鈍感力

今日オフィスで以前お世話になった方に偶然あって話をした際に薦められた本。早速購入して読み終えた。内容も平易で読みやすく、1時間弱程度で流し読みできる。
全体に”鈍感”であることの効果や必要性をさまざまな角度から説明している(体の健康、心の健康(仕事・恋愛・結婚等々))。鈍感であるためにどうすればよいのか、ということには触れられていない。そのあたりは以前ブログで書いたプレッシャー管理のセオリーの内容が役立つと思う。僕の解釈は、”鈍感”であることと”自分の(頭ではなく)心に従って生きること”が近い。
最近の自分がどちらかというと”過敏”な状態だと感じていたことも手伝ってすぐにかって読んでみたのだけど、うんうんとうなずいて読める部分が多かった(でどうすればいいの?っていうのは触れられていないが、僕はそこまでこの本に求めていなかった)。
基本的に”鈍感”なのだけど、そんな中でもこれから気をつけていきたいと思ったのは、
・”鈍感”と無関心は違う
・”鈍感”と自分勝手は違う
・”鈍感”と”鈍感”を装うのは違う
・”鈍感”と迷うことを避けて安直に結論を出すことは違う
・”鈍感”と周りの環境のなすがままになることは違う
等。ただこれらにこだわりすぎることもまた違うと思うのだが。
自分の理解なのだけど、おそらく”鈍感”でいるということは、頭でっかちになるのではなく自分の心をちゃんと理解してそれに従おうということであり、自分の周りの環境だったり相手の気持ちだったりっていう自分の外の部分も大事だけど、それにあわせて自分をゆがめるよりも、そんな環境の中でも自分にしたがって生きていく選択をしていこうということを実現する1つの手段なのだと思う。
きっと”鈍感”でいる中で違和感を感じて、立ち止まって(”過敏”な程に)考えたり悩んだりして、その結果をもって、より自分を理解した上での”鈍感”になって、そしてまた立ち止まって…。というのを繰り返しながら生きていくのかなと思う。
少なくとも自分はそうなんだろうなと思えるのだ。過去を見てもそうだし、自分がそうあることを望んでいるのだと思うから。

ロジカル・ライティング

本日は勉強会。テーマは以前のBlogのEntryで書いたと思うのだけど”ロジカル・ライティング”。勉強会の振り返りもかねて本の内容も簡単に振り返っておきたい。

内容は全体に非常にわかりやすい。大きく3つのパートからなっている。1つはそもそも”書く”というコミュニケーションを行う前提となる要素とその設定の仕方について。1つは設定したコミュニケーションの前提に基づいた論理的な文書の構造のつくり方について。1つはその構造を適切に表現するための文書の体裁の整え方、日本語の表現の仕方等について。

大事なのは最初のポイント。コミュニケーションの前提となる要素について考え抜くことだ。この本では5つをあげている。書き手・読み手・テーマ(Issue)・(Issueへの)答え・期待する反応。

コミュニケーションのGoalの状態を考えると、具体的にどういった相手にどのような反応をとってもらうべきかが明確になる。そのためにはテーマをどのような問いに分解して、どの程度の深さで答えればよいか、そして書き手としてふさわしいのが誰かが明確になる。

後の論理的な文書の構造のつくりかた(横にMECE、上下にSo what? / Why so?)や、曖昧な表現(形容詞や副詞)の排除、論理構成を視覚的に表すためのレイアウトといったものは上記Goalを実現するための手段に過ぎない。

ロジカル・シンキングにしても、このロジカル・ライティングにしても、いざ身につけよう・練習しようとすると往々にして上記の手段を用いることを目的として考えがちだがそれは避けるべきだ。もちろんつかいこなすためには練習は必要だが、練習のための練習ではない。

今日Brush upした内容は早速仕事に活かしていきたい。自分の中でそれなりにできているつもりでいたし、それなりにできていたけど、まだまだ。もっと効果的にGoalに到達するためには改善することがある。

