自分の持ち味を知る

働いているスタートアップでは、戦略を練りながらパートナーシップの交渉をしながらサービスのテストをやっている。簡単な話ではないが、戦略をつくるということはこれまで経験があることなので頭を捻りながら前に進めている。交渉に関しては手探りながら進めている。自覚していなかった自身のクセも見えて新鮮だ。サービスのテストをやっていると色々と気がつくことがある。ITに携わっていた頃の経験から、自分の中のシステム開発のあるべき像と目の前の現実のGAPに引っかかるのだ。

自分が携わってきたのは大企業のプロジェクトマネジメントだ。Startupの開発とは違うだろう。時代も違う。開発手法だって進化を遂げている。そう思いながらサービスをいじっていたがどうにもひっかかる。あれこれどうなってるのか気になる。自分の経験が警笛を鳴らす。このまま進めていていい理由が見当たらない。トラブルのシーンが浮かぶ。一方で時間を含めてリソースは限られているのだろう。しかし何もドキュメントを1から10まで耳を揃えてつくる必要なんてない。ただ、最低限必要と思われるものはあるのだろうかと(あるならテストで使うはずだから、でてこないってことはないんだろうなと)。

ということで創業メンバーに質問する。こういうドキュメントがあったら欲しい。それがないと満足なテストができないはずだから、もしないならあったほうがいい。加えれば後これとこれはドキュメントとしてあった方が良いのだが、今のところどうなっているのかと。

結論なかった。そしてできたら今後どういう局面でどういうドキュメントが必要になるか教えて欲しいという話になった。それが理由まで含めてわかれば、リソースに鑑みてどのドキュメントをどこまでつくる/つくらないという判断ができるからだ。

フレームワークと同じだと思う。どういう局面で、そのフレームワークが、何のために必要となるのか(利用できるのか)。それがわかれば状況に応じてそのフレームをそのまま使うのか否かから考えることができる。創業者のバックグラウンドはプログラミングを担当している人間を除いてITバックグラウンドではなかったと記憶している。金融バックグラウンドのMBAと後はどうだったかな。要確認。

 

極少数で多くのタスクを並行して進めているのでこういう状況は往々にして起こりうるのだろう。そいういう時に今回のように自身の限られた知識でありスキルであり経験からでも必要な仕事をつくり、やっていく。そういう姿勢が必要なのだなと、言葉ではなく身を持って感じた次第。

これまでの自分の経験を振り返って、仕事に関して受け身でいたという自覚はなかった。だが、コンサルティングの経験をして、MBAにきて、Startupで働いてみたらいつの間にか自分の仕事は戦略をつくりその実行を支援することだという思い込みができあがっていたようだ。

僕はキャリアをシステムエンジニアとしてスタートしている。自らどっぷりコーディングをした経験は多くはなく、かわりに多くの時間をプロジェクトマネジメントでありそのサポートに費やしてきた。所属組織の対象顧客企業が中小企業であったので、大規模システム構築を前提としたマネジメントプロセスをどのようにして中小規模のプロジェクトにアジャストするのか、その中で妥協してはならないポイントはどこか、というような点は現場で学んできたのだと思う。あくまで学んだに過ぎない。百戦錬磨のシニアなマネージャと比べれば理論だけ必死で叩き込んだ頭でっかちでしかなかったろうから。

今思えば良かったのはパッケージSIではなくカスタムSIプロジェクトであり、最初にデータの流れを徹底しておさえる方法論を学んだという点だ。その後、そこから時代の流れに応じてWebアプリケーション開発であり、ウォーターフォール型ではなくて繰り返し型の開発でありという話を学んだ(かじった)。

それでもその経験に、ITから戦略までのコンサルティングの経験を足し、今IESE MBAでの経験を足している。

自分が何でできあがっているのか、個性等ソフト面を抜きにした経験だけみても、決して戦略をつくって実行を支援するだけが僕の持ち味ではないのだろう。今の自分が過去の経験から再度学べることも多い。過去と今とでは持っているレセプターが異なるから。

 

ということで、自分の価値を限定することなく、自分の持ち味は全て発揮する必要があるし、そうであってこそ一層エキサイティングな仕事をしていけるんだろうなと感じた次第。

