背負うもの


背負うものの大きさが、その人の志の高さ、それに対するコミットメントの強さを決めるのかな、なんてことを感じた。今日は夜は友達と食事に行った。彼は大学を卒業してコンサルティングファームへ入り、その後独立をしている。個人事業主として自分の志に従い、従う結果を一身に背負っている。
話をしていて感じるのは、アンテナの高さの違い / 情報を自分のおかれている環境でどう活かせるか・発想の具体性の違い / 当たり前のように自分の意志に従う強さ等。
そんな彼を目の当たりにして、改めて自分の存在意義を考える。存在意義なんていうとカタいけど、要は自分の人生に対するこだわりのことだ。世界にひとりしかいない自分。一度しかない人生。
そこにこだわらずに日々を費やすことがいかに怠慢なことか。
そこにこだわらずにone of themのままにいることがいかにもったいないことか。
そこにこだわらずにただ世間のものさしでの上を目指すことがいかに寂しいことか。
自分へのこだわりを、こだわろうという意志を捨ててはいけない。
こだわりを見つけるために今その時の行動を後回しにしてはいけない。
こだわりを見つけようとする一方で、見つからずとも自分は何があっても自分だということを忘れてはいけない。
こだわるだけでそのこだわりを現実のものにするために何かを背負うことから逃げてはいけない。
こだわるだけでそれを実現できない理由を今背負っているものに求めてはいけない。
(これだけ”いけない”と書くと窮屈に感じるところもあります。楽観も大切です)
人に恵まれているなあ、とつくづく思う。
#写真はいつもとは違うオフィスからの風景。こうしてみると曇天もまたをかし。

まずやってみる楽しさ

昨日はちょっとお祝いしたいことと、それをする機会があった(かなり曖昧)。
そこでその人に似合いそうな花を選んで花束をつくってもらい、それを渡す。そこには小さいステージがあって、少しのaudience(知らない人)がいて。そんな中マイクを持って一言二言話をする。そしてお祝いしたい人に言葉と笑顔を添えて花束を渡す(まるでスピーチになっていなかったので笑顔でごまかす)。そんな風景が拍手で包まれる。
この場にいることができたことも、
その場で花束を渡すことができたことも、
渡す時にステージで少し話をするという演出がなされたことも、
過去を辿ってみると、ほんのちょっとしたきっかけ、それに対するほんのちょっとのポジティブな姿勢の積み重ねのおかげだったりする。
もともとその音楽に興味があった訳ではなかったし
サプライズが得意だったわけではなかったし
ステージで話をして花束を渡すなんてキャラクターでもなかった。
でも、
その音楽は奥が深くて、それがある空間は居心地が良いし、
人に驚きと喜びが溢れる瞬間っていうのはとても幸せだし、
その中幸せな瞬間に自分に立ち会えるというのはワクワクする。
過去の自分がまだ入っていない領域に自分を持っていく。躊躇せずまずやってみる。
仕事に限らず、どんなことにおいても、きっとそれは想像以上に敷居は低くて、想像以上に楽しいことだと改めて感じた。そして、そういう領域の存在を教えてくれる人、そこに自分をひっぱってくれる人に、そのきっかけに心から感謝だ(^^)
・・・花束の写真とっておけばよかったな(^^;)