Kickoff

明日はいよいよ例のProjectのKickoff。
燃えたい気持ちは抑えず、自分の中で燃やしたいものは全部燃やして、思い切り集中して楽しんでいきたい(^^)色々悩むことがありつつも、自分の中でいくつかの矛盾を抱えつつも、自分の中に生まれるねじれにちょっと苦しい想いをしていても。それでもやはりやりたいことはやりたい。そしてそれをやるからには夢中になりたい。没頭したい。
将来ではなく、この”今”というときに、ありたい自分でありたいと思うのです。
そしてそこから先、あり続けたいと思うのです。

父親との食事

僕は父親と腹を割って会話をする、ということを今までしてきたことがない。腹を割るどころか会話という会話をしたことが無い。小学校時代、中学校時代、高校時代、大学、社会人、どのステージにおいても、友達の話も、部活の話も、勉強の話も、ましてや恋愛の話も。
ただ、小さい頃、小学校時代、中学校時代の記憶として残っているのは、物心付いた頃から 僕は父親に気を遣うようになっていたということ、心のどこかで父親を怖がっていたということ。どの空間でも父親と二人きりになることを無意識でか意識的にか、避けるようになっていた。二人きりになったとき、自分がどう振舞えばいいのか、わからなかった。
そんな意識も、当たり前ながら成長するにつれて変化が生じてきている。最も大きい変化が生じたのは高校を卒業し、大学に入ってから。一人暮らしを始めてからだと認識している。

“父親との食事” の続きを読む

Creative Thinking

クリエイティブ・シンキング
僕がマーケティングを学ぶ上で少しお世話になった方が書かれた本だ。面白く思うのはその方の印象が”なるほどクリエイティブシンキングを思いつくわけだ”というようなものだということ(クリエイティブな感じ(適当さ?拡散し具合?軽さ?)を持ちつつも、それを客観的に捉えて論理的に考えるような冷静さも感じさせる、というものかな)。
僕はこの本をまだ読み終えていない。で、今その大切さと必要性を感じる。ちょっと錆びてしまった創造力、適当さをまた使えるように磨いていきたい。誰に対しても当てはまることなのかもしれないが、人の頭が一番速く回るのは”適当に(≒自然体で)”夢中になっているときではないだろうかと思う。少なくとも僕はそうだ。何らかの力学に押し出されて必死になってもだいたい的外れの答えか局所最適な答えしかでてこない場合が多い。何の力を受けるでもなく(受けたと認識するでもなく)、ただ自分から、自分のペースで動く(動いていると認識する)ことが大切だろうと思う。
自分らしく、自分どおりに動いていると感じた結果が一番だと考えているということ。
自分に対してどんな力が働いても、自分を取り巻く環境がどう変化しても、その中で自分は自分らしく、自分どおりに動いている、もしくはそう感じられるように日々活動することが大事なのだろう。
外で大地震が起きて、暴風雨も巻き起こり、雷もごうごうとなり、てんやわんやな状態になっても、それでも自分は自分(澄み渡る青空と穏やかな太陽、海(なぜかこんなイメージ))。自分の内側は安定させていたい。
話がそれたが、クリエイティブ・シンキング。読んで使ってみよう(^^)

Stretch!

新たなProjectへの参画を決めた。将来を見据えて自分たちがどうあるべきかを構想し、その上でInnovativeなSolutionを構築しましょう、というProjectだ(漠然)。期間は一ヶ月強と短く、今のProjectもある中で時間をコントロールして参画する。
これまでとはまた一味違ったバックグラウンドのメンバーとのProject。Stretchしたいと思うし、やはり自分のやりたいことはやりたいと思うのだ。そしてやはり、自分はありたい自分でありたいのだ。
Stretch!!

米経営学者ピーター・ドラッカー氏が死去

米経営学者ピーター・ドラッカー氏が死去
おそらくだが僕が始めてドラッガーの名前を知ったのは2002年の4月。社会人になり、Think!(東洋経済)という雑誌を買ったときだと思う。その中でどういった形でかは忘れてしまったが彼の名を知り、僕はネクスト・ソサエティという書籍を買った。
僕は今になってもその本を読み終えていない。そのときに開いた内容は僕が求めていた俗っぽい(?)経営戦略とは/論理的思考とは/マーケティングとは…等々の問いに答える内容ではなかった。少子高齢化が~、知的労働者が~、○○業界が~、といった、世界の今後を考察したような内容であった(ざっと流し読みしただけで詳細は理解していない)。
要するに、今の自分には必要ないな、という判断を下したのだ。
でと。何が書きたかったのかというと、ドラッガーという方がどんな人物か(失礼に値するのかも知れないのだが)自分は良くわかっていない。それでもこのような事実を目の当たりにすると、このタイミングにきてなのかもしれないが彼がどのような人物であったのかを知りたくなるのだ。
そして、よくわかっていない自分ではあるが、ご冥福をお祈りさせていただきたいと思うのだ。
ということを書きたかった。?と思うが書きたかった。
ネクスト・ソサエティ、読んでみようと思う。そしてこちらも。