手放すけど手放さない

手放す”けど”手放さない。手放す”から”手放さない。しっくりくる日本語を探しつつ更新。
これからしばらくはProjectの関係で毎週飛行機にのる。離着陸(特に離陸)時に揺れるとすぐにでも酔ってしまうが、それでも空の上というのは気持ちが良い。天気は絶対に晴れだし。
何があったのかは書かないのだけど、大きな学びがあった。自分が当たり前だと思いながらできていなかったこと。自分に足りないもの。(以下、おそらく当たり前なんだと思うことが続きます。)
●頭よりも優先すべきものがあるということ。
●アウトプットより優先すべきものがあるということ。
●自分のためよりも優先すべきものがあると言うこと。

頭よりも優先すべきもの。それは心だ。いかに広い知識も、深い洞察も、論理的なメッセージも、相手の心に響かねば、何らかの波紋を広げられねば価値は無い。知識は知識のまま終わり、洞察は洞察のまま終わり、論理的なメッセージは論理的なメッセージのまま終わる。
波紋を広げない。どこにも響かない。すっと消える。
局所的な知識であっても、決して深くは無い洞察も、論理的とは言えないメッセージも、相手の心に響いたとき、波紋を広げたとき、そこから最初は小さくとも何らかの活動、”うねり”が生まれる。種をまいていなければ、どれだけ土が豊かで、日光がに恵まれ、水を適切に与えることができたとしても芽は出ない。1つでも種が蒔かれた時、そのとき初めて芽が出る、花が咲く、実が実る可能性が生まれる。

アウトプットよりも優先すべきもの。それは人間から直接のインプット、他人の直接のアウトプットだ。相手の心が開いていなければ、耳と目がこちらに対して開かれていなければ、こちらからのいかなるアウトプットも意味を持たない。では、とこちらから相手の心を開こうとしても、耳と目をこちらに対して開かせようとしても、それで望む結果を得ることは難しい。
まずは相手のアウトプット、自分へのインプットを優先しなくてはならない。
相手のアウトプットを素直に、真摯に自分にインプットしていると、そして相手のアウトプットを助けるよう振舞っていると、徐々に相手はこちらを向き始める。そしてこちらに対して目であり口であり、心でありを開き始める。こちらのが相手に対して開いているからだ。そして開いた上で相手からのインプットを求めている、受容れてくれると知るからだ。
そうして相手のアウトプットを自分にインプットしているうちに、自然と相手は自分に対して心を開き、目を向け、耳を傾けるようになる。
自分のアウトプットはそのときでいい。

自分よりも優先すべきもの。それは他人だ。上の2つと同様。逆説的な言い方だが、自分を大切にしたいならば自分よりも他人を優先すべきだ。
自分の成長のために他人がいるわけではない。ただ、自分は他人の成長のためにそこにいる。そうやって他人の成長のために全力を尽くす過程で、結果として自分というものは成長するのだ。
って言うことを頭ではわかってたのだけど…実践なんてできていなかった。
ロジカルに物事を詰めて、自分のアウトプットは結論から簡潔に構造的にメッセージする。自分の成長のための努力は面白いし、そこに対して労力を惜しむつもりはない。
全て”自分”。
本当に自分を大切にしたいなら。それよりも大切にすべきものがある。
…一朝一夕でできるものでもないと思うのだけど、できるようになりたいと思うのだ。そして今、そうなることが求められているのだ。