンやディスカッションの資料をつくるときには目的やメッセージだけでなく、Clientの心に響く流れをつくれるように意識して資料をつくっていきたい。
意識を変えてみると気づく。そもそもそういった流れや魂っていうのは資料のページとページの間に宿るものなんだと。つくる資料のコンテンツは変わらなくても、こうして目的に変化があると自然とプレゼンが違うものになってくるものなんだと。
これまでは、キレイな資料をつくることが、頭のどこかで目的、前提として置かれていたのかもしれないな。

その手に何を持っている?

木に釘が打ってある。
金槌を持っていたらそれを叩こうとする。くぎ抜きを持っていたらそれを抜こうとする。彫刻刀をもっていたら釘を気にせず何かを彫ろうとするかもしれない。かんなをもっていたら釘を避けて気を削り始めるかもしれない。
道具に精通していればしているほど上記のように振舞う。金槌に精通していたら釘の角度や打ち具合が真っ先に目に付く。彫刻等を持っていたら木目や木の質といったものが目に付く、どういう形ができるかすぐイメージが始まる。
道具は物理的なものにとどまらない。イメージや考え方も同じ。
何らかの対象を眺めているとき、その手に何を持って見ているかを意識すると結構眺める前から持ち物を決めいることがあることに気づく。
そして、目的を達成する前提として、その手に持ったものを使う必要があると思い込んでいることに気づく。そしてその思い込みと相手のGAPに悩んでいる場合がある。
道具を持って相手を見るのは、仮説を立てる時に大事なことだけど、あくまでそれは仮説。時には見る角度もそもそもの扱う目的も、そしてその手に持っているものも、全部ほっぽって考えてみると案外すっきりと新たな方向がみえてくる。