余裕がないときこそ相手を慮った方が良い

余裕がないときこそ人に接する時は一層相手のことを慮ったほうが良い。なぜならば、余裕があれば当無意識に普段からできている心遣いが、余裕がないときはできなくなっていることが多いから。礼を欠いていると感じられるコミュニケーションは往々にして自身の望む結果を遠ざけるから。そして、余裕がないとき程一層、遠回りをするわけには行かないから。

ふとしたきっかけで、過去の苦い経験や同僚の苦い経験を近くで見ていた経験を思い出した。余裕がないときにしてしまいがちな間違いを幾つか書いておきたい。例えばメールでのコミュニケーションにおいて。

全ての根幹にある考えは、

あなたに余裕があろうがなかろうが、どんな状況に置かれていようが、そんなものは相手には一切の関係がない

という点に尽きる。

1. 相手の置かれている環境を慮る言葉を添える

余裕がない中でメールを書いていると、相手がどのような立場に置かれているのか、どういう状況でそのメールを読むのか、といった点へ想像を巡らせる行為がまず省かれがちだ。なぜなら、自分が置かれている環境や自分が言いたいことはもうわかりきっていて一刻も早くメールを出して物事を進めたいと思っているのに対して、相手のことはわからないからだ。余裕がないときにわからないことへ想像をふくらませることはもどかしい気持ちに駆られる。

なのだけど、省かない方が良い。少なくとも、一言でも丁寧に添えられるだけの時間(数十秒から数分ではなかろうか)は割いたほうが良い。それがないと、その後でどれだけ相手へのメリットを語ったとしても、”要は自分の都合で話を早く進めたいから(とってつけたように)言ってるんだよね?”と感じられる可能性が高まる。これが本意ではないだろうし、そうでればこれほど不幸な誤解はないだろう。

2. 相手が決めることを勝手に決めて話を進めない

余裕がない中でメールを書いていると、段取りを丁寧に踏めなくなる。最短距離でゴールテープを切ろうとするあまり、普段以上にAssertiveにものを言いがちになる。挙句には、本来相手のYes / Noによってその後のやりとりが変わるところを、自分に望ましい答えを相手が出す前提でその先の話をしてしまう。なぜなら、メールのやりとりを続ける余裕がないからだ。自分が最終的に相手からほしいYes / Noであったり得たい情報であったりをもらうために、すべての内容をそのメールに盛り込み、最終的な点に至るまでは自分に望ましい答えを出す前提にしてしまう。そしてそうすることが良いというメリットでそれをサポートしてしまうのだ。

なのだけど、それはよした方が良い。ひとつそれをやった時点で、それ以降の内容を相手は否定的に読むもしくはもう読まないだろう。誰がそう答えたんだ?とまず思うだろうし、何よりそれ以降の内容は相手があなたにとって都合の良い答えを出した場合にしか意味を持たないことが書かれているからだ。

これも1と同様だ、どれだけ相手にとっての価値をあなたが丁寧に考え盛り込んでいたとしても、”結局用は自分に都合の良い結果が欲しいんでしょ?”と思われる可能性が高まる。そう思われるのが本意でないなら不幸な誤解だ。

3. アツさは礼を尽くした後に添える程度に

余裕がない中で(もしくはこれは自身の背負ったミッションに誇りを持っている場合にも当てはまる。そんな中で)メールを書いていると、ついそれを語りがちだ。余裕がないとき、そしてミッションに燃えているとき、人は自身の拠り所に普段以上に依存する。それが自分の背中を支えてくれる、押してくれるからだ。

問題は、それは(あなたが思うよりずっと)相手から冷静にみられるということだ。そして、相手は(貴方が思うよりずっとずっと)冷静にそのミッションを評価しているということだ。

まず前提として、そこで語っている内容と、そのメールを通じて相手が受けとる印象が一致している必要がある。なので、簡単に言えば、クライアントに尽くすというニュアンスのことがあったとしたら、あなたのメールの中でもあなたは相手に尽くしている必要がある(自分の余裕のなさを感じさせたり、自己都合で最短距離を走ろうとするのではなく)。自分たちが優秀な人材を擁する企業であるというニュアンスのことがあったとしたら、メールを通じてあなたが相手からして優秀な人材を擁するに足る人格を持っていると感じてもらう必要がある。といったように。

それが成り立ってはじめて、あなたのミッションでありは相手に受け入れられる。そうでなければ価値を持たないもしくはそれは真実ではないものとして相手に理解される。不幸な誤解だ。

