夏の終わり

土曜日は花火を見るために茨城の花火大会に足を伸ばす。天気が心配だったのだけど幸いの曇天。雨は降らなかった。今年はまだ一度も浴衣を着ていなかったので、そして花火大会に直接足を伸ばすことをしていなかったので、その両方を一度に叶えることができた(^^)。秋葉原からつくばエクスプレスにのって向かったのだけど、会場に着くまで若干周りの雰囲気からは浮いていた。その微妙な雰囲気と、僕の浴衣の丈が心なしか短かったことを少々気にしながら会場へ向かった。
花火はとても良かった。目の前であがるし、人もそんなに込み合ってない(よくよく見るとまだ二回目。これから回数を重ねるにつれて混んでいくのかな)。少し規模が小さくなった淀川花火大会のような感じ。そんなに暑くも無かったので程よい涼しさの中心地よく時間をすごすことができた。
そんな涼しさが嬉しくもあり、また順調に終わりを告げつつある夏を改めて感じさせてくれて、少し寂しかった。花火の光と音とちょっとしたお祭りの雰囲気を満喫して、最後の夏を満喫した。
本当にあっという間だ。
次は秋、なんだか夜の空気が切ないこの季節もまた楽しんでいきたいと思う。(横のテレビから、明日あさっては夏日復活といっているが・・・まあ徐々にということで)
#PCを変えたら写真編集ソフトが無くて写真をUpできない(サイズ編集ができない)。また移行してから花火の写真をあげたい。

自分は何を望む?

自分の意志と言葉と行動の間にGAPがでてくるとき、自分の意志の強さ、それが”本物か”っていうのが試されるんだろうなと思う。
自身に対する範囲で言えば、

その志に重なる行動ができる自分でいることを望むのか。
その志を言葉で主張できる自分でいることを望むのか。
その志を胸のうちにぐっと掴んでいられる自分でいることを望むのか。

今の自分が何を望んでいるのかは、心と行動を見ればわかる。
自分の理想に思いを馳せること。具体的にすることも大事だけど、今この現実のなかで自分の行動がどうその理想に結びついているのかをちゃんと把握することがまずは大事だとつくづく感じる。
で、”本物か”どうかなんていうのは考えてどうこうするものではなくて、自分の行動からみちびかれる姿っていうのが自分の意志を反映した姿であり志の高さなのだろうとも思う。
もう1つ大事だと思うのは、自分の姿の理想もいいけど、もっと大きくそんな自分がいると周りの人や環境がどんなふうになるのか/したいのか。理想に重なった自分が周りに対してしたい貢献、その結果周りの人にどうなってほしいのか、っていう自分を取り巻く世界に対する理想を考えること。
たまに、自分の理想を強くもつあまりか、周りのすべてが自分が理想に重なるための手段だというように言う人/振舞う人がいる。そういう人をみると複雑な気持ちになる。(僕もそんな時期あったようななかったような・・・)