ねじれ

最近自分がねじれていると感じる。いや、正確にはねじれているかいなかもわからないけど、何かねじれているような気がする。といったところだろうか。
自分が向かいたい方向が明確になっていないけど、今は自分の意志と行動の間に一貫性がないことはなんとなく自覚できるから。だからわからないけどねじれてるような気がする。
インサイド・アウト。外部環境に依存して内部環境を変えるのではなくて、内部環境の安定を保ち、その上で外部環境に働きかけていきましょう。
その通りだと思うし、そうありたい。それでも今の自分は外に反応してしまう。
マネージャーと良い人間関係を築くことができずにいる。彼の言動に一貫性を見出すことができず、彼を信頼できていないからだ。そして彼からも自分が信頼されていないということを感じるからだ。驚くほどのコミュニケーションのすれ違い。その中での、(少なくとも自分にとっては)一貫性があると感じられない彼の言動への苛立ち。それを指摘してもまともに会話しようとしない彼への苛立ち。そんな人間が”コンサルタントとは”を語り自分を諭そうとする、彼のものさしで自分を評価し、叱責することへの苛立ち、そしてそれらへの疲労。関係を絶って距離をおきたいという逃避の欲求。彼に、彼の一貫性の無さやコンサルタントとしてあるまじき行為をしていることを徹底的に話追い詰めてやりたいという憎しみ。
ネガティブな気持ちが頭の中を渦巻く。
そしてそんな自分への焦りとあきらめ、将来への不満と閉塞感。
辛い時期(?)だ。
これも自分の人生だ。
彼への苛立ちを感じる時間も、彼への憎しみにたぎる時間も、疲弊しあきらめている時間も、閉塞感と焦りに囚われている時間も。
全ては自分の時間、自分の人生だ。
もう手綱は放してはいけないのだ。

勉強会 1 -Economy, 2 -Operation Strategy

1/21(土)は午前も午後も勉強会だった。
天気はなんと雪!で、集合するのも一苦労だったけど面白かった。内容にしても新しい出会いがあったことにしても。
1. AM: 経済に関する勉強会
昨年企業を立ち上げたYさんのコーディネイトのもと午前中は経済に関する勉強会(株式市場や為替市場のトレンドに話がメインだったかな)。以前簡単な本を一冊読んで、あとはたまに新聞を読んだりしていた程度、今のところ株式投資等もやっていない僕にとっては新鮮でとても面白い会だった。
そして、やはりそういうところで、たまに???と思うような単語が飛んでみたり、なるほどそうやってトレンドをみるのか、というような話があったり嬉しくもあり、悔しくもあり、だった。
もう少しカッコつけられるように貢献できるように、面白いし、かじっていきたい(^^)
2. PM: 社内勉強会
午後は社内メンバーでオフィスで勉強会。テーマはOperation Straregy。こちらも自分が今まで意識しては学習してこなかった分野に関する勉強会。戦略の短命化が徐々に強く言われるようになっている今日、学ぶ価値の大きいものであると思う。そして内容を理解するにつれて、戦略の短命化に関係なく、これは非常に素晴らしい内容であると考えるようになった。
どんなに美しいStrategyも、Visionに共鳴しなければ、Operationに落ちて実際にそれに基づいてビジネスがなされなければ、ただの飾りものに過ぎない。
今後も学習を継続したいし、こういったProjectで実際にValueを出していきたいと思う。(どんな美しい学問も…以下だいたい上記に同じ。)
ただ、予習不足(^^;)ディスカッションはより濃密にするために自分ができることはまだまだあるだろうし。そのほうがもっと気付きも増える、学びも増える。

Architecture

最近一気に忙しくなってきた。
昨年春-秋に参画したProjectに関するTask、提案活動、新規参画Project準備、社内勉強会準備、面白いように時間が埋まっていく。
何度と無く感じるが誰にでも当てはまることだろうか。時間の使い方について2つのことを感じる。
1. 暇なときより忙しいときのほうが勉強に集中できる
2. 忙しさが増してくると、その忙しい対象とは違った分野の勉強をしたくなる

幸いにも自分は忙しい対象以外にも手を伸ばしたい分野が幾つかあるので、勉強するべきことには事欠かない。
そんな中で、先日Blogに少し書いた調査設計について少しまとめておきたいと思ったので以下に書いてみる。
そもそも調査の目的って何?その目的達成するために調査するべき要素って何?というのを明確にするというのは当然のことでこれは調査に関わらずProject work然りその他然り、おおかたの事に関して当てはまる原則だ。
ただ、実際にProjectを進めながら調査をしていると、往々にして変更が発生する。目的が変わることもあれば、それに応じて調査すべき要素が変わる、新たな解釈を検証するために要素の追加/削除が起こることもいくらでもある。(勿論最初にどれだけ筋の良い仮説を立てられるかでこのInpactの大小は変わるのだが。)
こんなことを考えたときに大切になってくるのが調査設計。調査の構造。
Architectureだ。
システムの設計思想と同じ。コーディングの思想と同じ。目的の変化、要素の追加/削除に柔軟に対応できるような構造を持たせた上で調査を実施し、Factを埋めていく必要がある。
ここでPointとなるのは以下の3つではないかと考えている。(まだ実践はしていないが次Projectにて必要があれば実践したい。)
1. 調査のComponentの定義
2. Component内の密結合、Component間の疎結合
3. Data Sourceの明確化

