戦略コンサルタントを経験して良かったこと

キャリアインキュベーションのメールマガジン(vol.100)より引用。”人生の中で、戦略コンサルタントを経験していて良かったと思うことはありますか。”という問いへの金光さんのこたえより部分抜粋。

何か大きな目標に向けて、今は準備・手段としてある仕事をする。そういう考え方もあると思います。でも、私は、ただ今現在の自分を何かの手段というふうに考えるのは性に合わない。というか、手段として生きる時間があるなんて、人生がもったいないなと考える性質かも知れません。
もちろん誰にだって、ある時間を何かの準備のために費やすということはある。でもその場合でも、それ自体を楽しいと感じてやっているかどうかで、随分違いがあるような気がします。

要は、常に楽しいことをやっている人、自分が好きなことをやっている人というのは、強いんじゃないかなと思います。幸いにして私も、戦略コンサルティングという仕事が大好きでした。そりゃあ上手くアウトプットが出なくて深夜まで働くとか、終わらなきゃ土日であろうが時間を使うとか、しんどいなと思うことも多々あった。だけれど、なんだかんだ言っても、好きなことしているから、客観的に見れば辛そうなことも、大して苦にはなってないんですよね。

戦略コンサルタントに求められる資質は、煎じ詰めれば二つです。二つで十分。
戦略コンサルタントが好きな、「3つ」はいりません(笑)。
その一。プロフェッショナルという自覚が出来るかどうか。
その二。その上で様々な事象に対して原理的な知的好奇心を持てるかどうか。
先ずプロフェッショナルという自覚。あなたはプロとしてクライアントからクライアントの課題や要求にこたえるために高額で雇われるのです。常に、高額の報酬に見合う仕事や振る舞いを心がけねばなりません。決してあなた自身の自尊心や知的好奇心にお金を払ってくれるのではない。
矛盾するようですが、一方であなたは常に知的好奇心にドライブされなければならない。クライアントの課題を解決するために、あなたの持つ知的好奇心の全てをぶつけていける資質。常識的理解に留まらず、原理的に考えようとする資質。例えば。流行という現象はどのように生まれるのか。例えば。同様な商品を同様の価格で同じ市場に投下しているのに、なぜ会社間で収益性が異なっているのか。などなど。
そういったことに好奇心が持てるかどうか。原理的に解明したいと思うかどうか。解明するために必要とあらば、例えば今からでも経済や数学の勉強をしようと思うかどうか。

「どんな絶望的な状況に思えても必ず解決策はある。」
「だから一人で抱え込むな」

一番の財産。それは、本当に素晴らしい仲間たちと出会えたこと。

倉重英樹

倉重英樹のCEO日記「新会社を創る!」
とても面白い。そしてその中に厳しさというかプロフェッショナリズムというかを感じる。
特に”サービスの根本“のチャート。ヘッドラインを描かずともメッセージが伝わってくる。

おわりとはじまりと

この週でこのプロジェクトも最終報告を終え、ひとつの区切りを迎えた。クライアントからすればあくまで1つのプロジェクトに区切りがついただけであり、自分達がつくっている戦略であり計画でありを実行に移すのはまさにこれからになるのだけど。

前夜、クライアントとの打上げを終え。朝、今後についての打合せも終え。昼前から自由のみとなる。これまで、時に思いっきり転んだり、互いに手を引いたり、時におんぶをしあってきたりしたコンサルタントの方とすこしはやめで、すこしゆっくりしたランチをとりに繁華街へ。自分にとっては少し懐かしく、彼にとっては新しい街だ。”いやー、やっとこれましたね(笑)”なんて話をしながら繰り出す。食事をしながら話をするのはこのプロジェクトの話、そして今後の話。振り返れば(一部はその当時からはやくも)ネタになる笑える経験(今になれば修羅場も笑える?)、そのときは気づいていても口にしなかった互いの胸の内、これから先もっと伸ばした方がいいところ等々、話は尽きない。

面白いもので、そのときは気づいていても口にしなかった互いの胸の内は、いざ口にしてみると既に互いに気づいている。当時の自分の機微を理解しており、そして相手の言葉以外で表現されているメッセージを受け取っていたようだ。言葉以外のコミュニケーションでやりとりできる情報の多さに素直に関心する。いただいたたくさんのメッセージの中で1つだけ書いておこうと思う。

(このプロジェクトの中で何度か自分のやり方や価値に迷いを持った時があった。それを話した自分に対して)

それは違います。確かに一緒にやっていてドライブする力が弱くなった時が1-2度ありましたけど。違いますね。何でかって言うとそれはお客様の目を見ていればわかります。このプロジェクトでお客様がsagadさんを見る目が変わっていくのを横で見ていました。彼らが迷っている時、相談したい時、それを僕らが答えるとき、彼らが見ていたのはsagadさんの方でした。それは彼らに信頼されているからこそのことです。自分でどう思うかというのはあるのかもしれませんが、彼らの視点からみて価値がなかったということはないと思います。

価値を考える視点がそもそも違ったのだなと反省しながらもらった言葉を噛みしめた。まだ”自分”だけに焦点があってしまってるのだなと。そして、プロジェクトとは別だけどプロフェッショナルサービスというものについて気づかせてくれるエピソードを1つ。

(彼が以前欧州へ行ったときに、ある有名な靴ブランドの本店で靴を買った時の話)

