魚と水

水魚の交わり、という言葉があるけど、今回の気づきはそれとは別の意味。
この週末に以前つくった勉強会をやったのだけど、今回は特別ゲストつき。シニアのやり手コンサルの方が横で見ててやるという話があったのできてもらった。彼としても若手を育成する上で、今の若いやつらが何を学びたくてどうしようとしているのか、またその過程でどのあたりのサポートが必要になるのかを勉強したい、ということだった。
かなり厳しい人という話を聞いていたので少し緊張していたのだけど、いざあってみると一人歩きしていたイメージはどこかへとんでいって、やさしくも厳しい、厳しくもやさしい、鋭いコンサルの方だった。ディスカッションを始める前にこれまでやってきたことを簡単に話す。そしてディスカッションに入る…の前に各人がこの勉強会に求めるもの、それを得て自分がどうなりたいのかという考えにつっこみ(アドバイス)。ディスカッションに入りIssueを特定しない分析をしてきたメンバーにつっこみ(アドバイス)、Issueを特定してそれに対して分析して答えを出してきたもののそれを話してもどうもディスカッションの幅が広がらないメンバーへつっこみ(アドバイス)…。
アドバイスという言い方が適切なのかわからない。ただ、怒るわけでもなく、やり方を縛るわけでもなく、問題点がありそうだと思ったらメンバーに質問し、議論が詰まってるかなと思ったら新たな軸から突っ込みを入れ、といった感じ。そうやって刺激されながらディスカッションしてると、頭の中でこうした方が良いなと思っていたことがみるみる体現されていく。あっという間の3-4時間。
で、そんなこんなの学びはあったのだけどそれらとは別に気づいたのが”水”。
そう、ほかにも何人かやり手と思しきコンサルの方々と仕事ででも何でもつながってきたのだけど、共通に考えられるのは、彼らは”水”になれるということ。
これまで、道具を増やして・磨いてばかりしてるんじゃなくて、それを使う自身の筋肉を鍛えたいと意識していたのだけど、そのもう一歩先になるのだろうか。道具を持ち、筋肉を鍛えた人間たちが気持ちよく動き回れる水であり空間でありを提供できること。”場”を築けること。しかも広い。
場を意識したときに往々にしがちなのは”柵”をつくるということ。自分がコントロールできる範囲、プロジェクトのリスクが大きくならない範囲等何らかの”柵”をつくる。しかし、やり手コンサルは柵を設けない、もしくはなかのやつらが泳ぎ疲れてしまうほどの広さを持ってる、もしくは設けているがその存在を気づかせない。
水の流れに逆らったり従ったりしながら存分に泳いで、疲れたころに全員が進むべき道が絞られる。そのころにはともに疲れた経験が、その道を進むことに対する強いコンセンサスをつくりあげている。
コンサルって、誰もどこに進んで良いのかわからないような中で進むべき方向を見つけて、泳ぐスピードもはやくて、切れ味の鋭い魚みたいなイメージがあったけど、違うかなと。そもそも魚じゃなくて、どんな魚も心地よく泳げる/育てる水なんじゃないかなと。
ここまできてふと気づいたような気がした。
#そしてよくよく考えてみると水魚の交わりの水魚ってのと似たような意味かな。