MBAが会社を滅ぼす

MBAが会社を滅ぼす マネジャーの正しい育て方、ようやく完読。
個人的には邦題の付け方や帯の文言はいささか中身のメッセージを歪めて伝えているように感じる。MBAが会社を滅ぼすとはMintzbergは言っていないし、”ダメな会社ほど、ビジネススクール出身者が目立つのはなぜだろう? それは~”というくだりもこの本における主たるメッセージではない。
という細かい話はさておき、とても良い本に出会えたと感じている。正直なところ、今のMBAについて何が問題で、どうするべきなのか?という内容については、よくわからない(実際にどうなっているのか、情報を持っていないし、自ら経験したことも無いので)。ざっと前半部分(既存MBAおよびそれとかかわる会が抱えている問題について触れている)の主張をまとめる。

  • Input: 間違った人が入ってくる。
    本来ならば現場でManagerとして経験をつんだ人間が入ってくるべきなのに、そういった経験を持たないが、ビジネスに対する情熱の強い、Manager予備軍が入ってくる。
  • Process: 間違ったProcess。
    現実の問題には業務分野が明確に分かれて、全てが定量的に分析でき、分析結果にのっとって意思決定して実行に移せていけるわけではない。むしろそんな簡単な問題は少ない。なのにMBAのカリキュラムは業務ごとにクラスが分かれており、そのクラスの中ではそのクラスで学ぶべき内容しか考慮されていない。
    また、”教える”のではなく”学習”し、継続的な変化を自身にもたらすには、自身の過去の経験を新たな理論や概念で見直すことが非常に大切である(そのためにはあえて”緩やかな”環境が必要である)のに今のMBAでは、①Manager経験のない(見直すべき経験のない)人間が、②教授の”教える”範疇で、③良い評価を得なくてはならないという強いプレッシャーの中で、学んでいる(教えられている)。
  • Output: 間違ったOutputおよび会社での間違った活用。
    Input、Processが間違ってる時点で出てくるものは間違ってる。結果としてOutputは若くして、Managerに必要なものの1つである、各業務について”疑似体験”による理解と、Managerとして見た目だけでも振舞うのに必要な自信、エリート意識を持った人間。
    不幸なことに、受け容れる会社も、彼らをManagerにふさわしいとみなし、Managerに、そして会社のFast Trackに乗せている。MBA holderのPerformanceを見てみるとそれほど優れているわけでもない、むしろ劣っている部分すらあるのに。
  • 学生の立場、もしくはこれからMBA入学を志している人の立場からすれば(この本で書かれているような学生ばかりではないと思うけど)、”自分たち次第”だという部分は大きくあると思う(特にInputとProcess)。カリキュラムが各業務で過剰に縦割りになっているのだとすれば、そうなっていること、現実は違うということを意識するだけでまず違うと思うし(ケースが現実であるという誤解は(ないと思うのだけど)防げる)。Privateの時間を使って他の学生とここにアプローチすることもできると思う。MBA入学を志す人については、そもそもここに入ればこの環境が自分をManagerに仕立て上げてくれるんだ、というような”丸投げ”のスタンスではいる人はいないはずだ。
    大学院(MBA)側について読んでいて興味深かったのは、これまで新規事業を自社で創出したことのない、創業当初もしくはそれに近い事業で成功を収め続けてきた企業が岐路に立たされたときの振る舞いに似ているということだ。”開拓”はできても”探検”ができない。定量的に評価できるものでしか意思決定できない等々。
    会社側についても同じなのかもしれない。当たり前ながらManagerは優秀であってほしいし、そのためには優秀な人材をManager予備軍として早期から鍛えていきたい。でもManagerとして優秀になりうるのか、成功しうるのかというのは何をどう評価すればでてくるものなのか。それが明確にならない中で、MBAという名前で判断している部分もあるのではないだろうか。

    本の中ではマネジメントに必要な3要素として、”アート”、”サイエンス”、”クラフト”をあげている。

    アートは創造性を後押しし、直感とビジョンを生み出す。サイエンスは、体系的な分析・評価を通じて、秩序を生み出す。クラフトは、目に見える経験を基礎に、実務性を生み出す。アートは具体的な出来事から一般論への機能的なアプローチをとり、サイエンスは抽象概念を個別のケースに適用する演繹的なアプローチをとり、クラフトは具体論と一般論の間を行き来する双方向型のアプローチをとる傾向がある。この違いは、戦略に対する態度に最もよくあらわれる。アートは戦略をビジョンづくり、サイエンスは計画、クラフトは冒険とみなす。(p.125 l.4)


