年収10倍アップ勉強法

無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法
勝間 和代 (著)
以前、お金は銀行に預けるなを読み、著者の勝間さんに興味が出てきたので他の著作も読んでみようと手にした一冊。
当人の中で何事にも意図をめぐらせているように感じられてそれが楽しい。しかもマネージャの昔からの知人であることも最近わかって、本にまつわる幾つかのエピソードを聞くこともでき一段と面白い。
ということで本の内容へ。
今の自分の意識だと勉強法そのものはレバレッジ勉強法と変わらない(大きな違いには気づかない)。
情報のインプットに関して、本書では読書は乱読(それで情報にフックをかけていけるだけの速読能力がある前提)ということを前面に出していて、レバレッジ勉強法では本を選ぶことにも3-4時間かける価値があるといっていたり、多少の違いがあるが、無駄な情報をインプットする時間はもったいないという点は共通している。
大事なのは仕組みづくりだというコンセプトも共通している。
異なるのは勉強の背景・理由だ。
本著では、なぜ勉強をする必要があるのか?、(なのに)勉強が続かないのはなぜか?という部分に章を割いて言及している。そこでの論理展開が勝間さんらしくて読み物として面白い。
ここで書かれている勉強の基本的なコツは5つ。

1. 基礎を最初に徹底的に学ぶ
2. 先達から、勉強の仕方をしっかり聞く
3. 学ぶ対象の基本思想を理解する
4. 学んだことを自分のことばでアウトプットしてみる
5. 勉強をわくわく楽しむ

最近に限らず、いくつか勉強法に関する書籍を読んでいます。読書だけで終わらず、釣り方だけ本で読んで満足することなく、実際に魚釣り始めて行きたいと思います。
とはいえまだ頭が渇いているので、しばらくは渇きを潤すためのインプットを続けたいと思います。

レバレッジ勉強法

レバレッジ勉強法
本田直之 (著)
読書の目的を明確にし、その目的達成に必要なところのみを読み込み、実生活の中ですぐ活用する。そんな、過去に読んだレバレッジ・リーディングであり本書、レバレッジ勉強法のポイントを少しはずしているかなと思いつつ読んでみた。
「超」文章法に比べると読みやすいし、ページの端を折った個所も少ないが、勉強することそのものではなく、その先にあるゴールに最短でたどり着くことを狙った勉強法についてまとめられているので手元にあっていい1冊だと思う。
ただ、この本を読んでまず最初に感じたことは、
”本のデザインがいい”
ということだった。帯も含めた本全体での色使いのパターン、フォントサイズ・フォント自体の種類、文字の揃え方、目次と見出しのデザイン、チャート等うまくまとめられていて読みやすい(見やすい?)のだ。
印象に残ったポイントをまとめてみると、やはり結局のところ目標を明確にして、必要なもの・レベルを見極めてからそれを得るために情報に当たりましょうということだと思う。
かといって最初から誰しもが目的をいきなり明確になってるわけじゃないし、人生全てを意図的にゴールと現在のGAPとそれを生めるための活動、という関係になっているとは思わない。直感的にこれだ!と思うものもあれば、短期的にこうしたいというものを追い求めながら生きていく人生もある。
そんな中でも、しゃちほこばらずとも何かしら”こうなりたい”というものがあったなら、それに本当になりたいのならばそのために必要なタスクを整理していくことは近道になるだろうというのがこの本の前提にある。

目的をフォーカスしないと必要が無い無駄な勉強もやるはめになる。だからといって最初から狭い知識で小さなことに絞るのでは本末転倒。選択肢はあくまで幅広く。その中から必要なものを吟味し、徹底的にフォーカスする。

人生の選択は、熟考するより、憧れや直感に従ったほうが有効なときがある。しかし、憧れや直感に導かれ、ゴールという全体像を俯瞰した後は、逆算して具体的なタスクを決める作業が欠かせない。

やる気がなくても作業を開始すると、脳の側座核という部分が興奮してやる気が出てくる。「作業興奮」といい、この理論はやる気のメカニズムとして予備校やコーチングの世界でもとりいれられている。
考えずにとにかくやる。そのためにちょっとでもいいから動き始めるような仕組みをつくってしまうことが大切。