靴づくりの職人さんが似合う靴を探してくれるんです。その時点でまずお金を扱う方と、お客様にあった靴を探す方が分けられているんですね。で、実際に靴を探すときなんですけど、その職人の方が次から次へと靴を持ってくるんです。これを履いてみろ、あれを履いてみろと。で、だんだんと疲れてくるんですよね履かされてる方は(笑)で、なんとなく良さそうなやつがあって、”これがいい”って言うと、職人さんが”ダメだ”っていうんですよ。

彼は僕の言葉を聴いてないんです。僕の目であり表情でありを見てるんです。”お前はまだ心のそこから”これだ!”って思えてないだろ”って。それでまたたくさんの靴を履く。そうすると、でてくるんです、”あ、これだな”っていうのが。そしたら今度は僕がそれを言う前に、”こちらですね。”って言うんですよ。

これだけのこだわりをもって自分がコンサルタントとして活動できいたかなーって思うと、いやー、考えさせられますよね(笑)

今回のプロジェクトで感じたのだが、おそらく彼はこれだけのこだわりをもってコンサルティングということに携わることができている。

自分はどうだろうか。

今回のプロジェクト、彼との出会いで学べたことを旨に前に進んで行きたい。

そのためにまず自分のメンテナンスもしていこう。

君だから

プロジェクトも大詰め。先週金曜日はMeetingを23時過ぎごろに終え、最近ブログに書いているコンサルタントの方と少し遅めの食事へ。少しお酒を飲みながら、少し昔の話を聞く。メンバーとの接し方について。

”昔は、(自分がリカバリーできる範囲で)達成して欲しいゴールと時間だけ投げてたんですよ。手段はお前に任せるからとにかくいつまでにこれを達成しろって。レビューしながらぎりぎりまでやらせて、いよいよもう駄目だってなったら、もういいよオレでやるから、って取り上げちゃう。自分もそういう中でストレッチしてきたっていうのもありましたからね。取り上げられた方は放心状態ですよね、何していいかわからなくなっちゃう。でもそういう経験をするから任せられた仕事は自分でやり遂げたい、価値を出したいって心から思えるようになるんだと思うんです。”

”でも、それってあくまで幾つかあるやり方の1つであって、それだけじゃないんだなっていうのにいつだったかな、気づき始めたんです。最近は、一緒にやるメンバーにはまず徹底して、このメンバーでチームになる意義、このチームのメンバーになる君達個々人のだからこその意義っていうのを分かってもらうようにしてます。誰が欠けても成り立たないんだっていうのを分かってもらうんです。この船は、オレたちの誰一人が抜けても沈んじゃうんだって。やっぱり人って、自分の存在意義とか価値とかそういう部分から納得しないと本当の力って出せないんだと思うんですよね。勿論昔みたいなやり方で燃えるようなやつが少なくなったというのもありますけど。”

経験に裏付けられたまっすぐな言葉は、重みがありつつも優しく自分の中に入ってくる。

あと一息。なんだかんだあるが、今回は存在意義も何もすっとばして、ひたすら二人でこぎ続けているような気がする(頭も体もつかって)。確かにどっちがそれをやめても沈んでしまうことは事実だと思えるが。

面白いものだ。

解釈の土台

2008.3.31号の日経ビジネスの中で、ダイドーリミテッド会長の羽鳥嘉彌氏は語っている。

アンドレ・ジッドの小説にあるような「狭き門」を突破できた企業だけが残っていく。(中略)では、どう突破すればいいのか。ヤマ勘ではいけないわけです。自分たちにやがて降りかかってくる環境の変化を自分で読み取らなければいけない。それには歴史の認識しかないように思うんです。過去の延長線上に将来というものが見えてくるわけですから、未来を読み取るためには、過去に対する深い認識がないといけない。

ダイドーリミテッドは創業130年、自分たちの居場所を変えながらここまできた。成功体験が少ないが故に、環境の変化に割合適応して、己を変えてこられたと氏は言っている。

この内容がとても印象深かった。簡単に言ってしまえば”歴史を理解することは大事だ”と。

こう言ってしまうとあまりに当たり前に聞こえてしまうのだがこれはとても大切だ。

歴史のように、事実であり、人間模様もありありと描かれており、(当たり前だが)非常に長い期間にわたって描かれているものを理解し自分の頭の中に持っておくことは、人の話であり文章でありをインプットする時の解釈を助けると思うからだ。

コンサルタントは論理的に物事を考えられる人だ(程度の差こそあれ)。マナーの一部のように論理的に考えることを身につける。(・・・このブログは論理的ではないが(^^;))

だからたいていの人は自分が知らない分野でも論理的に質問を考え出すことができる(考えることができることと相手が答えやすいように、必要な情報が得られるように実際に問いかけるのができることの間には大きな大きな隔たりがある)。

でも一方で、(特にエントリーレベルのコンサルタントを見ていると)人の話を解釈できない人が多いように感じる。論理構造にのっとって整理はできても、論理の矛盾や足りない情報を見つけることができても、1つ1つの話の奥にある相手のメッセージでありそのメッセージを発する理由を見出すことができないのだ。

文章で言うなら行間が読めないというのだろうか。(そもそも行間を読む必要がある文章が悪いと考えもあるのかもしれないが良い悪いと事実どうあるかは別だ。そして良し悪しはケースバイケースだ。)

そういった解釈できないという現象の裏には、経験であり教養でありの不足があるのではないかとふと思ったわけだ。

でその教養の中で歴史を理解するということは大きいと。

歴史をはじめ、人としての教養をそなえるための自分磨きもしていきたいと思う。