リーダーは自然体 無理せず、飾らず、ありのまま

リーダーは自然体 無理せず、飾らず、ありのまま
増田 弥生 (著), 金井 壽宏 (著)
読むことはできずとも読みたい本は買っていた。リハビリを兼ねて手にした一冊。前ナイキ アジア太平洋地域人事部門長の増田氏が金井氏との対話を通じて自身の経験を語る。それらに金井氏がリーダーシップであり組織開発の観点から解説を加えることでまとめられている。
当事者が語る具体的な経験と、金井氏による理論を交えた整理が内容を非常にわかりやすく、学びやすくしている。
この本から学ぶリーダーとして大切な点は2つある。1つは自然体であること、1つはリーダーシップ・アイデンティティを確立していることだ。
自然体でないリーダーは信頼されない。そして自然体というのは個人的には自分に正直であるということだ。無理をしないとか、ペースを乱さないとか、そういう話ではなくて、無理をする必要があると自分が感じるなら無理をする、自分のペースでなく他のペースで動く必要を感じたらそうする、といったことだ。それらができないリーダーは周囲へ違和感を与える。周囲は本人が思うより敏感に本人の中の本音と建前のGAPを感じる。そして人は、それを、意識的無意識的に関わらず、使い分け本音を明かさない/認めない人間を信頼しない。
では、自分が正直であるべき相手、自分とは何か。それがリーダーシップ・アイデンティティだ。増田氏はこのアイデンティティを以下のように説明する。

P195
リーダーシップ・アイデンティティとは、個人がリーダーシップを発揮する際にベースとなるアイデンティティであり、自分は誰なのか、自分が出すインパクトは何なのかがわかっていて、なおかつそれを言語化でき、出したインパクトについて責任がもてるということです。

自身のこれまでを振り返ると、リーダーであるべきポジションにつかれている方で、自然体でいる方は少なからずいる。ただリーダーシップ・アイデンティティを確立されている方は極めて少ないのではないかと感じる。こと大企業において。往々にしてポストのジョブディスクリプション=自身のリーダーシップ・アイデンティティとしてしまう方が多いのではないか。
上記の是非は、まさに金井氏が言われるように、環境に変化があるのかないのかで別れるところではないかと考える。

P.22
合理的に設計された組織には守るべき仕組みやルールがあります。環境に変化がないのであれば、既存の仕組みやルールにのっとって、決められたことが決められた手順できちんと行われていればいいのです。
 でも仕組みやルールが環境の変化に合わなくなったときは、誰かが変えなくてはなりません。ひと言で言えば、変化がある世界の中で組織に変化を起こすのがリーダーであり、リーダーシップです。

自身、自身の属する企業の環境に変化を感じるのであれば、自分のポジションのジョブディスクリプションに安住することを是とせず、自らのアイデンティティを見直し立ち上がる必要ある。
ポジションはそれに就く人がリーダーであるかどうかを規定しない。彼/彼女のアイデンティティが確立され、それを信頼しフォローする人間が現れて初めて、彼/彼女はリーダーとなる。
自分のリーダーシップ・アイデンティティを確立するということは、誰であっても取り組めることだ。
以下、印象に残った記述を抜粋する。

P.93
リーバイスの本社でファシリテーションをしていて段々わかってきたのは、表向きは熱くて絶え間ないやりとりを繰り広げている欧米人も、心の中では「誰か止めてくれ」と思っているということです。当人同士は本心では建設的な議論をしたいのですが、議論がヒートしてしまった以上、引っ込みがつかなくて、ガンガン喋りまくっている場合が多いのです。

P.97
「自信」は「自分」を「信じる」とか書きます。何か特別なものを手に入れることではなくて、今のままの自分で大丈夫だと信じることが「自信」です。自分はプロであり、英語ができるかどうかにかかわらず、プロらしく働こう! 自分のるか勝ちによってプラスの効果を組織にもたらそう! そう覚悟を決められたとき、私はようやく「自信」を手に入れたのだと思います。と同時に、以前より謙虚に自分の成長を心がけるようにもなりました。

