[書評] なぜローカル経済から日本は甦るのか

この書籍の中で筆者はグローバル経済とローカル経済を明確に分類する。そして近年注目されているグローバル経済での成長をどれだけ求めてもそれはローカル経済へのトリクルダウンを起こさないということ、日本はローカル経済の割合が大きくグローバル経済を強化してもそもそもインパクトが小さいこと、それら両経済圏における競争ルールは全く異なるものでありそれらを強化するに際して政府に求められる役割も企業・経営者に求められる行動も異なること、ではそれぞれの経済圏においてどのような時間軸で誰が何をどうしていくべきなのか、を明快に語る。

ローカル経済の重要性を語る中で、筆者はグローバル化が加速するにつれてグローバルとローカルの2つの世界の遊離が加速する、グローバル化が進めば進むほどかえってグローバル経済圏から切り離される人が多くなる、グローバル化のパラドックスが起こっていると言う。

そして付加価値構成に分解して考えれば、非常に大きな割合がローカルな世界で生産され消費されていることに触れる。

また、Tradable goods(貿易財)とNon-tradable goods(非貿易財)の違いにも触れ、グローバル経済圏は前者を扱う大企業が中心であるのに対して、ローカル経済圏は後者を扱う中堅・中小企業が中心となることを定量面からも示す。

そしてその各経済圏において日本の政府、企業・経営者、個人はどのようにふるまうべきなのかの持論が展開される。

その内容の濃密さから得るものも多いが、それ以上に驚くべきは筆者の広範な知識と深い洞察であると感じた。経営・経済・法律・金融会計等広範な学問領域を縦横無尽に跨ぎ、かつその全てが自身の経験に結びつき一切学問的な内容にとどまらずに肌感覚をもって論じられるというのは並大抵のことではないだろう。

[書評] 外資系金融のExcel作成術 -説明不要のモデルをつくる

仕事上PowerpointとExcelを使うことが多かった。しかしモデリングの経験は多くなく、Powerpointのように細部にわたるまでの、何を表現したいときにどうすべきか、という基準は持ち合わせていなかった。

MBAでのクラスは勿論、Venture Capital & Private Equity Clubのモデリング講座を受けたりしながら基礎を築いてきた。今回、この本を通して日本語で復習したいと思って手にした。

素晴らしい本であると感じた。自分の経験に照らして、書いてある内容に目新しい物はなかったが、プリンシプルがあり、細部においてもなぜそうしなくてはならないのかが明確に示されている。

当たり前の一言で片付けることもできるのかもしれないが、こうして全てが明文化されていることがまず素晴らしい(本を通じてメッセージするためには当たり前ながら文字を含むビジュアルになっていなくてはならない)。自身が当たり前のように身につけている所作を、自覚し、言葉に置き換えていく作業は思う以上に負荷が高い。

また、究極的には読み手に依存するモデルの品質の担保の仕方についてもうまく説明がなされているように感じた。説明せずに複雑な計算式を埋め込んでしまうと意味がわからなくなる一方で全ての数値を表にしていては冗長になってしまう、その辺りをどうするべきかという点がそうだ。

前半の、モデリングの前のそもそもの表の作り方・Excelの使い方も非常にシンプルにまとまっている。Excelの使い方というのは非常に多岐にわたっており、色々と斬新な使い方を目の当たりにして言葉を失うことも時折あるが、こうした基本的な思想を身につけた人が増えれば、データのやりとりや加工分析はずいぶん効率が上がるだろうと思う。

そして、基本的なデザインに関しては、Excelに閉じず、Powerpointに閉じず、やはり『ノンデザイナーズ・デザインブック』は秀逸であると再認識した。説明を必要としない、アフォーダンスのレベルの高いものをつくろうとした際に、デザインの基礎を学ぶことは避けては通れない。

からだで学んでいきたいと思う。

こうして最低限必要となるモデリング等にかかる負荷を減らせる程、前提条件に反映される事象であり、この数字の裏にある・この数字に責任をもって実現していく人間関係であり、といった一層大切なものごとに対して割ける時間を増やすことができるのだし。

[書評] 嫌われる勇気 -人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないこと

自分の人生を歩むために人に嫌われることを厭わない勇気を持つというのは大切なことだな、と思って手にした。

僕は人に好かれるために自己犠牲を払うとか他人の人生を生きるといった類のことはもともとしない。一方で堂々と人に嫌われることもあまりしない。

留学を通じて自己主張すること、軋轢を乗り越えてチームで動きアウトプットすることの経験を積んできたがまだ足りないように感じている。

アドラー心理学は『人を動かす』や『道は開ける』で知られるデール・カーネギーや、『7つの習慣』のスティーブン・コヴィーの思想に近いものがあると説明されていたがその通りだと感じた。そう考えて読むと理解が早い。

