人は見た目が9割

人は見た目が9割。前々から少し気になっていたのだけど、先日雑誌を買う際にレジの前においてあってので購入(レジの前の陳列の効果を体感しました(^^))。帰ってから早速読んでみる。
“人は見た目が9割”というのは、人が相手から受け取る情報を見たときに、実際に話している内容そのものからは7%しか受け取っていない、後は顔の表情やしぐさ(55%)であり、声の大きさ・高さ・テンポ等(38%)でありから受け取っているところからきている。
大体言葉の内容は伝わる情報の1割で、残りの声色とかも含めて”見た目”といえば、見た目が9割だと。
内容はなかなか面白い。具体的に自分の”見た目”を向上させるためにどうするという話は直接は書かれていないのだけど。僕は読んでいて3つの観点から面白いと感じた。

1. 人の視覚的な情報の受け取り方(プレゼン等で見せ方を考えるときに役立つ(配置・色等))
2. 信頼される情報源(言葉は一番信頼性が低い)
3. ”語らない民族”日本人の表現心理(8つの特徴がある)

1. 人の視覚的名情報の受け取り方
これは基本的にプレゼンテーション資料作成のときにつかえる。簡単なところでいうと色が伝えるイメージだったり(ex. 赤:危険、青:冷静)、人の目の動き(ex. 一般的に左上から右下へ)だったり。
後は本の中では漫画を例にした人の表情やそれを描く角度、演劇を例にした感情を伝えるしぐさ(うそをつくときは伏目がちに眼をそらす等(本当はこれは男性のしぐさで女性はうそをつくときにじっと相手の目をみるらしいのだけど))について触れられている。
2. 信頼される情報源
自分がコントロールできるものは信頼性が低く、できないものは信頼性が高い(どうしようもないから必然的に本音が出てくる)。信頼性の高いもの順に以下のようになる。

1. 自律神経信号
2. 下肢信号
3. 体幹信号
4. 見分けられない手振り
5. 見分けられる手のジェスチャー
6. 表情
7. 言語

言葉や表情を見るだけで相手の本音は計り知れないということだ。チェックができるのは2以降。下肢信号は足の動き。貧乏ゆすりをしている、であったり足の組み方/組み替える頻度だったり。体幹信号は体の動き。必要以上に胸を張っている/すぼめている、相手に対して前のめりになっている/後ろにそりかえっている等。見分けられないてぶりは微妙な手の動き。腕組みをしているときの手の動きだったり。
3. ”語らない民族”日本人の表現心理
日本人のコミュニケーションの特徴。

1. 語らぬ
2. わからせぬ
3. いたわる
4. ひかえる
5. 修める
6. ささやかな
7. 流れる
8. まかせる

詳細は割愛するが、”日本人らしさ”の良い点悪い点が書かれていて面白い。
この本を読んで感じたのは当たり前ながら”行動の大切さ”だった。何かを伝えたいときに言葉だけでは1割しか伝えられない。そこに体の動き・表情・声色の要素が合わさって伝えられる情報は10割になる。
でも、ここで実際に自分がそう信じられていない・行動できていないことをそもそも伝えようとしていたらおそらくそれはうまくは伝わらない。もしくは継続的に伝え続け、集団として動き続けることはできないと思うからだ。
勿論人によるのだと思うし、こういったコミュニケーションの技術を軽視するつもりは無いのだけど(むしろ自分にとっては大事)、こういった技術を身につけるよりも先に、自分が意図せずとも体が表現したくなる・表情に感情がそのまま表れる・声に色がついてしまうような強い意志に支えられた行動をし続けること、その対象を見つけることの方が大切だと感じるのだ。

めがね

先日父の還暦の誕生日のプレゼントを買いに行った際、自分のめがねも買った。
僕は視力が微妙に悪くて、会議等で前のプロジェクターに写されている文字がみづらかったりする。そんなときにめがねを使う。大学の頃、自分はめがねは一生かけないものだと思っていた。それは視力が良かったこともあるけどそれ以上に似合わないと考えたいたからだ(考えていたというより実際似合わなかったという方が正確か…)。周りがサングラスをかけてみたり、めがねでおしゃれをしてみたりしている中、僕は全く持ってそれができなかった。ちょっとくらいかっこつけたいときもあったのだけど、でもめがねをかけたら鏡を直視できないほどだった。
なので社会人になってちょっと遠くがみづらいなというときに、最初に選んだめがね(今使っているめがね)はシルバーの上半分のフレームの、存在感のうすいものだった。周りから見ると賛否両論あるようなのだけど自分の中ではしっくりきた数少ないめがねだった(本当に数少ない。どれだけ試着したかわからない)。
今回はもう少し主張するめがねを買ってみた。
なんだろう。めがねをかけるとものが見やすくなるのは当たり前なのだけど、何か自分のペルソナになるというかキャラクターに入る手助けをしてくれるというか、よくも悪くも自分にうそがつけるというか周りにうそがつけるというか。そんな機能があるように感じている。
だから今度はまた少し違う雰囲気をまとう背中を押してくれるようなめがねを買った。仕事のときにつけるかどうかは考え中だけど、またひとつ自分を楽しむことができればいいと思う(言葉に直し始めるとどんどんまどろっこしくなっていくけど、半ば衝動買いです(きっぱり))。
まだ少し早いけどもう次は秋冬。夏に比べて身に着けるものが多くなってくる。せっかくなのでそういった様々なものを楽しく身に着けて、この季節もまた楽しんでいきたいと思う。

