新人研修とのつきあい方

今週は2011年に社会人になられた方々と会話をする機会があった。新たな組織に所属するに際して心にとどめておきたいことを考えていた。
おそらく大半が社会人としての経験なく、生まれて初めての就職活動を経て、それぞれの企業に所属することになっていると思う。その企業が自分にとって最適であるという可能性は多くはない。今というスナップショットをみてもそうだろうし、時間が流れれば自分も変わるし組織も変わるのだし。
今は自分が所属する会社に関しても、社会人としての自分に関しても無知であると思う。それは武器であり、面白みでありにもなる。一方で仕事を共にする仲間であり、仕事で相手になるクライアントでありは社会人の経験も豊富であるがゆえ、そこと噛みあうための社会人としての素養であり、プロトコルでありを学ぶ必要がある。でないと、せっかく魅力的であるはずの個人も使いものにならない。噛み合わないんだから。
ということで、多くの新社会人は、入社式を終えて早々に、上記を学ぶための研修に入る。勿論その期間の長短でありOn or Off JT等学ぶ形式でありは企業によって異なると思う。エグゼクティブの面々の話を聴くこともあれば、その会社でくらしていくためのオリエンテーションもあれば、マナー研修もあれば、自社の歴史や存在意義についての講義があったり、製品・サービスに関する講義があったり、経営戦略・マーケティング・営業・ロジカルシンキング・資料の作り方云々といった研修があったりするんだと想像する。徹夜することもあれば、研修にして涙することもあるんだろうおそらく。
そんな過程に入れば、すぐにでもその組織を理解し始め、それを基準にして自分を理解し始め、そこにFit / Gapがあることに気づき始めると思う。これこそ自分が求めていたことだ!と思える点もあれば、こんなんじゃなかった、なにこれつまんないんだけど、と思える点もあるだろう。
いずれにしても、自身が就職活動のときに志望動機として掲げていたことや、企業に対するイメージはおそらく浅いので、これこそ!というポジティブな内容より、解釈に余地がある内容、ないしはネガティブに解釈したくなる内容が多くなるのではないかと考える。当初の(浅い)イメージに対して強い憧れというか妄想というか、を強く持っていればいるほどネガティブに解釈したくなる内容が多くなるのではないかと考える。
例えば、自分は戦略コンサルタントになって、顧客企業のトップマネジメントとその企業の戦略について議論して、新たな方向性を示してその会社を育てるのだ!と一心に望んでファームに入り、初期の研修でパワーポイントやエクセルの使い方とかを1-2時間座学したりすると”こんなはずじゃ・・・”とか”こんなんでトップマネジメントと議論できるようになれるわけがない、無意味だ”と思ったりするのかもしれない。
ここで考えるべきことは2つだ。

1. 本当に無意味なのか
2. であれば”具体的に”何を学ぶことが意味をもち、それをどう実現するのか

1. 本当に無意味なのか
本当に意味が無いんだろうか。自身が就職活動の中で思い描いたシーンにパワーポイントを使って資料を作っているシーンも、エクセルで表計算している姿もなかった。であればそれは意味が無いんだろうか。その思い描いていた晴れ舞台に立つ前後に想像をふくらませると、トップマネジメントと会話するステージに立つためには彼に話す価値があると思わせる何かを持っている必要があり、それは例えば何かしらのプレゼンテーションであったりレポートを出すことであったりしないだろうか。そのプレゼンテーションの表現手段としてパワーポイントがあったり、そのなかのメッセージをサポートする数字を導きだすのにエクセルであったりは存在しないだろうか。顧客企業が自分たちで解けない課題を、限られた時間の中で解き、共有する必要があるタフな環境で、パワーポイントやエクセルを素早く使えることは役立たないだろうか。
資料はエディタがつくるものだとしても、何をインプットして作ってもらうんだろうか。インプットするチャートイメージを具体的に描けなければエディタにモノを頼むことさえできないのではないか。であればそのスキルを養う手段の1つとしてもパワーポイントを扱えるようになる価値はあるんじゃないだろうか。
エクセルはメンバーに分析をさせればいい。しかし自分はそのメンバーにさえまだなれる力がない存在ではなかったか。むしろ自分がエクセルをまわして、プロジェクトマネージャでありパートナーでありがトップマネジメントと会話する土台を築き上げねばならないのではないか。それとも彼等以上に、自分はトップマネジメントと会話する価値のある人間だっただろうか。
本当に意味が無いんだろうか。
と、長々と書いたけど既に使えます、なんて話は往々にしてある(パワーポイントとかエクセルだからそうだけど、他の研修で何を学ぶにしても上記思考のうえで意味の有無を判断する必要がある)。
2. であれば”具体的に”何を学ぶことが意味をもち、それをどう実現するのか
意味が無いと判断した対象と同じレベルの具体性を持って、何を学ぶことが意味をもつんだろうか。それが今目の前の研修と異なる内容なら、自分はそれをどうやって学ぶのか。研修の意味が無いとわかったとはいえ、そこにいる以上同じ時間は過ぎていく。それを意味が無いもの、つまらないもの、としてそのまま数時間過ごしてしまうのはそれこそ本当に意味が無い。その時間の価値をいかにして上げようか。
話がそれるが、無意味だと判断した研修が、どうなっていれば意味ある研修になるのか、それを考えるというのは価値がある。往々にしてネガティブな判断は直感的に下せてしまうことが多いが、ポジティブな判断であり提言でありを考えるというのは難しい。誰(どういったスペックの人間)のための研修にする必要があるのか?彼等にとって意味のあるコンテンツとはなにか?それを体得してもらうための手段(研修の形式)とはなにか?それは1-2時間1セットで終わるものなのかそれとも複数回に分けた方が良いのか?それぞれについてなぜそう言えるのか?等。会社から与えられるもの=正解ではない、会社もどうすれば(制約の中で)自分たちが手に入れた新たな才能を早く大きく伸ばせるか試行錯誤している。そこに対して提言することは相手にとっても嬉しいことであるはずだし、このプロセスで、多くの場合必要となる考える力を鍛えられる。
で、具体的に何を学ぶことが意味を持つのか、それをどう実現するのか。”具体的に”というところが重要だ。
経営戦略を学ぶ必要があると思ったら、経営戦略ってなんだっけ?ということを考える。また、前段に書いた内容から続けると、トップマネジメントとディスカッションして価値を出すためだけど、トップマネジメントって経営戦略知らないんだっけ?パートナーやこれから一緒に仕事をする諸コンサルタントの方々も知らないんだっけ?で、自分がそれを知れば価値だせるんだっけ?そもそも何が価値なんだっけ?で、自分にしかだせない価値ってなんだっけ?等々。
何か1つを学べばいきなり理想と重なれるなんてことはない。学ぶだけで理想と重なるなんてこともない。とはいえ、常に、自分は具体的に何を学ぶべきなのかを考えることは、自分がなにものになりたいのかを考えることにつながる。自分に何が足りないのか(弱みなのか)を自覚することにつながる。自分に何が足りているのか(強みなのか)を自覚することにつながる。
自分の妄想が正解だと思い込まず、会社から与えられるものが正解だとも盲信せず、継続して両者の具体化理解に努めながら流れ続ける時間の有効な使い道を考える。そのスタンスが、特に新しい社会・組織にはいった段階では重要であると考えた次第。