物足りないよりはみ出る位の方が良い

なすべきことが一言一句定めらている仕事は別だが、仕事について物足りないと感じられるよりもはみ出してしまう位の方が往々にして良い結果が得られる。そもそも物足りないのかはみ出しているのかの判断基準は自分が価値を出すべき相手の期待値。なのでそこはおおよそでも掴む必要がある。それははみ出すはみ出さないの議論以前の問題。

期待の中には当たり前のように満たせるところもあれば、そうでないところもある。満たすためにリスクをとる必要があるということだ。リスクの切り出し方やそこへチャレンジするステップを工夫することでリスクを最小化することもできるだろうと思う。ただ、それができているのかいないか、いつとるべきなのか、そこがわからなくなり逡巡しながら物足りないと感じられるより、荒削りであってもジャンプした方が良いということ。

それができるひとが求められているからだ。

当人がマネージャになった時、ディレクターになったとき、CEOになったとき、リスクをとる必要はいつでも訪れる。勿論その時に常に正しい決断をし、正しい結果を得られるならばそれに越したことはないがそれは極めて難しいもしくは不可能だ。判断が正しいかどうかは後で、結果が出て初めて分かる。

それは判断を下した時点でそれが正しいかどうかなどという話は大した話ではないということだ。大切なのは自分が下した判断に従って、その後どうにかして結果を出すことだ。そのどうにかしての過程がの方が余程大切なのだ。

判断を下さずに、結果を得る努力をする方向を定めず、ただリスクが通り過ぎていくのを見過ごしているようなふるまいは求められていないのだ。

もっと良い判断があるのかもしれない。もっといいやり方があるのかもしれない。もしそうだったとしても、(勿論他者に相談する、助言を求めることはあっても)自分の判断に、自分のやり方に、そしてそれがもたらす結果の全てに責任を追って走り続けるのだ。

いっとき相手の期待値を満たせない可能性もあるかもしれない、想定外の動きで相手を驚かせる、怒らせる、失望させることもあるかもしれない。しかしそれは1つの過程に過ぎない。結果を出すまでその判断が正しいかどうかはわからない。その1つの過程は自分の行動の成否を決定づけない。

自分が結果に対してオーナーシップを持っている限り、アカウンタビリティを果たしながら、自分の出すべき結果に向けて、はみ出してでもなんでも走り続けるべきなのだ。そうして得られた結果は、結局期待を満たせるものでなかったとしても多くの学びをもたらしてくれる。それだけコミットする人間なのだという信頼を生み出してくれる。期待を満たせるものであったなら、もっとうまくやれたかもしれないという、次に生かせるであろう山のような反省をもたらしてくれる、実際の価値を相手へ届けてくれる。

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