次回はファシリテーションやリーダーシップ、コーチングといった他者へ対する個人の影響力の行使の仕方をテーマにした。特にファシリテーションについてはEngagementをリードしていく上で非常に重要であるしもっとうまくできるように研鑽したいと考えている。

楽しみだ。

電通「鬼十則」

電通「鬼十則」―広告の鬼・吉田秀雄からのメッセージ
吉田秀雄という人物をこれまで僕は知らなかったのだけど、どこかのblogか何かでこの鬼十則をみかけて、自分に足りないメッセージが含まれていると思って本を探し読んでみた次第。

電通鬼十則
1. 仕事は自ら「創る」可きで 与えられる可きでない
2. 仕事とは、先手先手と「働き掛け」て行くことで受け身でやるものではない
3. 「大きな仕事」に取り組め 小さな仕事は己れを小さくする
4. 「難しい仕事」を狙え そして之を成し遂げるところに進歩がある
5. 取り組んだら「放すな」 殺されても放すな 目的完遂までは
6. 周囲を「引き摺り廻せ」 引き摺るのと引き摺られるのでは永い間に天地のひらきが出来る
7. 「計画」を持て 長期の計画を持って居れば忍耐と工夫とそして正しい努力と希望が生まれる
8. 「自信」を持て 自信が無いから君の仕事には迫力も粘りもそして厚味すらがない
9. 頭は常に「全廻転」 八方に気を配って一分の隙もあってはならぬ サービスとはそのようなものだ
10. 「摩擦を恐れるな」 摩擦は進歩の母 積極の肥料だ でないと君は卑屈未練になる

東京タワー

東京タワー
昼からオフィスで仕事をしていて、帰りに本屋に立ち寄ったときになんとなく購入。ビジネスに関係ないものを読みたかったので(もう一冊は3日で運がよくなる「そうじ力」・・・どうにもこうにも部屋が片付かないので・・・)そして東京タワーを早速読み終える。
ぼろぼろ泣けた(らしくないですが)。
生い立ちや境遇は著者とは違うのだけど、母親との関係について重なる部分が多かった(こんなに表面だってエネルギッシュではないのだけど)。本の中で”全ての時間が自分の砂時計に従って流れているわけではない”というような言葉がある。それを僕も感じていて、そのGAPに気をもんでいたことがあった。
自分が日々の生活に必死で、自分の中では自分だけが日々精一杯生き、変化をしていると思い込みがちになってしまう。でもそれと同じだけの時間は当たり前ながら(親を含めて)自分以外の誰しもが持っているものでありその中で誰しもが自分なりの変化を遂げている。それを忘れて、自分だけのペース、自分だけの価値観でものを見ていたら、親子であり家庭でありの視点から見ている親とは当然すれ違う部分もでてくる。
本の中でも引用されている母親というものについての表現も、母親から似たようなことを言われたことがあった(この言葉を知っていたのだろうか)。

母親というのは無欲なものです
我が子がどんなに偉くなるよりも
どんなにお金持ちになるよりも
毎日元気でいてくれる事を
心の底から願います
どんなに高価な贈り物より
我が子の優しいひとことで
十分過ぎるほど倖せになれる
母親というものは
実に本当に無欲なものです
だから母親を泣かすのは
この世で一番いけないことなのです