物事はインプットとアウトプットがセットになった時はじめて定着する。

記憶には単純記憶とエピソード記憶がある。単純記憶が苦手な場合は覚えたものをアウトプットして体験に落とし込みエピソード記憶として定着させる。

「超」文章法

「超」文章法
野口 悠紀雄 (著)
この本を読めばいきなり人の心を惹きつけてやまない導入部から文章を始められる、なんてことはない。
それでも私はこの本に会うことができてよかったと思う(blogの中での一人称、最初はカタく感じますが”私”にしてみます)。
本を読みながら重要度に応じて色分けした線を引き、線を引いたページの端を折り曲げていくのだが、おそらくこの本はこれまで読んできた本の中で一番端を折り曲げたページの割合が多い。
職業上、使う日本語であり、伝えたいメッセージの徹底的な結晶化であり、それを相手に対して過不足ないロジックで支えることであり、それらからの納得・感動に結びつけるストーリー構成でありは常に念頭において動いている。
が念頭に置くこととできることは違う。
往々にして上記のいずれかを意識すればいずれかが弱まりといったことを繰り返しながら進んでいくことになる(メッセージはぶらさないが事実であり、そこからの示唆が当初のメッセージと違うのであれば当然メッセージもかわる)。
その文章について具体的なtipsも含めて構造的に書かれた一冊。印象的なメッセージをいくつか紹介する(私の解釈含む)(一番最後へ)。
と言ってぱらぱらと端を追った部分を読んでいた。結局今の仕事を考えた時に大切なのは3つだと気付いた。

・意見と事実を区別せよ
・読者がそこまでに読んだことによって理解できるように書く
・不要なものは捨てよ

ファクトとして明確になっている部分とそこから得られた示唆や新たな仮説を切り分けるのは基本中の基本。しかし最近気付いたのだが、人間何かしらの強いプレッシャーがかかるとその厳密性をあいまいにして何かしらメッセージを言い切ろうとするパターンが存在する。また長く同じメンバーで活動する過程で明確に断らなくても自明だろうという感覚に囚われる場合がある。
最初はメッセージと骨組みから作り始めるので問題ないが、そこに対して推敲を重ねることで文章としてよれてしまうことがある。また使う言葉も前後してしまうことがある。結果、そこまで読んだことによって理解できる文章ではなくなってしまうことがある。
不要なものを捨てるのは極めて簡単だ。難しいのは何が不要なのかを見極めることだ。何度も推敲を繰り返し、中身に対する理解と思いが深まるにつれて捨てられなくなることがあるようだ。思いが深まった細部まで伝えたい・理解してもらいたいと思うあまり相手が理解できる/できないという部分への配慮が欠け結果として”で何が言いたいの?”とつっこまれてしまうような文章が出来上がってしまったりすることがある。
文章に限らず、チームで活動している時のメンバーのアウトプットについても同じことが言える。が、ここはプロとして、プロのチームとしてClient Interest Firstを貫いていきたい。

メッセージとは何か?
・読者にどうしても伝えたい内容であり主張や発見である
ひとことで言うことができる
どうしても書きたい、書きたくてたまらないものである
・盗まれた場合、あらゆる手段を講じて自分が発案者だと主張する意志がある
・見たまま/感じたままではなく焦点が絞られ、ピントがあっている

冒険のストーリーと意図
故郷を離れて旅に出る:論述を面白く、ためになるものにするため
仲間が加わる:主張を補強するため
敵が現れる:主張したい概念の性格を明確化するため
敵との間で最終戦争が行われる:主張と反対論のどちらが正しいか示すため
故郷へ帰還する:一般理論を現実に応用するため

パラグラフ
・150字程度
1パラグラフ1メッセージが目安
・パラグラフ内での論理の逆転はできるだけ避ける

文章構成は3部構成
序論:「何が問題か」を述べる。なぜこの問題を取り上げたのか、この問題を取り上げることがなぜ重要なのか、問題の背景は何か。
最初に結論やクライマックスを述べる(ドラマチックに始める)
本論:分析と推論の展開。仮説を提示し、それをデータによって検証する。
結論:結論は明確に述べる。結論の含意、未解決の問題、扱わなかった問題、今後の課題などについて述べる。
最後から読む人もいるため結論(最後)は重要。印象深く終える。

指一本の執念が勝負を決める

指一本の執念が勝負を決める
いつだったろうか、会社は頭から腐るを読んで強烈なインパクトを受け、それがきっかけで手にした一冊。(そして今会社は頭から腐るのEntryを見るとまだ詳細を書いていなかったことに気づく…。このEntryで合わせて書きたい)。
内容は”会社は頭から腐る”の内容を平易にしたように感じた。
そう考えながら初めて読んだ時にひいた自分のボールペンの線をなぞってページをめくっていくと改めてまた期が引き締まるのを感じた。その中で最も深く僕に刻まれた言葉はこの3つだ。

戦場でびゅんびゅん弾が飛んでくるところに立つと、本気で戦う気のないやつなてすぐ見透かすことができる。そういうやつは怖くもなんともないですよ。絶対俺の命はこいつなんかに取れないなと思いますから。
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だから若い人たちにも、徹底的にカッコつけて、ガチンコ勝負にこだわってほしい。そのための努力は惜しんではいけない。
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最後に勝つのは、いつまでも粘り強く、自分で考え抜いて正しいと判断したプロセスを踏みしめ、成功に向けて飽くなき追求をし、その途中で出会う困難にも耐え抜き続けた人間である。