この手の話をすると、”Componentの単位って何だ?”という議論になるが、それは置いといて(^^;)目的にぶら下がる複数のIssueの1つに応える調査が1Component、といった感じだ。(じゃあそのIssueの大きさって…?は置いといて(^^;))
まあPoint 1については、調査の目的を明確にして、その目的を達成するにはどんなIssueに応える必要があるのかを考えると自然と定義できるだろう(ざっくり)。
次に大切になるのはPoint 2。同じIssueを支える調査Dataは密結合に、複数のIssueをまたぐ調査Dataはできるだけ疎結合にしよう、要するに調査結果のDataの1箇所をいじったら、1つのIssueを支える一部分にはそれが反映されたけど、同じDataを使って組み立てているLogicの他の部分には変更が反映されない、ということや、逆にIssueを2つも3つも…もまたいで要素がころころと変わってしまう、というような設計は避けよう、ということ。
それをやりやすくするためには、Data Sourceは明確に、そして一箇所に持っておいたほうがいい。各Issueに対して、そして勿論複数のIssueをまたいでもその必要があるものについては、まとめておいたほうがいい。で、さらに言うとそれはどういった調査で獲得したDataなのか、生のまま、Evidenceとして残しておいたほうがいい(おくべきだ)。その上で、目的、Issueに応じてData Sourceを加工するLogicに組みあわせて解釈していくのが良いと考える。
Architectureというものを常に意識しながら調査を設計し、実施していかないと、その場その場の対応でAdjustしながら分析を進めていくと、後々変更があったときにどこをどういじっていいのか分からない、その結論ってそもそもどの調査・どのDataから抽出したんだっけ?と問われても明確に答えられない等のTroubleに繋がる。
そして、そうなってから調査の設計を見直しても、それ自体容易ではないし、その上で調査をやり直すこともまた容易ではない。
システム構築のProjectも同じである。
”とりあえず”でも目の前にある選択が容易な手段から順にとっていくことが必要な場合は多々あるが、目的と応えるべきIssueを明確に頭の中に描いた上で、それらを今選択した手段のOutputがどう支えるのか、そのArchitectureも描いておかないとあっという間に物事は絡まる。
精神的余裕が無いとき程、強く上記を意識しなくてはならない。

Self Feed back

昨日で去年夏から参画していたProjectをExitした。
頭、心、体、全レイヤーにおいて迷い続けた半年間だった(^^;)失敗無数、周りに迷惑をかけたこと無数…。ただ、それでも振り返れば反省や後悔が残りつつも成長機会も無数に散りばめられた、素晴らしい時間だったと思う。
何回かに分けて自分自身へFeed Backして学び、成長に、次のStegeにつなげたいと思う。
既に似たことを書いているが、もっとも大切なことは、
●存在意義を明確にし、それに則ろうとする手綱を絶対に放さないこと
個人の価値観であり、目的であり、Motivationであり、Will Powerであり、そして行動であり、の全てを持ってそこにCommitするということ。
求められる存在意義と個人としての存在意義を重ね合わせ、自分自身がその意義になりきる、ということである。

学校?

12/28(水)は先日最終報告を終えたProjectのTeam打ち上げ&忘年会があった。その日はもう一方のProjectのTeam忘年会もあったので、両方出席。後者を途中で切り上げて前者に合流した(わかりにくい(^^;))。
プロジェクトの特徴も手伝ってか、この先日終えたProject memberの関係はとても面白い。誰も変な気は遣わないし、思い思い適当(?)に振舞うことができる。それぞれやり太陽にやりつつも根っこの部分で信頼関係がつくられている。
この居心地の良さ、どこかで感じたことがある。と思ってふと考えてみると思い当たるところがあった。
それは”学校”だ。学校のノリにとてもよく似ているのだ。
学校のノリ。誰に強制されるでもなく自分たちそれぞれの意志にしたがって自主的に集まり、自主的に学ぶ集団。利害関係は無く、適度な競争意識(?)とみんなで成長していこう!という強い結束力。やったらいけないことはない、強いて言えば主体的に自分をださないこと、何かを恐れて自分の内側にoutputを収めてしまってはいけない、というOpenで自由な雰囲気。
自分の大好きなノリである。
このProjectで得たものは本当に大きい(^^)これからも大切にしていきたい仲間である。