詩引用 / 葉祥明「母親というものは」

僕は母親の心配性なところと思い込みが激しいところから出てくる言葉に対して、いやいやそんなことしないよ、それは○○とか××だから大丈夫なんだよとか言う。正しく理解して欲しいしちゃんと話をする。こちらも正しく理解したいからわからないところ、納得がいかないところはなぜかを聞くし違うと伝える。
そうしているうちに徐々に話はそれて、”物分りの悪い親”と”信頼されていない自分”という関係として印象を持ってしまう。いつの間にか僕の(間違えた)率直さは母親への冷たさとして受け止められ、その冷たさ追い詰められた母親は感情的になってしまう。それがうまく理解できない、なんとなく言いたいことはわかっていてもそれをはっきりさせないことに苛立つ僕はまた(間違えて)率直につっこんでしまう…という悪循環。
そうこうしていても、最後には”まあ更年期だから、話したそばから何話したか忘れちゃうから許してやってね”と冗談めいた会話になる。そして僕も最後には冗談めいた言葉と伝えたい気持ちだけはずれないように話す。
母親はどんな気持ちで冗談めいた話に持っていっていたのだろうか。それまで散々冷たいと感じながら話をしていた子供に対して、どんな気持ちで冗談めいた口調で会話を投げかけてくれていたのだろう。
この本のように自分が小さいころからの母親と父親、そして成長するにつれての両親との関係を辿ってみる。本にならって客観的に眺めてみる。そしてそのまま今のやり取りを眺めてみる。親の立場から自分を眺めてみる。うまく出来ているかはわからないけど。
4歳くらいのときからだと思うのだけど、近所のスーパーへ買い物へ行くときに母親に車道側を歩かせないように頑張っていた自分、小学校低学年のころは病弱で、毎年といって良いほど1度は入院して迷惑をかけていた自分、・・・。
そんな自分を急に熱を出したときにはおんぶをして病院まで運んでくれた母親。勉強しろとはほとんど言わず(ゲームにはまりだしたころは1度くらい言われたきがするけど)、それよりも人としての学びを促してくれた母親。本を買うためにはいくらでもお小遣いをくれた母親、・・・。
そんなバックグラウンドを一切考えず、今この場の、自分の砂時計を持って自分の考えを手放さない子供は、こういうバックグラウンドを母親としてずっと蓄えてきた母親にとってどのように映っているのか。
やるべきこと / やりたいこと / やれることはそれぞれたくさんある。

MBAが会社を滅ぼす

MBAが会社を滅ぼす マネジャーの正しい育て方、ようやく完読。
個人的には邦題の付け方や帯の文言はいささか中身のメッセージを歪めて伝えているように感じる。MBAが会社を滅ぼすとはMintzbergは言っていないし、”ダメな会社ほど、ビジネススクール出身者が目立つのはなぜだろう? それは~”というくだりもこの本における主たるメッセージではない。
という細かい話はさておき、とても良い本に出会えたと感じている。正直なところ、今のMBAについて何が問題で、どうするべきなのか?という内容については、よくわからない(実際にどうなっているのか、情報を持っていないし、自ら経験したことも無いので)。ざっと前半部分(既存MBAおよびそれとかかわる会が抱えている問題について触れている)の主張をまとめる。

