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今日はクライアント10数名の方を相手にプレゼンテーション&ディスカッション。
結論から言うと、改善の余地だらけ。余地しかないんじゃないかっていう。最大のポイントはクライアントのおかれている状況・彼らの今日に向けた心情を把握し切れていない状態で臨んでしまったことだ。その上、論理・ファクトでかっちりと裏付けたメッセージではなく、新たに興りつつある常識を”語る”形式でのプレゼンテーションを準備いていた(要はPyramid Structure云々を崩したImpact重視のストーリーだった)。しかもその準備は完璧な状態ではなかった。
クイックにお客様の認識を確認して、GAPの大きいところについて簡単にディスカッションをしながら進めていく。時間を少し余して終えて、最後に全体を振り返ってディスカッションする時間をつくる。ディスカッションのポイントもいくつかでてきたし、それなりに盛り上がる部分もあったのだけど、何かが違う。何かずれてる。何かぎこちない。何かこう”響く”ポイントを打てていない。
その後の会食・懇親会の中でようやくわかった。彼らがどのような立場におかれていたのか、どのようなものを背負ってあの場に座っていたのか、どんな気持ちを抱きながらプレゼンテーションの内容を聞いていたのか。
”オーディエンスは誰か?”
そんな、プレゼンテーションの基本の基本の問いかけに躓いている自分を自覚して驚いた。いくつかの言い訳は考えらえるがそれはそれ。
失敗は誰にでもある。でも、していい失敗としてはいけない失敗がある。今回得たものは大きい。自分の心にも深くささったのだし。でもしてはいけない失敗だ。
いろいろな制約条件があるにせよ、その中で、全てにおいてベストを尽くした上での失敗でなかったらしてはいけない。後で言い訳が思い浮かぶような失敗はしてはいけない。
いくつかの感情が自分の中にある。それらを感情のまま風化させること無く、腐らせてしまうことなく、行動に変えていきたい。結果につなげていきたい。自分の価値はクライアントであり誰であり周りが決めるということは忘れずに(独りよがりで勝手に反省して、勝手に学んで、勝手に成長した気になって、勝手に満足するなんていうのは論外なので)。

ただそこに立つ潔さ

今日ふとiNNOを見てみると三谷さんの”伝説のプレゼンターを目指せ!”が”伝説のプレゼンターを目指せ!2”として新たにスタートしていた。(http://www.microsoft.com/japan/inno/backnumber/presenter/default.aspx
三谷さんとは面識はないのだが、書籍やいくつかのコラムの極めて簡潔な考え方・その表現に触れて以来、これまで以上に意識して読むようにしている。
今回の内容の中で最も印象に残ったのがタイトルにまとめたところだった。
仕事上、プレゼンテーションをする機会も人のプレゼンテーションを見る機会も多い。その中でもプレゼンターとしての理想であり、受け手として最も引き込まれるのがここに書かれているようなプレゼンテーションではないかと思う。
自分が知識や論理で武装した側面だけを見せる、目的に向けて自分が考えたアプローチに沿って内容を見せるといったことではなく、ただ自分という人間全体を使って話をする。話し手・聞き手という境界なく、一体となった雰囲気の中で対話する。互いの思考の交流の場を生み出す。
勿論そこに至るためには、最低限プレゼンテーションの内容と自分の価値観・思考が完全に合致していることが必要だし、それを相手に伝わりやすい言葉で表現できる必要がある。これは徹底的に準備だ(特に大切なのは前者。前者無くして言葉や構造にこだわるのは本末転倒だ)。
準備が中途半端だとどこかに自信が持てない。
すると自信のある側面だけを見せようとする、自信のない側面は隠そうとする。自信のあるアプローチでプレゼンテーションを進めたくなる。その場でアプローチや想定を崩すようなカウンターを避けようとする/スムーズに受容れられなくなる。
徹底的に準備をして、最後に(不要になっているはずの)その型を捨てる。そして、ただ、自分全体としてそこに立つ。
まだ理想には遠いが、それに近いプレゼンテーションができたとき / 出会えた時は冷静な興奮、相手と一体となれる喜びに溢れているように感じる。