ROOKIES

土曜日の花火鑑賞の帰り、ROOKIESを全巻借りて帰り、本日無事読み終えました。週間少年ジャンプで連載されていた時に読んでいたのですが、最初から最後まで一気に読み通すというのはとても心地よいものです。
何箇所か心に響くシーンがあったのですが、終盤のシーン。(ディテール省きますが)安仁屋が意識が朦朧とするなかで目をやったベンチに川藤の姿が映る、そこからチーム各人の心に再び火が点り巻き返していくところで目頭を熱くしました。
ここで”やっぱり夢だよな!”と思ってみたり、”日々に流されてはいけない、自分としてやるべきことがあるんだ!”と眠っていた自分の意志を再確認する、そういった自分の夢・他人の夢にまっすぐな人に憧れるということはしやすいのだと思います。
ただもっと大切なのは、それに従って動き続けることであるし、夢を語るだけ・表面も内面もアツいだけではいけないと気付くことだと思いました。
自分の感動を辿ると気が付きます。文字や誰かが語る言葉だけで感動しているのではなく、その言葉を発するコンテキスト(どういう過去の上に立っているのか、そしてどういう人物が、どういう場面で、何のために言っているのか)というものがあって初めて感動しているということに。
むしろそのコンテクストがあるからこそシンプルな言葉であっても心の機微が細部に至るまで伝わるし、伝わっていなくても受け手の内部で適切に補完することができるのだと思います。
アツく、堂々と、自分の夢を語り、他人の夢の実現の一助となりたいと語っていても、日々体現していなければその言葉の内側は歪んでしまう。
逆に、語ることができなくても、日々の生き様が自分の夢や他人の夢の実現に自分を捧げているのであれば、少ない言葉でも、もしくは言葉を発せずともそれを見る人は、何かしらのメッセージを受け取る(言葉は要らないとは思わないが)。
彼らの、夢を描き続け、その夢に重なることに自分を100%捧げる(実際に動き続ける)
そんな姿に胸を打たれるし、すばらしいと思います。そして自分もそうあろうと思いました。
#純粋に話も良かったし(笑いあり涙あり)、感じたことはもっとたくさんあったのですが、つい↑の側面を強調してしまいました。