解釈の土台

2008.3.31号の日経ビジネスの中で、ダイドーリミテッド会長の羽鳥嘉彌氏は語っている。

アンドレ・ジッドの小説にあるような「狭き門」を突破できた企業だけが残っていく。(中略)では、どう突破すればいいのか。ヤマ勘ではいけないわけです。自分たちにやがて降りかかってくる環境の変化を自分で読み取らなければいけない。それには歴史の認識しかないように思うんです。過去の延長線上に将来というものが見えてくるわけですから、未来を読み取るためには、過去に対する深い認識がないといけない。

ダイドーリミテッドは創業130年、自分たちの居場所を変えながらここまできた。成功体験が少ないが故に、環境の変化に割合適応して、己を変えてこられたと氏は言っている。

この内容がとても印象深かった。簡単に言ってしまえば”歴史を理解することは大事だ”と。

こう言ってしまうとあまりに当たり前に聞こえてしまうのだがこれはとても大切だ。

歴史のように、事実であり、人間模様もありありと描かれており、(当たり前だが)非常に長い期間にわたって描かれているものを理解し自分の頭の中に持っておくことは、人の話であり文章でありをインプットする時の解釈を助けると思うからだ。

コンサルタントは論理的に物事を考えられる人だ(程度の差こそあれ)。マナーの一部のように論理的に考えることを身につける。(・・・このブログは論理的ではないが(^^;))

だからたいていの人は自分が知らない分野でも論理的に質問を考え出すことができる(考えることができることと相手が答えやすいように、必要な情報が得られるように実際に問いかけるのができることの間には大きな大きな隔たりがある)。

でも一方で、(特にエントリーレベルのコンサルタントを見ていると)人の話を解釈できない人が多いように感じる。論理構造にのっとって整理はできても、論理の矛盾や足りない情報を見つけることができても、1つ1つの話の奥にある相手のメッセージでありそのメッセージを発する理由を見出すことができないのだ。

文章で言うなら行間が読めないというのだろうか。(そもそも行間を読む必要がある文章が悪いと考えもあるのかもしれないが良い悪いと事実どうあるかは別だ。そして良し悪しはケースバイケースだ。)

そういった解釈できないという現象の裏には、経験であり教養でありの不足があるのではないかとふと思ったわけだ。

でその教養の中で歴史を理解するということは大きいと。

歴史をはじめ、人としての教養をそなえるための自分磨きもしていきたいと思う。

行動から学ぶ哲学

HBR4月号のBRAIN FOODの1つ、”BCG流チーム・ビルディング”が関心をひいた。
簡単にまとめると、

心に残るアドバイスというものは人の言葉ではなくて行動に宿っているものだ。だから他人の行動を観察し、行動を良く見てその哲学を理解して、それを自分流で取り入れていくことが大切だ。

という話だ。
そして具体的に、そうして行動から得られたアドバイスとして、敢えてでこぼこした(それぞれが異なった部分でとがっている)チームをつくること。その中で、各人がとく意図する仕事に取り組むように導き、その能力を最大限周囲に見える形で発揮できるように支援することの大切さをあげている。
チームで仕事をする時にはそれぞれが異なるバックグラウンドと仕事に対する動機付けをもっていることがほとんどだ。だからその中ではお互いに理解しがたい言動があったりもするし衝突もある。
そんなときに、1つ1つの言動に対して過敏に反応する前に、まずその言動の裏にある哲学を理解する必要があると思う。本人が自覚していなくとも、一貫性がないように見えても、その言動の裏にはどこかで一貫して繋がる当人の哲学があるのだから。
それを理解して、多様性を持ったチームから、誰しもが誰しもからできるだけ多くのアドバイスをもらって成長することができれば良いと思う。
そしてチームの中でそれぞれがそれぞれだからこそできることに集中できる環境とそれを認めあう文化をつくることができれば良いと思う。
チームのメンバーの立場からもマネージャの立場からも学びのある内容だった。

人生を切り開く「学び」の極意

人生を切り開く「学び」の極意―ローランド・ベルガー会長 遠藤功氏
改めて成長とは何かを考えさせてもらえた。
一部、印象に残っている個所を抜粋。
心に灯がともっていることを確認することができた。