伝えられただろうか

実家の最寄の駅に着くと家族全員が車に乗っている。時間ぎりぎりについたのでそのまま食事を予約していた場所へ向かう。車の中でも取り留めのない会話が続く(いつからだろうか。一部で家族全員天然説が言われているのもどうにもこうにもうなずけてしまう(僕は違います)。
家族全員で外食するのはいつぶりだろうか。思い出せないぶりだということだけは確かだ。
食事をしながらなんだろ、ひたすらとりとめのない会話。ビールを少し飲んで、今日という日をお祝いしたい気持ちにドライブがかかってはしゃぐ母親、口数は少ないものの終始嬉しそうな父親、いるだけで癒される祖母、なんというか姉。思えばみんな同じ屋根の下暮らしてきた5人だ。
宴もたけなわのところでプレゼントを渡す。還暦の誕生日。父親のほんの一言のリクエストを見逃さず時計を贈った。そして母親はまだ還暦には遠い?のだけど、それでも同じ時間を過ごしているのだし、これからも過ごすのだし、ということで手首を予約するべくちょっとした時計を贈った(本当はペアであげられたらいいのだけど。。。(^^;))
嬉しそうな父親の顔が嬉しくて、あまりの嬉しさにシャッターを押すということはどこかへとんでいってしまったのだけど、それでも本当に良かったと思う。案の定手首が太い父親にはベルトのサイズが合わず、明日直しに出しに行く。この時計をつけてこれからも幸せな時間を刻んでほしいと思う。
そんなときに、最近色々あったんだと父親から、初めてだろうか、仕事の話を聞く。
僕は改めて父親を心から尊敬した。頭でどうこうという話ではない。理論でどうこうということではない。ただその現実に直面している人を第一義に考え、現実の中でやるべきことを、当たり前のように堂々と主張して上とぶつかっていく姿勢はどれほどに素晴らしい姿だろうか。苦しい状況に立たされても、それを一言も言わないところが父親らしいのだが(似てしまったかな、いやそんなに我慢強くないかな・・・))。
そしてその結果、仕事において父親の示す方向についていきたいと思っているひとがどれほど存在していることか。
僕にできることがあればしたい、そう思った。
嬉しそうに時計をもって寝室に向かう父親におやすみの挨拶をして、リビングでのんびりとビールを口にした。明日中の仕事もあるのだけど、今日は、父親の還暦の誕生日ということに甘えてゆっくりしたいと思う。

おめでとうとありがとうを

今日は父親の60歳の誕生日。いわゆる還暦だ。
仕事も今年度いっぱいで1つくぎりをむかえるようで人生の次のステージを迎えつつあるのだと思う。
自分が歳を重ねれば重ねるほど親に似ているところに気づき、親の偉大さに気づき、尊敬と感謝の気持ちが大きくなる。こういった気づきはこれからさき自分がもっと歳をとり、夫となり父親となり、というように親が通ってきた道を辿ることで大きくなっていくのだと思う(いつたどれるんだか)。
当たり前ながらその気持ちを伝えられる・直接還元できる時間は無限にはない。どれだけ親孝行してもそのときを迎えたときには後悔するものなんだろうと思う。
という話はさておき、めったに自分がほしいものを子供たちに口にしない(おねだりしない?)父親がぼそっとほしいものを口にしたこの還暦の誕生日。
それをもってこれから実家に帰る。
喜んでもらって、それをもってこれから先の時間をすごしてくれたらいいと思う。
祝える時間のなかで僕に限らず家族が持っているおめでとうとありがとうをめいっぱい伝えることができればと思う。

理想に重なる

Projectが佳境に入って久しい(長い佳境ってあるのか)。そんな中で日々様々なプレッシャーを感じながら動いていると自覚しないうちに自分の立ち位置が変わっていたりする。目的や理想があるから今の自分の立ち位置、ではなく、プレッシャー色々な理由があるから今の自分の立ち位置、という感じ。
そういうときはふと一歩引いて自分を見ると、平たくいうと”イケてない”ことが多い。
気の持ちようというのも多分にあると思うが、いろいろとあって、それらに追われて今の自分、というのではなく、何があってもこんな理想に部分的にでも重なっていたい/重なっていきたいから今の自分、と考えるとふっと心身が軽くなれる。
ボトムアップじゃなくてトップダウンで物事を見れるからってだけの話かな。もしかして。でも大事。
現状にもどかしい思いをすることもあるのだけど、その裏にはそれを解消して重なりたい理想があるからなのだと思うし。視点を変えていきたい。