電通「鬼十則」

電通「鬼十則」―広告の鬼・吉田秀雄からのメッセージ
吉田秀雄という人物をこれまで僕は知らなかったのだけど、どこかのblogか何かでこの鬼十則をみかけて、自分に足りないメッセージが含まれていると思って本を探し読んでみた次第。

電通鬼十則
1. 仕事は自ら「創る」可きで 与えられる可きでない
2. 仕事とは、先手先手と「働き掛け」て行くことで受け身でやるものではない
3. 「大きな仕事」に取り組め 小さな仕事は己れを小さくする
4. 「難しい仕事」を狙え そして之を成し遂げるところに進歩がある
5. 取り組んだら「放すな」 殺されても放すな 目的完遂までは
6. 周囲を「引き摺り廻せ」 引き摺るのと引き摺られるのでは永い間に天地のひらきが出来る
7. 「計画」を持て 長期の計画を持って居れば忍耐と工夫とそして正しい努力と希望が生まれる
8. 「自信」を持て 自信が無いから君の仕事には迫力も粘りもそして厚味すらがない
9. 頭は常に「全廻転」 八方に気を配って一分の隙もあってはならぬ サービスとはそのようなものだ
10. 「摩擦を恐れるな」 摩擦は進歩の母 積極の肥料だ でないと君は卑屈未練になる

Work以外の人生

今日は仕事を早めに切り上げて友達と浅草の焼肉へ向かう。向かう先は浅草にいったときはたまに通っていた焼肉屋さんの寿門。と思ったのだけど電話をしてみるとなんと去年末にお店の名前と場所を変えてRenewalしているとのこと。場所は浅草六区ブロードウェイ沿いのWINSの近くへ、そしてお店の名前は寿門から将軍へと変わっていた。
メニューは変わらず。発泡酒は小ジョッキで一杯100円(^^)肉の味は昔と比べて若干落ちたような気もしなくも無いのだけど美味しいしリーズナブル。そんなお店でキムチやチャンジャをつまみつつ、肉を焼きつつCareerについてだったり仕事を除いた部分の人生だったりについて話をする。友達は既に一昨年に結婚をしていたこともあり話が現実的。
パートナーのやりたいことがあり自分のやりたいことがある。そして勿論家庭を築いていくのだしその家庭をよりよいものにしていきたいという気持ちもあるしそのためにやるべきこともある。全てがそれぞれのやりたいこと+それぞれの家庭に対する貢献が、全てそれぞれのWorkloadに収まっているうちは問題ない。でも、そのBalanceがそうではなくなって、どちらかのやりたいことをやるためにどちらかのやりたいことを犠牲にする必要がでてくるとしたら、それをしないとすると家庭が理想から離れてしまうとしたらどうすればよいのか。そうなったときに家庭を築いたパートナー同士がパートナー同士となった理由でありその真価が問われるのだと思う。
仕事のことももちろん大切だし、信念を持っていたいと思うけど、当たり前ながら仕事だけが人生ではない。楽しみながら、充実した人生にしていきたいと思うしそのような人生を謳歌していきたい。
#今、横のTVから”アドレナガレッジ?”が聞こえてくる。ディベート?をして心拍数が一定以上になってしまったらOutというゲームをしている。…これは難しいな(^^;)(まじめに見る番組でもないのだけど)声が大きい人間、その場で適当にロジックをつなげて感情をかぶせて言葉を投げている。それで十分人をコントロールできるというところに関心する。

Input

昨日東京タワーを読んで思ったのだけど、自分に何をInputしているのかっていうのは意識した方がいい。ここでいうInputとは自分が自分の外から受けている影響のこと。意図的なInputもあれば意図的でないInputもある。
結構いろんな動物がそうだと思うのだけど、Input(摂取)したものによってOutput(排泄物)の色や形状は変わる。もちろん健康にも不健康にもなる。食事とか目に見えて簡単に意識できるものであればいいのだけど、普段何気なく身をおいている環境だったり目にしている風景だったり絵だったり文字だったりはなかなか意識できない。同じモノばかりをInputしていたらOutputが偏ったものになってしまう。消化器官とは違って消化の仕方も変えられるはずなのだけど、何をどう消化しているのか / していないのかを意識できなかったそこをコントロールできない。
おぼろげにしか覚えていないし、時間の経過や成長っていうのも十分に加味されていると思うのだけど、小学校中学年のころだろうか、読書に没頭した時期があって図書館の本を片っ端から借りていた時期があった(本を読むと貼れるシールを増やしたいという思惑も大いにあったが)。月100冊くらい借りて読んでいたと思う(確か一等賞!)。
そんな頃や、本をあまり読まなかった変わりにスポーツに没頭した日々や面白いことを身の周りに探してバカをやっていた頃もまた今とは少し違うものの見方や感じ方、表現の仕方をしていたと思うのだ。ロジックなんておそらく通っていなかったしIssueなんて考えてなかった。ただ”面白い”何かをふんだんに含んでいた気がする(少なくとも自分の感覚としては)。
今でもそんな感覚を覚えることはあるのだけど昔に比べたら減ってきてるかなと。そっちのバランス増やしてみたいなと。で、そう考えたらそもそも昔と比べると自分が意図して / 意図せずに選択しているInputが変わってるんじゃないかと。
そういえばランダムインプットっていう発想法があったっけ。そんな感じでInputを、そしてその多様性を大切にしていきたいなと思います。

