新しい出会い

この冬、といってもおそらく3月初旬頃、気に入っていた帽子を失くした。
頭も顔も人より少しだけ?でかい自分にしっくりくる帽子なんてそうそうないのに・・・(大学の頃は、自分は一生帽子ってかぶらないんだろうと思っていた。キャップに至ってはもう小学校代から自分で似合わないと気づいていた)
髪型をセットしたくないときの大切な友だった。
頭がぼさぼさでも帽子をかぶればそれなりになれる(少なくとも寝癖がついているとは気づかれない)、そんな大切な存在だったのにだ。
気に入ったものはぼろぼろになるまで使い続けてしまう自分にとって、その気に入ったものを失うという経験は簡単に言葉にできないほどにつらいことだ。
過去に気に入って買った帽子をかぶってみてもしっくりこない。自分の顔や頭が気に入っていた帽子にあわせて変わったのかと思う程にだ(どんだけだよ)。
でも僕は出会うことができた。
しかも今度は春~夏っぽい帽子だ。
失くさずに、ぼろぼろになるまで?使い続けたいと思う。

その一瞬のときめきを

気がつけば前のエントリーから1週間近くが経ちます。(できるだけ)日々エントリーを心がけていたりしたので少し驚きました。色々とやることがあるのは今に始まったことではないのですが、ゆっくりと一日を振り返る時間をとれていなかったですね。
そしていったんそういうモードになってしまうと、こうして少し時間をつくることができても、書くことが思い浮かばなかったりするわけです。まさに今。
そして思い出してタイトルを編集しました。
週末にジャケットを買いました。季節的にもう今春着られる時間は限られているのですが自分の中で納得のいく買い物だったと思っています。
服等日用品?の買い物に限りませんが、だいたい一目あったときの感覚がものをいいます。一目あったその瞬間のときめきを疑って、他のものを眺めてみても、大体が最初にときめいたもののもとに戻ってくることが多いです。
勿論その良し悪しをすぐその場で判断しようというのはあまりに早計ですが。
インスピレーションを信じて行動して(良し悪しはさておき)結果を出してそこから学ぶ。その繰り返しで自分の感覚を磨くのもよいと思います。
従って取り返しがつかなくなるほどのことは(個々人の性格や条件によりますが)よくよく考えればあまりないものです。

フィット

日曜日は夕方頃から買い物に繰り出しました。
欲しいものもそれを売っているお店も決まっていたのでなんら問題なく終わる予定だったのですが、気がついてみれば予定外の買い物をしていました。
靴を買ったのです。
決め手はフィット感でした。サイズがちょうどいいという表現では足りないくらいに足にフィットしたのです。
これまで靴は慣れるまでなかなか時間がかかり、それまでつらい経験をしていました。これが必需品でした。その靴を履くたびに2枚ずつつかうことを考えるとなかなかの出費になってしまいます(それも痛い)。それでも喉もと過ぎれば何とやら~、で靴を買っていました(勿論できるだけ回避するよう、靴購買要因を頭の中でくるくる計算しながら見ているつもりでいても、結局一目ぼれの誘惑には勝てない)。
ところが今回はぴったり。シンデレラみたいなものです(え?)。
一目ぼれしたものがまさに自分にフィットする(自分”だけ”ではないと思いますが)。それがいかに幸せなことか実感した日曜日の夕方でした。
素材やデザインというのも大事ですが、自分にフィットするか、心地よいか。靴に限らず身に付けるものはそういった観点が大切だなと気づけた気がします。

マンガか?

今日の昼過ぎ、久しぶりに掃除機をかけていました。
もともとキレイ好きとはお世辞にも呼べないのですが、最近は出張続きで部屋でゆっくりする時間もなかなかとれないので思い立ったうちにやってしまおうと。
スティック型のサイクロン掃除機を使っているのですが、どうも吸引力が弱い。ごみのボックスをみると結構たまっていて、掃除が必要だということでした。
そのまま外して、中にたまったほこりを捨てるだけでいいのですが、サイクロンの部分にもほこりが絡まっていたので、そこも掃除しようと外してごみを取っていました。
だいたいとれたので満足して、掃除の続きをしようと思いサイクロンの部分を戻そうとすると・・・
”びょんっ!!!”
・・・
・・・?
・・・・・・ん!?
部品が飛んでいって中からばねが出てきました。
昔のマンガでロボットや機械が壊れる時の典型的な動きです。
ばらけたサイクロンと飛び出たばね、それにくっついて散らかったほこりの中、一人で笑ってしまいました。
その後購入した家電量販店へもっていくと修理には3週間程度かかるとのこと。その前にまず保証の範囲かどうか確認しますとのこと。
どうなることやら。
#掃除は大半済んでいたので何とか助かった(^^;)