不戦敗でいいのか

先週の金曜日は久しぶりにGMSの経営戦略の先生含めて歴代の受講生で集まる。全部で50名近くの方が参加されていた。先生自身が戦略コンサルファームを引っ張られている立場にあるということも手伝い、自分の中で勝手にRole Modelとして捉えている。久しぶりにお会いして、パーティの中でプレゼンテーションいただいたのがグローバルの環境とその中における日本企業の課題について。
ロジックやチャート云々ではなく(勿論相変わらずの切れ味なのだが)、端々に彼の魂が込められているのを感じ、それがメッセージとして伝わってくる。グローバルの各産業における日本企業への叱咤であり、グローバルにおける日本への叱咤。そして彼が彼らを支える意志。
その中で特に印象に残っているのが、”不戦敗”という言葉。
成長するためには数々のチャレンジが必要になる。
それが難しいのもわかる。
方向性が見えたとしてもその一歩を踏み出すのがいかに大変かわかる。
この環境でその方向に進めば正解が待ってる、なんて話はないのだし。
でも、それでもアクションを起こさないと勝てないことは確かなのだ。
不確実な中でリスクをとりながらその勝ちを目指すのか、リスクをとらずに現状に体よく適応するに甘んじて不戦敗となるのを待つのか。
しっかりと相手の気持ちをわかりたい。状況を理解したい。
その上で、前者の選択をする、確からしい勝ち筋をみつける、途中で取り返しのつかない転び方をしないよう一緒に走る / 鍛える。
そこに資する存在でありたい。
そして自分の人生においても、不戦敗という道を選ばずに歩んで行きたい。
書いてみると相変わらず自分を子供っぽく感じるのだが、こう思う。

戦略コンサルタントを経験して良かったこと

キャリアインキュベーションのメールマガジン(vol.100)より引用。”人生の中で、戦略コンサルタントを経験していて良かったと思うことはありますか。”という問いへの金光さんのこたえより部分抜粋。

何か大きな目標に向けて、今は準備・手段としてある仕事をする。そういう考え方もあると思います。でも、私は、ただ今現在の自分を何かの手段というふうに考えるのは性に合わない。というか、手段として生きる時間があるなんて、人生がもったいないなと考える性質かも知れません。
もちろん誰にだって、ある時間を何かの準備のために費やすということはある。でもその場合でも、それ自体を楽しいと感じてやっているかどうかで、随分違いがあるような気がします。

要は、常に楽しいことをやっている人、自分が好きなことをやっている人というのは、強いんじゃないかなと思います。幸いにして私も、戦略コンサルティングという仕事が大好きでした。そりゃあ上手くアウトプットが出なくて深夜まで働くとか、終わらなきゃ土日であろうが時間を使うとか、しんどいなと思うことも多々あった。だけれど、なんだかんだ言っても、好きなことしているから、客観的に見れば辛そうなことも、大して苦にはなってないんですよね。

戦略コンサルタントに求められる資質は、煎じ詰めれば二つです。二つで十分。
戦略コンサルタントが好きな、「3つ」はいりません(笑)。
その一。プロフェッショナルという自覚が出来るかどうか。
その二。その上で様々な事象に対して原理的な知的好奇心を持てるかどうか。
先ずプロフェッショナルという自覚。あなたはプロとしてクライアントからクライアントの課題や要求にこたえるために高額で雇われるのです。常に、高額の報酬に見合う仕事や振る舞いを心がけねばなりません。決してあなた自身の自尊心や知的好奇心にお金を払ってくれるのではない。
矛盾するようですが、一方であなたは常に知的好奇心にドライブされなければならない。クライアントの課題を解決するために、あなたの持つ知的好奇心の全てをぶつけていける資質。常識的理解に留まらず、原理的に考えようとする資質。例えば。流行という現象はどのように生まれるのか。例えば。同様な商品を同様の価格で同じ市場に投下しているのに、なぜ会社間で収益性が異なっているのか。などなど。
そういったことに好奇心が持てるかどうか。原理的に解明したいと思うかどうか。解明するために必要とあらば、例えば今からでも経済や数学の勉強をしようと思うかどうか。

「どんな絶望的な状況に思えても必ず解決策はある。」
「だから一人で抱え込むな」

一番の財産。それは、本当に素晴らしい仲間たちと出会えたこと。