東京タワー

東京タワー
昼からオフィスで仕事をしていて、帰りに本屋に立ち寄ったときになんとなく購入。ビジネスに関係ないものを読みたかったので(もう一冊は3日で運がよくなる「そうじ力」・・・どうにもこうにも部屋が片付かないので・・・)そして東京タワーを早速読み終える。
ぼろぼろ泣けた(らしくないですが)。
生い立ちや境遇は著者とは違うのだけど、母親との関係について重なる部分が多かった(こんなに表面だってエネルギッシュではないのだけど)。本の中で”全ての時間が自分の砂時計に従って流れているわけではない”というような言葉がある。それを僕も感じていて、そのGAPに気をもんでいたことがあった。
自分が日々の生活に必死で、自分の中では自分だけが日々精一杯生き、変化をしていると思い込みがちになってしまう。でもそれと同じだけの時間は当たり前ながら(親を含めて)自分以外の誰しもが持っているものでありその中で誰しもが自分なりの変化を遂げている。それを忘れて、自分だけのペース、自分だけの価値観でものを見ていたら、親子であり家庭でありの視点から見ている親とは当然すれ違う部分もでてくる。
本の中でも引用されている母親というものについての表現も、母親から似たようなことを言われたことがあった(この言葉を知っていたのだろうか)。

母親というのは無欲なものです
我が子がどんなに偉くなるよりも
どんなにお金持ちになるよりも
毎日元気でいてくれる事を
心の底から願います
どんなに高価な贈り物より
我が子の優しいひとことで
十分過ぎるほど倖せになれる
母親というものは
実に本当に無欲なものです
だから母親を泣かすのは
この世で一番いけないことなのです

詩引用 / 葉祥明「母親というものは」

僕は母親の心配性なところと思い込みが激しいところから出てくる言葉に対して、いやいやそんなことしないよ、それは○○とか××だから大丈夫なんだよとか言う。正しく理解して欲しいしちゃんと話をする。こちらも正しく理解したいからわからないところ、納得がいかないところはなぜかを聞くし違うと伝える。
そうしているうちに徐々に話はそれて、”物分りの悪い親”と”信頼されていない自分”という関係として印象を持ってしまう。いつの間にか僕の(間違えた)率直さは母親への冷たさとして受け止められ、その冷たさ追い詰められた母親は感情的になってしまう。それがうまく理解できない、なんとなく言いたいことはわかっていてもそれをはっきりさせないことに苛立つ僕はまた(間違えて)率直につっこんでしまう…という悪循環。
そうこうしていても、最後には”まあ更年期だから、話したそばから何話したか忘れちゃうから許してやってね”と冗談めいた会話になる。そして僕も最後には冗談めいた言葉と伝えたい気持ちだけはずれないように話す。
母親はどんな気持ちで冗談めいた話に持っていっていたのだろうか。それまで散々冷たいと感じながら話をしていた子供に対して、どんな気持ちで冗談めいた口調で会話を投げかけてくれていたのだろう。
この本のように自分が小さいころからの母親と父親、そして成長するにつれての両親との関係を辿ってみる。本にならって客観的に眺めてみる。そしてそのまま今のやり取りを眺めてみる。親の立場から自分を眺めてみる。うまく出来ているかはわからないけど。
4歳くらいのときからだと思うのだけど、近所のスーパーへ買い物へ行くときに母親に車道側を歩かせないように頑張っていた自分、小学校低学年のころは病弱で、毎年といって良いほど1度は入院して迷惑をかけていた自分、・・・。
そんな自分を急に熱を出したときにはおんぶをして病院まで運んでくれた母親。勉強しろとはほとんど言わず(ゲームにはまりだしたころは1度くらい言われたきがするけど)、それよりも人としての学びを促してくれた母親。本を買うためにはいくらでもお小遣いをくれた母親、・・・。
そんなバックグラウンドを一切考えず、今この場の、自分の砂時計を持って自分の考えを手放さない子供は、こういうバックグラウンドを母親としてずっと蓄えてきた母親にとってどのように映っているのか。
やるべきこと / やりたいこと / やれることはそれぞれたくさんある。

揺れては止まり、止まっては揺れ

金曜日の夜はこのたび次のステップへ移られる人と食事。以前からお世話になっていた人なのだけど、どんなときも飄々としていて、どんなプレッシャーの下でも結果を出してきたかなりデキる人。
話していると今の自分の視野が狭くなっていたということに気がつく。自分としてこたえていきたいIssue、こたえることを期待されているIssue、そして今の自分でこたえられるIssue。意識することなく目の前のEngagementだけに目が行っていたかなと。何度か自分でも思ってきたしBlogの中でも書いていたと思うけど、Top DwonとBottom UpのCareer。
今一度、自分がいる意義っていうものを考えていきたいと思う。(って前も書いたような(^^;))
あとはそれに限らず、日々楽しく精一杯やっていこう。Topに据える目的というかゴールを意識して、そしてそれが絶対ではないということも意識しながら日々自分の周りにちりばめられている機会を精一杯活かしていく。Top downとBottom upをうまくまぜるとしたらこんなところかなと思う。