らしさ

誰にでも、何にでも、その人でありそれでありの”らしさ”がある。その人がその人であり、それがそれである唯一の理由がそれにあたる。会社もしかりだと思う。その会社にはその会社が唯一の存在であるその会社”らしさ”がある。
人が何らかの変化を必要とするとき、大きなストレッチを必要とするとき、その過程でその人自身が自身の”らしさ”を理解していることはとても大切なことだと思っている。自分で気づけないとき・見失ってしまっているときは周りに聞けば・自分と向き合っている相手を見れば、きっとそこに自分”らしさ”が何であるのか気づくヒントがある。
なぜ他人ではなく自分がその変化を遂げる必要があるのか、なぜそれをやるのが他人ではなくて自分なのか、その根元には自分が唯一の存在である理由が存在するのだと思う(ロジックもなにもないんだけど)。
それを自覚せずしてその変化を遂げる過程の困難に立ち向かうのはつらい。その変化の目的や必要性が自分のものにできない気がするから。自分の外部がこうなったからそうするしかないんだみたいな、どこか受身というか他責の考えがでてきてしまいそうだから。それがぎりぎりの状態で頑張らなくてはならない状況で甘えになってしまう気がするから。
”らしさ”を考えるときの論点は、”自分という存在だからこそそれをやらなくてはならない理由ってあるのだろうか?”ではなく、”自分という存在だからこそそれをやらなくてはならない理由は何だろうか?というところにある。あるかないかで悩むのではなく、ある前提でそれが何であるのかを考えるのだ。
もし自分らしさに気づき、遂げようとしている変化を目の前にしたときに、まったく過去の自分らしさににつかわしくない姿へ変化をしようとしているのであれば、その先にある新しい自分らしさがなんであるのかを考える。
いいたいことのピントがあやふやなのだけど、きっかけはどうあれ、

何かをやるときは、それは自分という存在だからこそやるのだ、自分だからこそ描けるゴールがあるのだ、自分だからこそ辿れるゴールへの道筋があるのだということを信じること

これはとても大切なことだと思う。
そして自分の過去を振り返るときも同じ。

そのときはどう思ったとしても、どんな些細なことであってもそのときそこでの自分の行動の中に”自分だからできたことは何か?”に対する答えは絶対にある。

振り返る中でそれを見つけるまで考え抜くことが大切だ。
それを見つけることができれば、そこから自分らしさが見えてくる。
個人にしても企業にしても同じだ。

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