なぜこれらの本(指一本の執念が勝負を決める / 会社は頭から腐る)から圧倒的なインパクトを受けるのか、突き詰めるとその理由は冨山さんの熱く高い意志が込められた彼自身の言葉で、現場で実際に戦い結果を出してきた経験に裏付けられた言葉で語られていることに尽きると思う。
観戦しているリポーターが話しているのではなく、その戦いを実際にくぐり抜けて来た本人が語っているのだ。そしてそこには決して冷めることのない、熱く高い意志が存在するのだ。
過去の自分を振り返るとどうしようもなく後悔したくなる場面もいくつもある。しかし過去に対する後悔だけで終わるのなら、それを引きずって現在を悲観するだけなら、やはりそこには何の価値も無いのだと思う。
自分らしいカッコよさ、カッコつけ方を考えて、改めてこだわるべきところに絞って徹底的にこだわっていきたい。

お金は銀行に預けるな

お金は銀行に預けるな 金融リテラシーの基本と実践
自分の金融リテラシーの程度を確認したいというのと筆者への興味から手にした一冊。筆者は勝間和代さん。会計事務所・戦略コンサルティングファーム・証券会社でのキャリアをもたれている。
本を通して”コンサルタント”らしいものの言い方・裏づけ方だなと感じる。とても読みやすい本だった。
金融商品を分類して特長を簡単に説明している部分等はてっとりばやく基礎知識を得るのに適している。
一貫して根底に流れている資本主義社会における金融リテラシーの重要性、それを持たずに今を生きることのリスク、一方でそれ持っていればラクにお金儲けできるわけではないというメッセージは強い共感を覚える。
そして金融を通じた社会責任の遂行へ言及している点、だからこそこうして金融リテラシーを今後よりいっそう高めていく必要があるのだという筆者の意志を感じる。
普段の仕事柄なのか自分のキャリアの方向性からなのか。お金に関する考えが疎かったと思う。そもそもあまり考えていなかった分野ではあるし、結果として収入源のポーフォリオを考えてみれば、自分の労働によるものが大きい。
仕事自体は好きでやっていることだが、お金についてはもっと幅広く、人生におけるリスクと、それに対して自分が選択できるオプションを理解して、分散的に選択していく必要があると気づいた。そして、SRIのような社会に貢献できる資産の運用に、さまざまな形で貢献できればいいなと思う。
心に残った言葉一部抜粋↓

p.36
平均的な日本人の金融リテラシーが低い理由
1. 学校教育および家庭内教育で金融リテラシーが軽視されてきた
2. 社会人になると長時間労働で忙しく、金融リテラシーを磨く暇がない

p.47
金融リテラシーを身につけるここと「ラクしてお金を儲ける」ことは違う。金融リテラシーが身につけばつくほど、世の中に「ラクなお金儲けの方法」などはない、ということがよく分かる

p.52
リスクが計量可能であり、かつ、リスクに応じてリターンが生じる資本主義という社会になったということは、もし金融に関するリスクを計量することもなく、同時にそれを活用することもない人がいた場合、一部の人たちが”現代”の知識を使って生きているのに、そうした人たちは”近代”の知識を使って生きていることを示すことに他なりません。

p.63
日本の金融資産運用は、一人一人が好ましいと思ってリスクを回避する方向で動いてきた結果、国全体としては過度なリスク投資を生むことになり、それが逆に私たちの生活自体にシワ寄せを招いた形になったといえる

p.89
(良い金融商品を初期に見つけるためには)第一歩としては、金融の知識を自分なりに学び、「そういう情報を自分が欲しているのだ、必要としているのだ」という意識付けが重要になる

p.125
資本主義というものは、厳しいいい方をすれば「賢くない人から賢い人へお金が流れる仕組み」

p.159
金融でしっかり儲ける方法の基本5原則
第1原則 分散投資、分散投資、分散投資
第2原則 年間リターンの目安として、10%はものすごく高い、5%で上出来
第3原則 タダ飯はない
第4原則 投資にはコストと時間が必要
第5原則 管理できるのはリスクのみ、リターンは管理できない

p.200
私たちは、身分があらかじめ確定された封建時代に生まれたわけでもないのに、本人の能力ややる気によってキャリアアップできるような社会構造ではなく、生まれた環境によって階層が決定してしまうような構造になってきてしまっている

p.207
私たちはこれまで、政治・経済の動きと金融の動きは別個のものであり、実体経済がよくなれば、金融政策は後からついてくるというのが支配的な考え方ではなかったか