学びの目的は主観を磨くこと
 そもそも勉強って何か。私は「自分の主観を磨くこと」だと思います。自分の思い、気持ち、意見は全て主観ですよね。どんなに客観的に分析をしても、最後は自分の主観で判断して、人生を切り開いていくわけです。
 人間は勉強しなくても主観を持っています。でも原始的なレベルで放置するのではなくて、主観を磨くために鍛錬する。主観の品質を高める。そして「こう思う」「これをやりたい」と主張するわけです。その主張に対して相手が「やる気があるな」「なるほどな」と思ったりします。そこに人生を切り開く突破口があるのです。
 コンサルタントは客観的な人間だと思われているが、数字やロジックを並べてもお客さんはまったく動いてくれません。最後は自分の思い込みで「おたくの会社こうすべきだ」と言い切る。その主張は、証明や裏づけが不十分かもしれない。でも社長は「そうか」と受け止めるわけです。客観的なデータだけで言っても、相手は全然反応してくれないわけです。「言っていることは、もっともらしい。でも何か気持ちがない」となる。一流のコンサルタントというのは、自分の主観をぶつけて、それをお客さんが飲み込んでくれる人なんですね。
 そうは言っても単なる思いつきではだめで、思いつきというものを吟味して、揉んで、裏づけをとって、客観的な分析というのがあって、主観を論理的に説明する能力がなければいけない。質の高い主観というのは洞察、本質を見抜いているものです。
強靭な信念は客観を超える
 マザーハウスという会社があって、山口絵理子さんという20代の起業家がいる。起業家の賞を受賞して、メディアで売れっ子になっています。何をやっているか。バッグを作っている。どこで作っているか。バングラデシュです。世界の最貧国で、ジュート(黄麻)を使って、日本で売れるようなバッグを作っている。
 彼女は元々、国際貢献がしたいということで、国連の機関でインターンをし、金だけばらまいて現地に根ざした貢献ができていない現実に直面した。そこでバングラデシュに飛んでみたわけです。そして考えた。「私に何ができるのか」と。
 「ジュートを使って日本を始め先進国でも、高いお金出して買ってもらえる商品を作る。彼らが誇りを持って売り出せる商品を作って、自分たちで稼ぐようなことをやっていかないといけない」。そう彼女は感じたわけです。これは「主観」です。
 ビジネススクールで分析したらその合理性は説明できない。早稲田のビジネススクールでケースとして取り上げた経験がある。バングラデシュで、ジュートを使って欧米など先進国で売れる商品を作れるか、可能性を検証しなさいという宿題を出した。GDPは低い、インフラは整っていない、カントリーリスクは高いと学生たちが分析するわけです。そしてみんなNOだった。こんなビジネスは成り立たないと。多分、私でもNOです。
 でも彼女は現地で工場を建てて、従業員も雇って、日本で売っているわけです。これって何なのか。彼女の強靭な信念というのは、数十の軟弱な出来ない理由を駆逐した。MBA的な知識を使えば、「出来ない」という証明はいくらでもできる。しかしそれは、「出来る、やる」という思いを覆すものではないということです。
 自分は何をやりたいのか、何ができるのか、何を目指すべきなのか。腹から沸きあがってくる強烈な思いを常に意識して勉強してほしい。単に知識を詰め込んでも、ビジネススクールで学んでも、強い主観は見つかりません。自分の心の中で探すものです。

自分である理由

石倉洋子さんのブログを愛読しています。その中で印象的なEntryがありました。
それは”違い”について。
自分というものに対して石倉さんがおっしゃる2つの”違い”を考えてみるとこうなる。

1. 過去の自分との違いは何か?(今の自分は何が新しいのか?)
2. 他人と自分の違いは何か?(自分だけにだせるものは何か?)

仕事上いろいろと考えをめぐらせる中で、主語を置き換えるということはよくやる。主語がA社でなくB社であっても成り立つのであればそれは”Why A?”という問いに答え切れていない。A社ならではの何かを活かしきれていない証拠だ(→再考)。
そしてこのブログの中でも2についてはいくらか考えてきた、普段の仕事の中でもできるだけ考えるようにしている。そうし意図できなかった過去を振り返るときは、自分だからできたことがあるはずだと信じて振り返る。
1は考えていなかった。
半年前、3ヶ月前の自分ではなく、今の自分だからできることは何か?もっといえば1ヶ月前、1週間前の自分ではなく今の自分だからできることは何か?
これから意識していきたいと思う。