    話にまとまりがなくなってきたが、思い返すと僕も社会人になってあまり経験をつまない段階でGMSへ通い始めた。最初にクリティカル・シンキングを学べたことはとても大切な経験だと考えている。偏りすぎた次期もあったし、今でもバランスをとることは難しいと感じているが。続いてマーケティング、アカウンティングやファイナンスの基礎、そして経営戦略と学習した。その学校とビジネスの間を行き来して感じていたのが”現実にケースは無い”ということ。
    クラスの中であれば本来最も大切な”問い”を定義する部分はカリキュラムとして既に書かれている。それに応えるために必要な情報は全てケースの中に書かれている。でも現実は違う。何が本当に応えるべき問いかけなのかを見つけることは決して簡単なことではない。それが見つかったとして、問いかけに応えるために必要な情報が全てあることなんてない、ケースとしてまとまっていてこの中から探せばいい、なんて状況は絶対にないと言っていい。
    それでもケーススタディという学習形式は優れていると思うし、その効果もGMSで体感することができている(GMSは1テーブル4-5人のグループを4-6個形成してクラスを進めるけど)。
    ケーススタディのよさ、でも現実とケースの間の圧倒的な違い。そんなこんな自分が経験してきたことを踏まえて成長していきたいと思う。

    Reflection

    この連休を使って、MintzbergのMBAが会社を滅ぼす マネジャーの正しい育て方という本を読んでいる。まだ読んでいる途中なので全体の感想や考えは読み終わってからに譲るとして、ここでは本の中で何度と無く出てくる”省察”という行動について思うことを書きたい(といいつつも結構書評に近かったりもする(^^;))。
    省察に関して印象的だった言葉をいくつか引用する。

  • 「新しい知識を仕入れることよりも、過去の経験を解釈し直すことのほうが持続的な行動の変化を生みやすい」(p.286 l.7)
  • 疑念を棚上げして、思考の再構成を促す刺激的なアイディアについて考えるときに人は学習するのだ。(p.318 l.6)
  • 学習とは行動することではない。学習とは、行動について省察することだ。…「経験はあったけれど、その意味はわからなかった」。その「意味」を見出すために、省察を行うのだ。(p.324 l.8)
  • 省察とは、お手軽にできるものではないし、ただ漠然と物思いにふけることでもない。検討、調査、分析、総合、結合を通じて、「(ある経験の)自分にとっての意味をじっくり慎重に考える」ことが求められる。それも、何が起きたかを考えるだけでなく、「なぜそれが起きたのか」「他の問題とどこが似ていて、どこが似ていないのか」を考えなくてはならない。(p.325 l.6)
  • 簡単に言ってしまうと、日々の経験をもっと深く味わいましょう、ということかなと思う。
    で、味わうっていうのはそんなすぐにさっさとできるものではなくて、気持ちを落ち着かせて(そのために雑念や余計な騒音のない、”恵まれた”環境を用意して)、あせらずじっくりと、深く(過去の経験や蓄積された知識からのアプローチ、問題領域の特定、原因の特定、打ち手の検討、教訓の抽出等)やる必要があるのですと。
    MBAが会社を滅ぼす/滅ぼさない、今のMBAが有用か無用かというのはさておき、このような時間を日常の中に、例えば週末にでも、設けることはできるのではないかと思うし、した方がいいと思う。それこそBlogを使って書けば、そしてそれを信頼できる人に見てもらえればその場でフィードバックやアドバイスがもらえるだろうし、それをinputしてまた省察も進むだろう。
    人間10年生きたら10年分の、30年生きたら30年分の、70年生きたら70年分の、その人しか味わうことのできなかった、そして振り返ることのできない経験を蓄積しているのだから、それらはめいっぱい耕して、得られるものをしっかり得て、より豊かな、豊かだと感じられる人生にしていかないと損だと思う。
    意識して自分の経験を耕していきたい。
    毎週末に今週で自分は何ができるようになったか / できなかったかというのをチェックしてるんです、といっている後輩コンサルがいた。素晴らしいことだと思うし見習いたい(^^)