Input

昨日東京タワーを読んで思ったのだけど、自分に何をInputしているのかっていうのは意識した方がいい。ここでいうInputとは自分が自分の外から受けている影響のこと。意図的なInputもあれば意図的でないInputもある。
結構いろんな動物がそうだと思うのだけど、Input(摂取)したものによってOutput(排泄物)の色や形状は変わる。もちろん健康にも不健康にもなる。食事とか目に見えて簡単に意識できるものであればいいのだけど、普段何気なく身をおいている環境だったり目にしている風景だったり絵だったり文字だったりはなかなか意識できない。同じモノばかりをInputしていたらOutputが偏ったものになってしまう。消化器官とは違って消化の仕方も変えられるはずなのだけど、何をどう消化しているのか / していないのかを意識できなかったそこをコントロールできない。
おぼろげにしか覚えていないし、時間の経過や成長っていうのも十分に加味されていると思うのだけど、小学校中学年のころだろうか、読書に没頭した時期があって図書館の本を片っ端から借りていた時期があった(本を読むと貼れるシールを増やしたいという思惑も大いにあったが)。月100冊くらい借りて読んでいたと思う(確か一等賞!)。
そんな頃や、本をあまり読まなかった変わりにスポーツに没頭した日々や面白いことを身の周りに探してバカをやっていた頃もまた今とは少し違うものの見方や感じ方、表現の仕方をしていたと思うのだ。ロジックなんておそらく通っていなかったしIssueなんて考えてなかった。ただ”面白い”何かをふんだんに含んでいた気がする(少なくとも自分の感覚としては)。
今でもそんな感覚を覚えることはあるのだけど昔に比べたら減ってきてるかなと。そっちのバランス増やしてみたいなと。で、そう考えたらそもそも昔と比べると自分が意図して / 意図せずに選択しているInputが変わってるんじゃないかと。
そういえばランダムインプットっていう発想法があったっけ。そんな感じでInputを、そしてその多様性を大切にしていきたいなと思います。