P.117
私は、コーチングやファシリテーションや組織開発やリーダーシップ開発について、頼まれるがまま、あちこちで話しているうちに、自分が、「蛇口」を売って歩いているような気持ちになりました。
 私は自分のスキルをリーバイスで実践してきたのであり、私が知っているのはリーバイスの事例でしかありません。にもかかわらず、それを世間の人たちに話すのは、「蛇口があれば、きれいな水が飲める」とふれ回っているのと同じではないのかと思えてなりませんでした。自分は何をやっているのだろう。そう思っているうちに、今やっている仕事をやめて、一度人生をリセットしたいという気持ちを抑えられなくなりました。

P.129
私はリーバイスにいたときから、日本人の日本人らしさが、欧米人を中心とした組織の中では付加価値になるのではないかと薄々感じていました。日本人らしさとは、奥ゆかしさ、思いやりの深さ、謙虚さ、柔軟性、よくも悪くも空気を読んでしまいがちなこと、そしてしばしば悪いところだと言われる、曖昧さ、物事の白黒をはっきりさせずになんでも受入れてしまうことなども含まれます。そういったものを私達が日本人の付加価値なのだと自覚して発信すれば、世界のバランスはよくなる、もっと言うと、日本人が自分たちの付加価値を発信しないことで、世界は損をしている、そんな考えをもつようになっていました。

「真のリーダーシップ」とは、自分で考え、信念に従って行動できること

2年程経つだろうか。読書の優先順位を下げた。これまで年平均120冊程度の本を読んできていたと思う。それを1/10以下にした。勿論どちらも仕事での必要性から参照するといった話は除いている。雑誌や簡単に読み終わるボリュームの軽いものは時間をつくって読んでいる。
COURRiER 7月号の中に、リーダーシップについてとても良い記事があったので書き留めておきたい。2009年、米国の陸軍士官学校ウエストポイントで、イェール大学の元教授ウィリアム・デレズヴィッツ氏が講演の内容だ。タイトルは「孤独とリーダーシップ」。
以下に自分に響いた個所を中心にまとめるが、是非実際の文章にあたっていただければと思う。

彼はいくつかの例を示しながら、現代のリーダーは優秀な羊であるとする。「考える人」がいない。物事を自分で考えられる人がいない。ビジョンを持った人がいないという。そして、「真のリーダーシップ」とは、自分で考え、信念に従って行動できることであるとする。
そして、「考えること」を学ぶためにどうすればよいかとを論じる。
そもそも「考える」とはどういうことか、彼はそれを自分の考えを確立することであるとする。そして、それはfacebookや、twitterや、youtubeをみたりいじったりしながらできるものではないと言う。その中でマルチタスキングについて触れる。マルチタスキングを可能にする知的な能力は存在しない。マルチタスキングはすればするほど能力が下がる。マルチタスキングは「考えない」ことであるばかりか思考力を損なうことである、と。
最初に浮かぶ考えは、いつも誰か別の人の考えであるという。問題に集中し、浮かんだ疑問から離れず、粘り強く考え続け、自分のあらゆる思考力を総動員してはじめて、独想的な考えに辿りつけると。脳に物事の関係性やつながりを見ださせ、ひらめくような機会を与えねばならないと。
そうして生んだ考えについて熟考する時間がまた必要であるという。何かを間違えたり、その間違いを見つけたりするための時間であり、過ちを正すための時間であり、衝動的な考えに流されずに考え続け、考え終わったと断言して次に進もうとする欲求に打ち克つための時間である。
こうした考える時間をとり、その答えを見つけるために「孤独」が必要であるという。邪魔や圧力のない孤独の中でこそ、自分のなかにしかない答えを見つけられると。
そしてエマソンの言葉を引用する。

「集団を鼓舞し、率いる人間は、他者の魂と同調することがあってはならない。また他者の志向を生きたり、取り込んだり、読んだり、新聞に書いたり、彼等の使い古された考えに縛られたりすることがあってはならない」

次に彼は「友情」の大切さに触れる。もう一人の自分と呼べるほどの仲間を持ち、彼/彼女との対話を通じて内省をすると。
たとえどれだけ多くの人に相談しようとも、決断できるのはリーダーのみであり、そのときにリーダーが頼れるのは自分しかいないのだ、と結ぶ。