 

それができたら苦労しない、というところなのだが。余裕がないときこそメールを送信する前に一息ついて、相手を慮った表現ができているか、相手に決めてもらうべき点を勝手に自分が決めていないか、そのメールの内容は相手に自分がミッションと重なる存在だと感じてもらえるか、一考したいところだ。

スタートアップで一歩を踏み出す。自分が発現できる能力が企業の能力を規定する

この秋からベンチャーでパートタイムのインターンをしている。どこの国のベンチャーという言い方がうまくできない。ただ、2人のファウンダーはイギリスとドイツにいる、新たに参画したメンバーはアメリカにいる、そして開発チームはドバイにいる。

僕が今のところ担当しているのはパートナー戦略策定と獲得。サービスのバリュープロポジション、市場の環境や競合のふるまいが明確でないのでそこを理解し、仮説をたて、前に進めていく。現状から大きく乖離しない範囲で持っているサービス像から価値が高いであろう要素を抽出していく、その一方で創業メンバーとともにパートナー候補となる企業をリストアップする、と同時に彼らはすでに人づたいでコネクションを開拓しつつある。

他のタスクも含め多くのことがパラレルに進む。短い時間軸の中で。全てのタスクで1から10まで事前に立直しうる情報で検証することはおおよそ難しい。なので実際にコンタクトしながら検証していくより他ない。とりかえしのつかない失敗のリスクがないのであれば余程効率的だ。

ベンチャーであれ大企業であれ、イシューをごまかすことは許されない。イシューを特定し解決策を検討するために必要なフレームワークにも妥協は許されない。

ただ、どの程度の段階で意思決定をするのか、どこまで立ち止まって考え、どこから走り出すのか、その程度が圧倒的に大きく異なると感じている。今週すでにパートナー候補との会話の場がみえている。

 

まずは第一弾だ。

 

僕はこれまでコンサルティングの提案をする際、コンサルティングというものを売る、という考え方はしてこなかった。相手の課題について仮説を立て、解決策もしくはそれを検討するためのオプションを出し、それに必要な期間とコストを提示する。相手の課題を自分たちよりうまく解決できそうな企業があるのならそちらを頼るべきだし、そもそも自分たちでやった方が良いことであればそうするべきだと考えてきた。

自分たちがやるべきなら、価値を出すために必要な期間とコストを確保する。それがないならプロジェクトの中で価値をつくり上げるために一層の他のリソースを割いてもらうか、そのプロジェクトの価値を減らすか、直接価値を受けとることを諦めプロジェクトのアウトプットを引き継いで自分たちで価値にしてもらうかだ。そのいずれもができないのなら、そのプロジェクトはするべきではないと考えてきた。価値の望めないことはしない、この側面だけをみれば至極当然のことであると思う。

今参画しているベンチャーに関しても、自分の中でパートナー企業へ価値が提供できるであろうという仮説は立っている。各企業が本当にそれを必要としているのか、相手にとって本当に価値になるのかを見極めて進めていきたいと思う。と同時に、価値が届けられるよう、仮説検証の結果に応じて、サービスのインプリへも貢献していけたらと思う。

 

また、スタートアップに関与して思うのは、やるべきことが山積みだということだ。その”やるべきこと”が何であるのか、その優先順位は何であるのか(何がキモなのか)、という状況の理解は人に応じて異なると思う。人によって見える課題もあれば見えない課題もあるだろうし、自分で解決できることもあればできないこともあるだろう。

そう考えると、どういう人間がそのスタートアップを興すのかがその成否を(これまで想像していた以上に)大きく分かつと思うに至る。だからこそ共に働く人にこだわるのだろう。

そして、最終的には行動し何らかの結果を得ることが全てだ、知っている、分かっているだけでは物事は解決しない。従い、自分が創業者であるなら自分が発現できる能力がその企業の能力を規定するという側面は大きい。だからこそチームを組むのであり、自分の能力の限界を知ってこそ適切な仲間を探し求めることができるのだろう僕は今学生の立場でパートタイムのインターンシップだが(気持ちとしてはコミットしていると言いたいが)、フルタイムでコミットしている創業メンバーであればその意識の強さとそれを要請するプレッシャーは圧倒的に大きであろうと感じる。