教える?

金曜日は仕事を終えてから銀座一羽へ。仕事外のつながりで集まる予定だったのだけど1名当日夕方にインフルエンザ発症のため同僚と2人に。プロジェクトを1度共にしたこともあり、彼女と話しているとその頃から自分は成長できているのか、彼女の成長に自分は貢献できていたのかということを考える。
プロジェクトを進める上でメンバーと共に働くことの多くなるこの頃。相手の成長というのは頭の中には常にある。一方で何かを教えるであるとかというのは、自分が上であり、正解であるという前提に立った物言いのように感じられて何かすわりが悪い。
そして自分がメンバーとしてプロジェクトに入ったときにどういうシーンでなにを学んできたかを振り返ると気づくことがある。それは、学ぶ=教えられるではないということだ。勿論基本的なところはパートナーしかり上の方から具体的に教えてもらうことはある。しかし自分が学んできた過去を振り返ると、その対象は具体的な相手からのアドバイスというよりも、相手のクライアントの成長に対する献身の姿勢であり、そのためのアウトプットの質とスピードへのあくなきこだわりを同じチームで肌身に感じてきた経験からである。
教えるという考え方がおこがましいとか自分が上であるとかそういう次元の話ではない。自分がクライアントの成長に対して、プロジェクトの成果に対して、どこまでこだわりぬくことができるか。その根本的なスタンスが行動を規定し、その自分個人の行動、チームへ求める行動があった結果、そこからメンバーは学ぶのだ。
自分の中でそのような確固たる価値観がなければ(自分でこれが確固たる価値観だ!という自覚がなくとも日頃の意思決定の基準や行動の基準を丁寧に振り返ればそこには往々にして存在する)、キレイなロジックを立てる力も、素早く物事をまとあげる力も、クラアントが言葉にしない期待や問題意識を見抜く力も、ただの単体の力で終わってしまう。
そういった話は必要性を感じれば人は勝手に学ぶ。それらを学ぶためのリソースは世に溢れている。
プロジェクトを共にするチームの中で自分がまず持たなくてはならないのは、それらスキルをチェックする目ではない。クライアントの成長・プロジェクトの成果に対するこだわりと、それを実現するために答えるべき論点、そしてそれらを一貫して体現する行動だ。
これはなにもリーダーに限った話ではなく誰しもが持っているはずのものだ。実際に上記に関してメンバーから学ぶことはとても多いのだから。リーダーとメンバーの関係が教える/教えられる関係になっているわけではない。確固たる価値観を持った行動と、他から学ばせてもらう謙虚さを持って日々を重ねていきたい。