結局のところ

結局のところ、本当にやりたいことを見つけて、それに集中する。Careerというのは振り返ったら出来ている。そういうものなのだろうと改めて思う。
今日は、日経HRとGMBが共催した「経営のプロへのキャリア~COOへのキャリア戦略と事例 -カリスマ創業者の右腕~」というセミナーへ行ってきた。
最初からCOOになりたいと思ってなったヒトがいるかというとそうではない(おそらく当たり前だと思う)。まずやりたいことがあって(もしくはやりたいことを持って動こうとしているヒトに共鳴して)動き出し、その過程で自分が結果として納まったところがCOOというポジションであった、というのが現実だ。
ということで、大切なのは自分が何をやりたいのかをちゃんと理解すること。後はそれに従って動くこと。その動き方を考えるときになって、こういったセミナーでの説明やフレームワークというのは役立つ。(上記のようにして生まれた数々の結果を整理したものがフレームワークであり理論でありになるのだろうし。)

ちなみに、セミナーの中では大きく3つのフレームワークを使ってCOOというキャリアについて語られていた。
1つは、COOとはいったい何をするのか?というのを企業のライフサイクル別に記述したもの(FW: 企業のライフサイクル)。
1つは、COOといってもどういったタイプが存在するのかをCEOとの組み合わせを元に考えるもの(FW: CEOのタイプ×CEOとの関係/役割)。
1つは、各人の現状に鑑みて、COOになるためのKSFは何か?というもの(FW: 現状のマトリクス(職種×業種))。

ハーバード留学記 講演会・懇親会

11/2(火)は19時からハーバード留学記を書かれている岩瀬さんの講演会、その後懇親会があった。
19時まではミーティング等でScheduleが埋まっていたので、遅れつつも途中参加しようと思いこなしていくもSchedule通りには行かず(^^;)結局懇親会の途中からの参加となった。
会場に行ってみるとたくさんの方々が参加されていて、各所で議論がなされているようだった。岩瀬さんに挨拶を済ませた後、受付を済ませて空いている席に着き周りの方々の話しに混ざっていった。大学生、医者、弁護士、コンサルタント、参議院議員、etc…様々なバックグラウンドの方が参加されていて(実際にも雰囲気的にも)会場は熱かった。もっと早く参加して、たくさんCommunicationをとりたかった(^^)
GMSにしてもこの集まりにしても、やはり熱いヒト、自分というものを思い切り生きているヒトと接することは楽しい(^^)そして刺激になる。
そして肝心なのは、その刺激を受けた自分がどういう反応を選択するかだろう。

向き / 報告

今日は一度、その日あったことをちゃんと書いてみようと思う(^^)日記を書きながらもふと気がつくと自分の頭の中を書くばかりで、その日何があったのかあまりよくわからないものが結構多かったりすると気付いたからだ。
うーん。仕事で何が起こったかを具体的に書けないとなるとかけることがほとんど無い(^^;)
いやいや、それでも今日はあえてその日あったことを中心に書いてみよう。

…うーん。今日に限った話ではないがたまにわからないときがある。
電車の中で微妙に混んでいるという程度の密度で人が立っている場合、どこを向いて立つのがいいのだろうか、ということだ。
勿論決まりなど無いことは承知だ。しかし迷ってしまう。そしてなぜだろうか。時折自分が間違えているような気さえするときがある…どうも場の流れというか沈黙の規則を破って自分がそっちを向いているような感覚だ。
そんな時ちょっと自分の向きを修正してみる。
するとどうだろう、今度はその向きも間違えているような感覚に襲われる。
しかしそもそもそこまできにしていることでもないので本へ視線を落とせばそれで解決してしまうほどのことなのだが…。

あ。MeetingをはじめとするCommunicationで思い出す言葉がある。誰が誰に言った言葉かは忘れてしまった上、正確な表現も忘れているが、「あなたの言葉は私の耳には入らない、なぜならあなたの人格があまりにも雄弁に私に語りかけるからだ。」というようなもの。
そう。Meetingを見ていると、どうも、”何を言っているか”よりも”どんな雰囲気で物語っているか”によって周りのリアクションが変わっているようだ。そしてその物語る際の雰囲気は2つの要素に対してプラスあるいはマイナスの効果を及ぼしているようだ。(のコンテンツの構造化が同程度であるという前提のもと)
1. 何を言っているかの信頼性
2. (言葉に表れない)信頼Scope
事実こうなのだが、上記のような人格によって話(報告)の信頼性とそこから信頼できる範囲に違いが出るということは良いことなのだろうか?と思う。そもそもなぜ報告においてその人格が影響を及ぼすのか。
大切なのはその人の人格は勿論だが、それ以上にその人の下に組織されている集団のパフォーマンスの信頼性ではないだろうか。だとしたら、報告の内容、レベルを定義したほうが効率的に報告が得られるのではないか。その標準化は、報告すべき内容を明確にするとともに、それを可能にするためには普段TeamをどのようにManageすればいいのかまでを考えさせるきっかけになるのではないだろうか。
逆に考えると、報告そのものを事実に基づいてするほか、そこから派生する今後のScheduleやリスク(考えるべきScope)を明確にするように常にTeamをManageできること、それを継続することで、Projectの中でのその人の人格(信頼できるか否か)に影響を与えていると考えられる。
それだけの話か。
…結局いつもとあまり変わらないな(^^;)