本は青年と哲人の対話形式で進む。この青年のキャラクターに違和感を覚えるのだが、アドラーの考え方をメリハリをつけて伝えるために必要なのだろう。帯のコメントを見ると伊坂幸太郎氏は、最後にはなぜか泣いていた、と言われているが、僕はそうはならなかった。むしろ青年の変化に対する違和感を強めた。ここは内容の本筋ではないのだが。


自身の理解のもとにこの本にある内容をまとめると次の3つになる。僕のチャレンジは3つ目にあると思っている。

1. 責任の範囲を見極め自責・目的論で生きる

物事には自分が変えられるものと変えられないものの2つがある。まずここの見極めが大切だ。自分が変えられないものを変えようとする、思い通りでない結果を悔やむことは無価値だからだ。

変えられるものに関しては自身の望む結果を出す責任は自分にあるのでその責任を全うする。そうでないものに関しては、結果のいかんに関わらずそれをどう解釈しどうその後に活かすかは自分の自由だ。そしてその自由を活用するために必要なのは、その結果の被害者ぶることなく自分のその先の目的に焦点をあわせ、それに対して有益な解釈を選択することだ。

こうして生きることは自分と他人を比較する必要性をなくす。比較するべきは自分の理想と現実であるという思考にたどり着く。

自分がそうやって生きるということは、他人が同様に考えて生きることを尊重することにもつながる。それはこの本でいう課題の分離に通じるものであり、また縦の関係から横の関係へシフトするということにつながるだろう。

2. 今の一点に集中する

ただ過去の延長線を生きているに過ぎないとせず、未来のゴールに向かう通過点であるとせず、今を真剣に丁寧に生きる。

程度問題はあると思う。過去が未来を規定する側面もあるのだと思う。それでも自身の今であり将来を考えるとき、全ての過去はサンクコストだ。

また将来のゴールを見据え、今は数あるステップの1つであるという考えも注意が必要だろう。その考え方自体は問題ではないが、この考え方は、容易に現状理解・改善の思考を停止させるからだ。

それをする労力を払う前に、これは数あるステップの1つなのだ、いずれ終わるものなのだとフレーミングし、そいうことだからとやり過ごそうとするケースが多いように感じる。

往々にしてそれでは物事は思うように行かない。やり過ごせたとしてもそれは理想ではないはずだ。

過去に何があろうとも、将来に何を描こうとも、人はいましか生きられない。であればその今には真剣に丁寧に向き合い続けなければなるまい。

3. 仲間意識を忘れず他者貢献に焦点をあてる

自立し社会と調和して暮らすことをアドラーは行動面の目標とする。そのために必要なもの(この行動を支える心理面の目標)は、自分には能力があるという意識と、人々は自分の仲間であるという意識だとする。

周囲の人々を自分の敵だとみなせばそこに争いが生まれる。それは容易に縦の関係を築く。それでは社会と調和して生きることはできない、また他者との争い勝つことによって自身の優位性を強め自身の存在意義を感じようという行動様式が悪循環を招くことは容易に理解できる。

周囲の人々は自身の仲間であるという意識を忘れず、一方でそんな周囲の人々の期待を生きることをせずに自身の信じる他者貢献に焦点をあてて生きる。

この他者貢献をアドラーは導きの星であるとしている。旅人が北極星を頼りに旅をするように、自分たちの人生にも導きの星が必要であり、それが他者貢献であると。人がどんな刹那を送っていようと、たとえ人に嫌われようとも、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいいと。


幾つか印象に残った言葉を次に抜粋して結びとしたい。

われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」なのだ

「もし自慢する人がいるとすれば、それは劣等感を感じているからにすぎない」

健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれる

わたしは正しい。すなわち相手は間違っている。そう思った時点で、議論の焦点は「主張の正しさ」から「対人関係のあり方」に移ってしまいます。つまり、「わたしは正しい」という確信が「この人は間違っている」という思い込みにつながり、最終的に「だからわたしは勝たねばならない」と勝ち負けを争ってしまう。

およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むことーーあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることーーによって引き起こされます。

他人の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人任せにすること。これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方なのです。

自由とは、他者から嫌われることである

人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ

 

[書評] 非学歴エリート

生活のセットアップを進めている。落ち着いたら自身がIESE MBAを通じて得たものをまとめようと思いながら、落ち着く前であっても隙があればを読む。これまで満足に触れられていなかった和書で興味を抱いていたものを手にする。

タイトルはさておき、内容はoverachieveし続けるために筆者が何を考えどう行動してきたのかをまとめたものだ。書かれているtipsに、これまでにない何かが散りばめられているということはない(そもそもtipsの新しい古いは価値の大小とは無関係であり、実践し得られた結果がその人にとってのtipsの価値なのだが)。

