伝えられただろうか

実家の最寄の駅に着くと家族全員が車に乗っている。時間ぎりぎりについたのでそのまま食事を予約していた場所へ向かう。車の中でも取り留めのない会話が続く(いつからだろうか。一部で家族全員天然説が言われているのもどうにもこうにもうなずけてしまう(僕は違います)。
家族全員で外食するのはいつぶりだろうか。思い出せないぶりだということだけは確かだ。
食事をしながらなんだろ、ひたすらとりとめのない会話。ビールを少し飲んで、今日という日をお祝いしたい気持ちにドライブがかかってはしゃぐ母親、口数は少ないものの終始嬉しそうな父親、いるだけで癒される祖母、なんというか姉。思えばみんな同じ屋根の下暮らしてきた5人だ。
宴もたけなわのところでプレゼントを渡す。還暦の誕生日。父親のほんの一言のリクエストを見逃さず時計を贈った。そして母親はまだ還暦には遠い?のだけど、それでも同じ時間を過ごしているのだし、これからも過ごすのだし、ということで手首を予約するべくちょっとした時計を贈った(本当はペアであげられたらいいのだけど。。。(^^;))
嬉しそうな父親の顔が嬉しくて、あまりの嬉しさにシャッターを押すということはどこかへとんでいってしまったのだけど、それでも本当に良かったと思う。案の定手首が太い父親にはベルトのサイズが合わず、明日直しに出しに行く。この時計をつけてこれからも幸せな時間を刻んでほしいと思う。
そんなときに、最近色々あったんだと父親から、初めてだろうか、仕事の話を聞く。
僕は改めて父親を心から尊敬した。頭でどうこうという話ではない。理論でどうこうということではない。ただその現実に直面している人を第一義に考え、現実の中でやるべきことを、当たり前のように堂々と主張して上とぶつかっていく姿勢はどれほどに素晴らしい姿だろうか。苦しい状況に立たされても、それを一言も言わないところが父親らしいのだが(似てしまったかな、いやそんなに我慢強くないかな・・・))。
そしてその結果、仕事において父親の示す方向についていきたいと思っているひとがどれほど存在していることか。
僕にできることがあればしたい、そう思った。
嬉しそうに時計をもって寝室に向かう父親におやすみの挨拶をして、リビングでのんびりとビールを口にした。明日中の仕事もあるのだけど、今日は、父親の還暦の誕生日ということに甘えてゆっくりしたいと思う。

おめでとうとありがとうを

今日は父親の60歳の誕生日。いわゆる還暦だ。
仕事も今年度いっぱいで1つくぎりをむかえるようで人生の次のステージを迎えつつあるのだと思う。
自分が歳を重ねれば重ねるほど親に似ているところに気づき、親の偉大さに気づき、尊敬と感謝の気持ちが大きくなる。こういった気づきはこれからさき自分がもっと歳をとり、夫となり父親となり、というように親が通ってきた道を辿ることで大きくなっていくのだと思う(いつたどれるんだか)。
当たり前ながらその気持ちを伝えられる・直接還元できる時間は無限にはない。どれだけ親孝行してもそのときを迎えたときには後悔するものなんだろうと思う。
という話はさておき、めったに自分がほしいものを子供たちに口にしない(おねだりしない?)父親がぼそっとほしいものを口にしたこの還暦の誕生日。
それをもってこれから実家に帰る。
喜んでもらって、それをもってこれから先の時間をすごしてくれたらいいと思う。
祝える時間のなかで僕に限らず家族が持っているおめでとうとありがとうをめいっぱい伝えることができればと思う。