サボテン

今日は溜まっていた仕事の事務処理を片付け、部屋を片付け、後はひたすら睡眠。なぜこれほどまでに眠いのかと思って振り返ればGW後半からあまり寝ていなかったことに気づく。
話は変わって。
実家からサボテンが届いた。実家には観葉植物が多くあり、家族もその手入れを楽しんでいる。そんな中で僕の生活にはそういうのがないという話になり、じゃあ送るよという姉のはからい。ありがとう。名前等詳細を忘れてしまったが、育つとこのでっぱりが増えていくらしい。大量に増えた姿を想像すると少々怖いのだが、枯れさせずにいきたいと思う。

仮説を持て。仮説を手放せ。

”メッセージって、調査の結果自然と浮かび上がってくるものだと思うんだよなあ”
というあるコンサルタントの言葉に違和感を覚える。そうではないだろうと。
メッセージは調査の前に自分の中にあるんだろう。それが実際にメッセージとして主張できるかいなかを検証するのが調査だろう。それが仮説検証というものだろう。時間含めてリソース度返しで考えたら、調査だけなら誰でもできる、そしてそれなりに筋のいいメッセージを紡ぎ出せるだろう。
持っている仮説と、それを検証する精度とスピードこそが価値ではなかったか(勿論テーマによるのだが)。
それをメッセージは調査の結果自然に浮かび上がってくるといいながら、ただひたすら情報を集めてメッセージがでないとぼやくのはただの怠慢だろう。能力不足だろう。メンタリティからしてもケイパビリティからしてもコンサルタントではないだろう。
恥を知れ。
でと。
一方で仮説を検証するとなったときに調査して得られるいくつもの情報について、その1つの仮説の検証という目的のみで眺め、そうでなければ捨ててしまうというのもまた違う。仮説検証の過程で、それに使えなかった情報も含めて、自分の中に蓄積した情報は、新たな仮説の筋を良くするための材料になる。
勿論仮説検証に絞ってひたすら情報を切り捨てていっても、切り捨てた情報であっても頭の中にはある程度残ってしまうものだし、ある日突然新たな仮説の発露を促すものになっているのだと思うが。
仮説は立てる(その仮説が検証されたとしたときのメッセージに価値がなければ仮説を見直す必要がある。検証する価値があるのかと。)、でも情報に触れるときのアンテナはその検証のみに絞り込まない。
このスタンスで情報に触れるのが良いと思うし、実際にそうしている人が多いのではないだろうか。思考法によらず、限られた時間・リソースの中で結果をだすことさえできればまずはよしだと思うが。

予期せぬランチ

早速ほぼ寝ずにGWを明けた。AMにクライアントとのミーティングを済ませてオフィスへ。外でゆっくりランチでもと思って、この地方に詳しい先輩コンサルタントの方にちらっとオススメのお店を聞いてそこへ向かう。
入ってみてびっくり、本格的なイタリアン。
ゆっくりしたいしいいかと思ってメニューを見ると本格的なコースメニュー。
まあそれさえいいかということでコースのピザとパスタを注文して待つ。
周りはまだGWのようでキレイな格好をされた方々があっという間に席を埋めていく(お昼どきだった)
そんな中カウンターに並ぶ徹夜明けのスーツの男子ふたり。
会話もそこそこに料理を前にする。
同じ事を考えていたのだろうか。
せっかくだから写真をとろうと。
携帯でアングルをみてシャッターを切る。
食べる。
次の料理が運ばれる。
シャッターを切る。
食べる。
・・・
そんな自分たちを心のなかで笑いながら仕事に戻った。それにしても美味しかった。

GWの休息

今年のGWはやるべきことが盛りだくさん。とはいえ実家には戻り、1日は大学時代の仲間と飲みに行くスケジュールを確保した。名古屋自体が懐かしいし仲間も懐かしいし。諸々を忘れてただただ学生時代に戻って騒いで笑っての時間だった。早めに集合してそこから7-8時間飲んでいた。
行ったお店は名古屋でも隠れ家的な?焼鳥屋とのこと。名前を忘れてしまった。ひらがな4文字。こじんまりとした家のような佇まい、内装。狭いスペースにぎゅっとはいって、座布団に座ってビールを飲むのはなんだか懐かしく感じた。
集まったメンバーは僕以外既婚だったのだけど皆幸せそうでそれもなによりだった。
歳を重ねながら合うたびに思うのだが、こうして学生時代に戻って騒げる仲間というのは本当に大切だ。