リーダーシップの旅 見えないものを見る
野田 智義 (著), 金井 壽宏 (著)
素晴らしい本だ。
タグ: Leadership
リーダーとは
移動の電車で読む本が尽きてしまったので、乗り込む前にコンビニで手にした一冊。
その中で心に刺さったのがリーダーシップに関するドラッガーの言葉。
真のリーダーは、妥協を受け入れる前に、何が正しく、望ましいかを考え抜く。リーダーの仕事は、明快な音を出すトランペットになることである
—『プロフェッショナルの条件』より
以前、サーバントリーダーシップ入門を読んで以来リーダーシップについて考えいてた。
リーダーとはそれ単体では存在しない。
その人につき従う人がいること。
それがリーダーの定義だ。そのつき従う人がつき従う理由に、その理由のうち従う対象が及ぼしている影響、そこにリーダーシップが何からなっているのかを見るのだろう。
その根本にあるのは、リーダーの言うことが真意であるという確信を持てること。対象の真摯さに対する確信である。
本の中ではそれは、賢さに支えられるものではなく、一貫性に支えられるものだとしている。
いかなる環境におかれても一貫して揺るがないものを持ち付けることが出来る時、それに賛同するものがその対象に真を見出してそれを信じ従う。
その行動の中にリーダーシップは現象として現れるのだ。
先日読み終えたジェネラルルージュの凱旋にあったセリフを思い出した。以下に一部修正し掲載する。
まだ読まれていない方はとばしていただければと思う。
リーダーシップと言う現象はリーダーにとってもフォロアーにとっても、ある意味至福の経験ではないだろうか。
「君にはわからないだろう。救急現場は神でなければ裁けないのだ。そして、あの時、ワシはコイツの中に神を見てしまった。」
「ああいう場があって、あの時の流れの中で、たまたまほんの一瞬、神がコイツの肩の上に舞いおりた、ただそれだけのことだ。」
「ワシはあの時、初めて知った。神の指図で動くことが、あれほどまでの愉悦を伴うものだということを・・・・・・」
「ワシのプライドや肩書きなんて、そうした瞬間には、すべてすっ飛んでしまうくらい、ささやかで他愛もないものなんだ」
ジェネラル・ルージュの凱旋
ジェネラル・ルージュの凱旋
海堂 尊 (著)
ナイチンゲールの沈黙と並行した時間軸の中で繰り広げられていた物語。
ジェネラル速水の孤高な意志と強力なリーダーシップにカリスマを感じ惹かれると共に、組織としてあるべき姿とは何か?という問いについて考えさせられる。そのコントラストの間に見える人間模様が切なくもある。
小説とはいえ、速水を通じて、ストラテジック・インテントであり、リーダーの孤独であり、ウェブ時代 5つの定理でありの内容が頭の中で結びつく。もっと言えばこの物語を通して、医療機関という人命を扱う場でのオペレーション・エクセレンスとは何かについて考えてしまう。かつてその手のケースをつかってオペレーションストラテジーを学んだことがあった。
学びを得た言葉、心に刻まれた言葉を一部抜粋する。想像力豊かな方はここからもストーリーを推測できると思うので、それを避けたい方はとばしていただければと思う。
たまには、ご自分の姿を姿見に映して見た方がいいですよ。それは多分、社会人としては結構大切な身だしなみなんです
自由に動くためには、神経を細部までゆきわたらせること
俺らしいっていったいどういうことだ?学生時代、麻雀卓を囲んで徹夜した頃の俺が、俺らしいのか?それとも竹刀を握り、面金の向こう側の敵の眼を見据えていた時だろうか。長い月日が経つうちに、俺は本当の自分をどこかに置き忘れてきてしまったのかもしれない・・・・・・。
周囲のことなど考えずワガママいっぱいに振る舞う。それこそがトップというものだ。よく覚えておけ。
速水は佐藤を見つめる。それは一瞬のことだった。だが佐藤には果てしなく長い時間に思えた。その永遠の一瞬の中、佐藤と速水は果てしない議論を重ねた。
その時、佐藤は将軍と呼ばれる男に見えているビジョンを、生まれて初めて垣間見た。そして初めて将軍と呼ばれる男の孤独を理解した。
速水がうなずく。
「そうだ。たとえ後日、過剰反応だと笑われようとも、訴える声が聞こえたなら、非難を恐れず、ただ本能に身を任せるまで、さ」
いいか、迷うな。佐藤ちゃんの判断イコール俺の判断だ。自信を持て。