世界中の人とつながることができるようになった素晴らしい今という時代にあって、その一方で自分の内側とのみ向き合える時間は減っているのかもしれない。twitterやfacebookの使い方・それぞれの目的に対する活かし方を学ぶの有益だ。その一方で、僕達は自分との会話の仕方、自分の心深くとのつながり方をわかっているだろうか。つながれているだろうか。
リーダーシップの旅という書籍の中で、リーダーシップは3つあると論じられている。リード・セルフ、リード・ピープル、リード・ソサエティだ。その中の最初の段階、リーダーシップの核となる部分、自分で、自分をリードできるようあり続けるために、上記、孤独を確保し、考えることに集中すること、内省できる深い友情を持つことは非常に大切であると思う。

リーダーはやらされない

些細なきっかけで感じたことなのだが、リーダーに大切な要素として、何事にも”やらされ感”がないことというのがあると思う。”やらされ感”がないとは、言い換えれば自分なりの意志・解釈を持たずに(明確にせずに)(不本意ながら)動くことをしていないということだ。
逆を言えば、何をするにしても自分なりの意志・解釈を持って、それを明確にして、やるべきこととしてやっていく必要があるということだ。
それをしないということは、
自分の意志・意図とは関係なく、組織の都合等他の力に自分は(不本意でも)流されますというメッセージになる。
特にやることに価値を見出せていないのなら、価値が無くても都合に流されますというメッセージになる。
価値が無いことをやることに不満を感じ、それを表に出していては、相手に対しても価値がないと分かっているし申し訳ないけど、他の都合があるからやりますよ、他責にしていますよというメッセージになる。
何事にも意味があると思っている。もし自分が何かしら自分発信以外の都合で動く必要がでてきたとき、他を動かす必要が出てきた時には、それの意味を自分なりに解釈して、自分としてやるべきなのだという意思決定を明確にしてから動いたほうが良い。
そして、本当に意味がないのであれば、きっとそれはやるべきではないのだ。
自分のこれまでの行動を幾つか反省した。

君だから

プロジェクトも大詰め。先週金曜日はMeetingを23時過ぎごろに終え、最近ブログに書いているコンサルタントの方と少し遅めの食事へ。少しお酒を飲みながら、少し昔の話を聞く。メンバーとの接し方について。

”昔は、(自分がリカバリーできる範囲で)達成して欲しいゴールと時間だけ投げてたんですよ。手段はお前に任せるからとにかくいつまでにこれを達成しろって。レビューしながらぎりぎりまでやらせて、いよいよもう駄目だってなったら、もういいよオレでやるから、って取り上げちゃう。自分もそういう中でストレッチしてきたっていうのもありましたからね。取り上げられた方は放心状態ですよね、何していいかわからなくなっちゃう。でもそういう経験をするから任せられた仕事は自分でやり遂げたい、価値を出したいって心から思えるようになるんだと思うんです。”

”でも、それってあくまで幾つかあるやり方の1つであって、それだけじゃないんだなっていうのにいつだったかな、気づき始めたんです。最近は、一緒にやるメンバーにはまず徹底して、このメンバーでチームになる意義、このチームのメンバーになる君達個々人のだからこその意義っていうのを分かってもらうようにしてます。誰が欠けても成り立たないんだっていうのを分かってもらうんです。この船は、オレたちの誰一人が抜けても沈んじゃうんだって。やっぱり人って、自分の存在意義とか価値とかそういう部分から納得しないと本当の力って出せないんだと思うんですよね。勿論昔みたいなやり方で燃えるようなやつが少なくなったというのもありますけど。”

経験に裏付けられたまっすぐな言葉は、重みがありつつも優しく自分の中に入ってくる。

あと一息。なんだかんだあるが、今回は存在意義も何もすっとばして、ひたすら二人でこぎ続けているような気がする(頭も体もつかって)。確かにどっちがそれをやめても沈んでしまうことは事実だと思えるが。

面白いものだ。