ただ、単にtipsを紹介している書籍と一線を画するのは、ここに書かれている全ては筆者が実行し結果を出してきたものであり、選択の結果どのような経験をしてきたのかが本人の言葉で具体的に書かれていることだ。

個人的に改めて強く頷いたのは次の点だった。

P. 23 「個」としての目標。これが大切なのです。

P. 37 これが「浮遊層」です。彼らは、自分自身の目標と信念がなく、いつもふわふわ漂っています。他人の言葉や流行に左右され、端から見てよさそうなものには、考えなしに飛びつきます。そして、自分の信念がないので批判されるとすぐに落ち込みます。

自分とはまったく関係のない流行のビジネス書を読んだり、セミナーに顔を出して知識のつまみ食いをしたり、人脈交流会に顔を出してムダに知り合いを増やしたり、一見すると積極的なのですが、目的地がどこにもないのです。

P.71 本当に個性とは格好ではなく、行き方であり志です。仕事においてそれが持てない人生ほどつまらないものはありません。

P. 236 成功とは「個性が開花すること」です。

[書評] 責任という虚構 – 責任という現象の構造・意味は何か

この本を手にしたきっかけは、今から4年近く前、ライフネット生命の出口治明さんの『ライフネット生命社長の常識破りの思考法 ビジネスマンは「旅」と「読書」で学びなさい!』を読んだことにある。

その中で紹介されていて、タイトルに興味を覚えて購入した。その頃の自分であればおそらく手にしないであろう類の本であったことも購入動機だったように記憶している。そのため購入後他の物事にかまけてそのままにしてあった。ただ心の片隅にずっと残っていて2年前に日本からバルセロナへ引っ越す際にも捨てずに持ってきていた。1,000冊近い本を処分した中で。

”責任という現象の構造・意味は何か”を明らかにすることをテーマに、ホロコースト、死刑制度、冤罪を対象にして複数の哲学的アプローチを試み解釈を収斂させていく。

この本を読み進める中で、『生物と無生物のあいだ』を読んだ時のことを思い出した。それは、どちらを読んでいる時にも、ミステリー小説を読んでいるような感覚を抱いたからだ。

事象に関する詳細な事実情報があり、それに対する常識的な解釈があり、その常識的な解釈に対して疑問を投げ、異なるフレームで事実を再構成し、先の常識的な解釈を覆していく。

この一連はミステリー小説のプロットと同様だ。

また、扱うテーマと適用されるフレームの領域から、話の内容は一部『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』とも重なる。そのため、関連する哲学思想の一端に体系的に触れることができる。その分野に明るくない自分にとってはとても新鮮で刺激的であった。また、物事を掘り下げていくにつれて、複数の学問領域に跨った内容が登場することも面白かった。

 

改めて大切さを認識したのは、本書のはじめにのなかでも言われている次の言葉だ。

ものを考える際の最大の敵は常識という名の偏見だ。責任は何かというような倫理的配慮が絡みやすいテーマについて考えるときこそ、常識の罠を警戒しなければならない。善意が目を曇らせる。良識という最も執拗な偏見をどうしたら打破できるか。

物事に関して考えを巡らせる際に、その経験を通じて生じうる一切の感情は関係がない。自身がいかなる感情を持っても対峙する事象は変化しない。自身の目こそ変化すれ。

先に書いた本書で思考の対象となっている、ホロコースト、死刑制度、冤罪、それをとってみてもそこには当事者が存在し、凄惨な、悲惨な事実が存在する。その詳細の描写を読んでいると自然に感情が湧き上ってくるのを感じる。おそらくこれは常識であり善意であり良識に照らした反応なのだろう。

ここで大切なのは、それを思考と関係させないということは、生じる感情を否定することではないということだ。どのような種類の感情が、どのように生じようとも、それを思考(自身の行動)を関係させないという選択をすれば良い。

そう書きながらこの本で指摘されているいくつかのポイントを思い浮かべる。

意志決定があってから行為が遂行されるという常識は誤りであり、意志や意識は他の無意識な認知過程によって生成される。

意識は行動の原因というよりも、逆に行動を正当化する昨日を担う。意識が行動を決定するのではなく、行動が意識を形作るのだ。

自分の行為の原因がわからないから、妥当そうな「理由」が無意識に捏造される。

私という同一性はない。不断の自己同一化によって今ここに生み出される現象、これが主体の正体だ。

外界から影響を受けずに自立する自己など存在しない。

上記の数文は全てはじめにと序章から抜粋したものにすぎない。この後ミステリーは一層の深みを見せ、そして収斂していく。

素晴らしい時間を過ごさせてもらえた。僕にとっては内容の一部の理解に時間を要したため読了に7-8時間をかけた。