  • Input: 間違った人が入ってくる。
    本来ならば現場でManagerとして経験をつんだ人間が入ってくるべきなのに、そういった経験を持たないが、ビジネスに対する情熱の強い、Manager予備軍が入ってくる。
  • Process: 間違ったProcess。
    現実の問題には業務分野が明確に分かれて、全てが定量的に分析でき、分析結果にのっとって意思決定して実行に移せていけるわけではない。むしろそんな簡単な問題は少ない。なのにMBAのカリキュラムは業務ごとにクラスが分かれており、そのクラスの中ではそのクラスで学ぶべき内容しか考慮されていない。
    また、”教える”のではなく”学習”し、継続的な変化を自身にもたらすには、自身の過去の経験を新たな理論や概念で見直すことが非常に大切である(そのためにはあえて”緩やかな”環境が必要である)のに今のMBAでは、①Manager経験のない(見直すべき経験のない)人間が、②教授の”教える”範疇で、③良い評価を得なくてはならないという強いプレッシャーの中で、学んでいる(教えられている)。
  • Output: 間違ったOutputおよび会社での間違った活用。
    Input、Processが間違ってる時点で出てくるものは間違ってる。結果としてOutputは若くして、Managerに必要なものの1つである、各業務について”疑似体験”による理解と、Managerとして見た目だけでも振舞うのに必要な自信、エリート意識を持った人間。
    不幸なことに、受け容れる会社も、彼らをManagerにふさわしいとみなし、Managerに、そして会社のFast Trackに乗せている。MBA holderのPerformanceを見てみるとそれほど優れているわけでもない、むしろ劣っている部分すらあるのに。
  • 学生の立場、もしくはこれからMBA入学を志している人の立場からすれば(この本で書かれているような学生ばかりではないと思うけど)、”自分たち次第”だという部分は大きくあると思う(特にInputとProcess)。カリキュラムが各業務で過剰に縦割りになっているのだとすれば、そうなっていること、現実は違うということを意識するだけでまず違うと思うし(ケースが現実であるという誤解は(ないと思うのだけど)防げる)。Privateの時間を使って他の学生とここにアプローチすることもできると思う。MBA入学を志す人については、そもそもここに入ればこの環境が自分をManagerに仕立て上げてくれるんだ、というような”丸投げ”のスタンスではいる人はいないはずだ。
    大学院(MBA)側について読んでいて興味深かったのは、これまで新規事業を自社で創出したことのない、創業当初もしくはそれに近い事業で成功を収め続けてきた企業が岐路に立たされたときの振る舞いに似ているということだ。”開拓”はできても”探検”ができない。定量的に評価できるものでしか意思決定できない等々。
    会社側についても同じなのかもしれない。当たり前ながらManagerは優秀であってほしいし、そのためには優秀な人材をManager予備軍として早期から鍛えていきたい。でもManagerとして優秀になりうるのか、成功しうるのかというのは何をどう評価すればでてくるものなのか。それが明確にならない中で、MBAという名前で判断している部分もあるのではないだろうか。

    本の中ではマネジメントに必要な3要素として、”アート”、”サイエンス”、”クラフト”をあげている。

    アートは創造性を後押しし、直感とビジョンを生み出す。サイエンスは、体系的な分析・評価を通じて、秩序を生み出す。クラフトは、目に見える経験を基礎に、実務性を生み出す。アートは具体的な出来事から一般論への機能的なアプローチをとり、サイエンスは抽象概念を個別のケースに適用する演繹的なアプローチをとり、クラフトは具体論と一般論の間を行き来する双方向型のアプローチをとる傾向がある。この違いは、戦略に対する態度に最もよくあらわれる。アートは戦略をビジョンづくり、サイエンスは計画、クラフトは冒険とみなす。(p.125 l.4)


    話にまとまりがなくなってきたが、思い返すと僕も社会人になってあまり経験をつまない段階でGMSへ通い始めた。最初にクリティカル・シンキングを学べたことはとても大切な経験だと考えている。偏りすぎた次期もあったし、今でもバランスをとることは難しいと感じているが。続いてマーケティング、アカウンティングやファイナンスの基礎、そして経営戦略と学習した。その学校とビジネスの間を行き来して感じていたのが”現実にケースは無い”ということ。
    クラスの中であれば本来最も大切な”問い”を定義する部分はカリキュラムとして既に書かれている。それに応えるために必要な情報は全てケースの中に書かれている。でも現実は違う。何が本当に応えるべき問いかけなのかを見つけることは決して簡単なことではない。それが見つかったとして、問いかけに応えるために必要な情報が全てあることなんてない、ケースとしてまとまっていてこの中から探せばいい、なんて状況は絶対にないと言っていい。
    それでもケーススタディという学習形式は優れていると思うし、その効果もGMSで体感することができている(GMSは1テーブル4-5人のグループを4-6個形成してクラスを進めるけど)。
    ケーススタディのよさ、でも現実とケースの間の圧倒的な違い。そんなこんな自分が経験してきたことを踏まえて成長していきたいと思う。