自分の描いていたストーリーを知る

Japan Trekのために4月10日に日本へ一時帰国し28日にバルセロナへ戻ってきた。その間色々なことがあった。もう少し落ち着いたらゆっくり整理をしていきたい。

帰ってきてからも僕のJapan Trekは終わったわけではなくて、粛々と制作作業を進めていた。それに完了の目処がついたのでこうしてブログを書くことができている。

この数日間、数千枚の写真を相手に格闘していた。

それを通じて気づいたことがあった。それは、自分が普段何気なく撮っている写真にも、朧気ながらでもストーリーがあるということだ。

西は広島から東は東京までを巡ったJapan Trekを通じて、僕ひとりでも2,500枚程度の写真を撮ってきた。途中にOptionalのツアーがあったり小グループに分かれての行動があったのでひとりで全ての写真は撮りきれない、それに誰が写真を撮るかによって人の表情だって異なる。なので複数人で写真を担当し、それを全て束ねて制作作業のインプットとしていた。

いざ作業にとりかかると想定以上に時間がかかる。しばらくして気づいた。自分以外の誰かが撮った写真に触れるときに時間がかかっているということに。

自分が撮った写真であれば、そのシーンも覚えているし自分がなぜそこでシャッターを切ったのかもわかる。自分の中で流れが自然とつながっているのだ。一方でそうでないもの、自分が撮っていない写真、加えて自分が居合わせなかったシーンの写真となると話が異なる。

違和感を覚える。それは切りとられているシーンにしてもそうだし、そのアングルにしてもそう。ピントを合わせる相手にしてもそうだし、シーン間のつながりもそうだ。

自分だったらこういう写真を撮っていて、それをこうつなげていた、という考えに、それに当てはまらない写真を目の前にして気づくのだ。

これは少なくとも次の2つの意味で新鮮な経験だった。

ひとつは自分が何かしらのストーリーを描きながら写真を撮っていたということ。

ひとつは自分の手の届く範囲を超えてチームで動くとはこういうことなのだということ。

どうすればもっと上手くパフォームできるのか、この経験を次に活かしていきたい。