希望論

「希望」論
堀江 貴文 (著)
とても静かな本だったと感じる。堀江さんがブログを再開して久しいが、その中で触れられていた内容をシンプルにまとめている + 自分の価値観について触れられている。静かだと感じるのは言葉遣いが穏やかだからであり、結論を読み手に押し付けることなく自分はこう考えると淡々と綴られているからだろう。あとがきの中で、堀江さんはこの本について次のように書いている。

P.201
この本は私から読者に「おせっかい」をするためのツールである。

それでも読んでいておせっかいに感じる部分は感じられない。それは彼の価値観が”諸行無常”、”万物流転”に立脚しており、自分のメッセージこそ素直に伝えるが、受けての解釈の仕方やその後のリアクションについては自分でコントロールできるものではないと理解しているからではないかと思う。後は僕も上記に関して似た考え方をしているので余計と何の違和感藻感じられなかったのかもしれない。
内容自体も多岐に渡っていて面白い。その中でも特に印象に残ったのは次の1つ。

P.76
 考える余裕をなくすっていうことは、言い方を変えると「ぼーっとしない」ということです。ぼーっとするとそういうことを考えちゃいます。
 それをいったら瞑想修行みたいと言われたことがあります。仏教の基本の修行にそういうのがあるらしいですね。常にいまのことを考え続ける。常に常に、いまいまいまって。そのときの行動に集中するらしいです。ジュースを飲むなら、私は飲んでる。座っていたら、私は座る、座る、座る。人と会ってても、しゃべってる、しゃべってる。聞いてる、聞いてる。まあそういうのがあるらしいです。
 それを聞いて、じゃあ僕はたぶんずーっと瞑想修行してると思いました。このやり方ってのは正しいですよ。これはたぶん僕の生き方ですね。ぼーっとしないというのは。ぼーっとしてしまうと心の内容を次々妄想してしまうんです。仏教ではそれをいさめてるんだそうです。そのための修行だそうです。僕もぼーっとすることを自分でいさめています。

コメントを残す