カミングアウト・レターズ

カミングアウト・レターズ
砂川秀樹 (著, 編集), RYOJI (編集)
以前参加したラブックで、いつもお世話になっている先輩が持参されていた本。気がつけばちょうど2ヶ月が経っている。
持ってこられた方を見て本を選んだので内容が何であるのかも知らずに読み始めた。最初はカミングアウト、手紙、感動というようなキーワードが目についたので、何か隠し事をしてきた人がそれを告白するやりとりを綴った本なのだと思っていた。いざ本を読み進めると確かに間違ってはいないのだけどその隠してきたこと/告白することの内容に目がとまる。なるほどそういうことだったのかと。
自分はこれまで大きな隠し事をしてきたことがない、結果それなりの覚悟をした何らかの告白をしたこともない。それでも読んでいて感じるのは、その告白と、もしかしたらその後の(結果から見れば)一時的な衝突がどれほど人と人との深い絆をつくる上で大切なのかということだ。そして、手紙という手段が、いかに自分を冷静に見つめなおし、本音を整理してきちんと相手に伝える上で素晴らしいものなのかということだ。
amazonの書評を読んでいても、こういう個人の深い部分に根ざした内容の、(表面上でも)感情の揺れを抑え、覚悟を決めたメッセージというのがいかに相手の深い部分に刺さるのかということを感じる。

目に映る風景

昨夜は他の戦略コンサルティングファームのパートナーの方と飲む。少し遅れてやってきて”もう抜け殻、へろへろ”と爽やかな笑顔で言う彼は、相変わらず落ち着いた様子。肩の力が抜けていても疲れているとは感じさせない。
以前のパーティの打上げということで幹事団+彼で飲みながら話していたのだけど、感じるのは捉えている風景の違い。そしてその風景に、当たり前のように今を重ねようとする自然体での心の強さ、そしてそれを実際にやってのける力。
自ファームのパートナーとプロジェクトに臨んでいたときも、同じ場にいても捉える風景が異なることを感じていた。そして同じレベルの風景をみたくて頑張ってきたのだけど、なかなか一朝一夕にできるものではない。限られたりソースの中でプロジェクトの価値を出そうとすると自然と目的とアウトプットとアプローチを明確にしてデリバリーすることに集中してしまう。その目的の先に何があるのか、何を見据えて今その目的なのか、そこのピント調節ができなくなる。
”僕も若い頃はパートナーから、低重心だなあって言われてましたよ。1つ1つのプロジェクトは確実にやり遂げるんだけどなって。でもそれって立場が変わると変わるような気がしますね。”
立場が変わるから見える風景が変わるのか、違う風景が見え初めてそこを目指す中で立場が変わるのか。どちらもあるのだと思うけど、いずれにしても今自分が重なりたいと思っている風景が本当にそれでいいのかというのを一度は疑ってみることを忘れずにいたい。そして、そのときに彼だったら/彼女だったらどんな風景を見るのだろうということを考えて照らしてみたい。
そして、目指したくてやまない、そんな風景を描けるようになりたい。
そこにクライアントとチームと一丸となって重なりにいく/重なることができる自分でありたい。
走りっていたら風景もかわるものだと思う。でも目指したくなるものを描けずして、今走り出す必要性を心から感じずして、なぜ靴やウエアや栄養ドリンクや伴走するパートナーやコーチの話ができるだろうか。